第二話 ハレルヤ親鸞! 愛してる!
魔法少女は魔法が使える。魔法を使って怪人と戦う。彼女たちはなかなかにメルヘンな存在だ。もっともそのメルヘンな力を使うためには、現実的な手順を踏む必要があるのだけれども。
具体的に言えば、スマホのアプリを使う必要がある。その名も変身アプリ。ちなみにアプリストア評価は一.三。見るからに胡散臭いやつだ。
広告が頻繁に出てきてウザいと評判なそれを起動すると、健康被害がない程度の怪電波がスマホから発生。才能を持つ人がそれを浴びると、眠っていた魔力が覚醒して魔法少女に変身。晴れて魔力を自在に操れるようになるんだって。
言うなれば、魔法少女は選ばれたエリートだ。ちなみに私は、選ばれなかった落ちこぼれだ。それはさておき、そんなエリートのセイントシスターだけれども――
やっぱり。想像通り。彼女はとてもお冠。名乗り口上の羞恥心が、イライラに変わっているんだろうね。
触っただけで指を切ってしまうんじゃないのかな、って思うほどに、彼女の目は鋭利な形になっていた。眉間の皺の深さは、もはやグランドキャニオン並み。超ご機嫌斜めだ。
そんな彼女を見て、私はちょっぴり残念な気持ちになった。あの娘、本当はくりくりでかわいい猫目をしているのになあ。なんてもったいないんだろう。
「はっはー! 来たな! セイントシスター! 今日こそ貴様を血祭りに――」
「なにが血祭りだ! この野郎! くたばっちまえ!」
「ぐえっ」
怪人はセイントシスターを挑発しようとした。しかし、挑発は不発に終わった。最後まで言い切れなかった。
原因は石だ。石が飛んできたのだ。石が怪人の肩に直撃したのだ。セイントシスターが、どこかから取り出したスリングを使ってぶん投げた石だった。
セイントシスターは魔力で膂力を強化していたんだろうね。怪人の肉体に打ち当たっても、石の勢いはちっとも衰えなかった。石の威力は、蜜月にあった腕と胴体を無理矢理離縁させるくらいの勢いがあった。
ばつん、と怪音響かせて、怪人の腕がぽーんと舞い上がる。一回、二回、三回転。くるくる回ってついにはぽとり。腕が車道に落下した。
するとおやおや、ご都合主義。小川町からトラックが襲来。進路上には怪人の腕。トラックは血みどろな落下物に気がついていないようで――あーあ。そのままぐちゃり。ぺっしゃんこ。
結果、轢過、路面は真っ赤、ありゃりゃこりゃりゃの大惨事。おかげで神保町は悲鳴でいっぱいいっぱいになった。
「く、くそっ! 先制攻撃とはアジな真似――」
「しぶとい奴め! くたばれ! 今すぐくたばれ! 可及的速やかにくたばれ!」
「ぎゃっ」
怪人はよろよろだった。当然だ。腕を失ったんだから。そんな弱った怪人に、魔法少女が追い打ちを加える。怒声を張り上げたセイントシスターは、ドロップキックを怪人にお見舞いした。彼女は怪人を一発で仕留められなかったのがご不満だったみたい。
怪人が電柱に叩きつけられる。それも背中から。これはとても痛そうだ。怪人の顔が苦悶に歪んだ。
「まだ息があるのか! いい加減往生しろや! そら、南無さーん! 南無さーん! 南無さーん! 成仏しやがれ!」
魔法少女の追撃が止まらない。彼女は、とっても苦しそうにしている怪人の顔目がけて、何度も何度もストンピングした。
べちべち。べちゃべちゃ。ごりごり。ばきり。これ、ぜーんぶ怪人の肉体から生じた音。とってもグロテスクなオーケストラが神保町の空に響いた。
この公演は人の心を打つものだったみたい。だってほら、耳を澄ませばそこかしこから聞こえてくる。土曜日の朝の駅前でよく見る、もんじゃ焼きを拵えている音がさ。
酸っぱいにおいも漂ってきて――うん、これはきつい。私もつられそう。
「な、南無三って! 成仏って! お前、その格好どう見てもキリスト教だろ!? 中身とガワが一致してねえ!」
「うるせえ! 俺んちは寺だ! 真言宗だ! なんか文句あるのかよ!? おい!」
「あ、痛っ! また蹴ったな! 十戒はどうした!? 不殺生はどうした!? お、俺が怪人だからって! こ、こんなふうに、隙を突いて殴る蹴る! 一方的になぶっていいと思ってるのか!」
「悪人正機だこの野郎! 南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏! 念仏完了、はいセーフ! ハレルヤ親鸞! 愛してる!」
「真言宗じゃねーのか、お前んち! ちゃんと読めや! 歎異抄!」
