第Ⅰ話『祝願祭とフレジェ』(前編)
二人は先に退場していった少年たちの元へと向かっていた。賑わう町を横目に、冷やかされることを危惧してたれ耳の少年エルと満面の笑顔を浮かべた少女ミーナである。
二人が目指す大噴水は町の中央にあり、大噴水を中心としてT時に広がる大通りと東の港に向かって伸びる2本の通りは、町の商業基盤となっている。
町の北側を北東方向へと草原地帯【アルディア】が広がりをみせる。霊峰リヴォーラによって川に沿って断絶された広大な草原部は三日月型の湾内の先までを徐々に勾配を上げながら進み、切り立った崖で終わりを迎える。草原部では海風によって良質な牧草が生えわたり、牛や羊、山羊や鶏などが自然のままに放牧され数多くの牧舎が広がっていた。
南側に広がる平原では多くの農家たちによって開拓された農地が広がりをみせる。
霊峰リヴォーラから流れ出た大河ヴォ―ラを大河沿いに立ち並ぶ水車が引き上げる。水車はゆっくりと動きその動作を繰り返す、しかしその歩みは休むことを知らなかったのだった。
水車小屋とは別に農業地帯には風車小屋が点在する。引き上げた水を貯め池へと送り、風の力で溜め池から巻き上げた小さな支流は農地の隅々までを網羅していた。
霊峰の恩恵を受け、名産品となった麦の他にも各種野菜や果実が植えられ、人々の生活基盤を上昇させ町を豊かにしたのだった。
農地を横断するように整備された街道がのびる。
王都から辺境へとつながる街道は霊峰リヴォーラの裾をぐるりと沿うように続き、乗り合いの馬車はその道すがら、町や村を寄りながら終点の町、港町ポルトへと至るのだ。
街道は辺境にも関わらず道行く人は多い、年に3度行われる大祭は辺境地へと人々を誘うのである。
雪解けの春に行う【祝願祭】。
雪解けを祝い農作物の豊作を祈願し、町を加護する三姉妹の女神に祈りを捧げる宴である。
長女『慈愛と祝福の女神アイティーラ』
次女『英知と音楽の女神リーディア』
三女『技能と研究の女神メイディス』
それぞれが春・夏・秋を司る女神であり、司る季節に宴を催し、祈りを捧げることで寒く厳しい冬を災いなく越せる。と言い伝えが残っているのだ。
街道から大河ヴォ―ラを繋ぐ煉瓦造りのアーチ