ばい菌男は死力を振り絞る。彼はストンピングを右手で受け止めた。そして右腕を力一杯薙いで、セイントシスターを吹っ飛ばす。怪人は間合いを作ることに、なんとか成功した。
この機を逃せば、生きて帰れない――怪人はそう悟ったみたい。彼は魔法少女に背を向けた。そして一心不乱にダッシュ、ダッシュ、猛ダッシュ。脇目も振らず大脱走。
「やべー、こいつ……! マジもんの狂人だ! 噂以上にむちゃくちゃだ! は、早く逃げないと殺される……! なぶり殺される……!」
「逃がすものか! マジカル独鈷杵! 出ておいで!」
もう自棄なんだろう。セイントシスターは、聞いているだけでも恥ずかしくなるワードを、千代田区の隅々にまで届きそうな大声で叫んだ。
魔法少女は手のひらを空へと向ける。有名な童謡で歌われているように、太陽に向けて高々と掲げ上げた。
すると奇跡が起きた。魔法による奇跡だ。さっきまでは間違いなく空っぽだったというのに。私は瞬きをしていなかったというのに。気がつくと、彼女は密教法具の独鈷杵を握りしめていた。
独鈷杵は見事な玉虫色をしていた。ルイス・ティファニーがガラスで作ったのでは、と思うほどだった。彼女はそいつをくるくる、くるくる、華麗にもてあそぶ。衣装はそのままに、偽物シスターがバトンガールに大変身した。
そして彼女は甘ったるい声で紡ぐ。魔女っ子だとか魔法少女だとかには必要不可欠な、魔法を使うための呪文ってやつを。
「毘盧遮那仏様! ヴィローチャナ! お願い如来のガイドさん! 四悪趣地獄めぐりツアー! お一人様をごあんなーい!」
「ひい! なんてひでえ呪文!」
「マジカル独鈷杵モードチェンジ! 正義の投げ槍! 独鈷杵ジャベリン!」
独鈷杵が姿を変えた。陸上競技部がたくさん持っているであろう、手投げの槍になった。
魔法少女はジャベリンに変貌した独鈷杵を構えた。肩に担いだ。お神輿を担いでいるみたいだ。
そして、たったか、たったか、たったかた。彼女はリズムカルで、それでいて力に富んだ助走を開始した。
次いで彼女は目を見開いた。奥歯をぎりり。逃げる怪人の背中をきっと睨みつけて。
「うおおおお! 当たれ! 刺され! 貫け! くたばれ!」
彼女は女の子とは思えない野太い咆哮を張り上げる。セイントシスターは渾身の力を込めて、独鈷杵ジャベリンをリリースした。その勢いときたら、宙を走る槍の姿が見えないほどだった。
「アウチッ!」
だから私が気がついたときには、ぐっさり。槍が怪人の背中に深々と刺さっていた。
よろよろ、ふらふら、千鳥足。大きなダメージを受けたせいで、怪人の足取りがとても怪しくなる。それでも彼は懸命に逃げようとしていた。
その姿はとっても健気だ。情に厚い魔法少女が相手だったのならば、見逃してしまうかも、って思うほどだった。
でも、私はよく知っているんだ。セイントシスターはそんなタイプの魔法少女でないってことを。そして魔法少女でいるときの彼女は、超不機嫌なんだってことを。怪人をやっつけることで、その憂さを晴らしているってことを。私はよく知っていた。
だから彼女は怪人を見逃さない。
とどめは絶対に刺す。
じゃないと憂さ晴らしができないから。
魔法少女がぱちんと指を鳴らした。呼応して独鈷杵ジャベリンが変形する。
槍の尾部が双葉みたいにぱかりと開いた。理科室のガスバーナーによく似た銀色の筒が、二つに割れた尾部から姿を現した。
あの筒は……一体何だろう?
「吹き出せ! 護摩の炎! 独鈷杵アフターバーナー点火開始! それじゃあ最後のラッパが響くその日まで! おやすみなさーい! 怪人さん!」
「な、納得いかねえ! 最後のキメ台詞だけじゃねえか……! クリスチャン要素があるのがさあ! 俺……俺……! もっとまともな魔法少女にやられたかった……!」
あの筒はどうやらジェットエンジンだったみたい。甲高いタービンの音がその証拠だ。
エンジンを手に入れた独鈷杵ジャベリンは、怪人の嘆きを合図にテイクオフ。怪人を引き連れて、雲なき空へ飛び立ってしまった。あの勢いだと、重力をあっさりぶっ千切ってしまうだろう。
そうだったら、怪人さんは生きて地上に帰ってこられないよね。宇宙に放り出されて生命を終えるなんて、ちょっぴりロマンチック。いい冥土のお土産になるんじゃないのかな。宇宙に出る前に摩擦で火葬されちゃうかもだけど。
血痕だとか、ぺちゃんこになった怪人の腕だとか。魔法少女が怪人に行った、凄惨極まる暴行の痕跡だけを残して、神保町は平時の静けさを取り戻した。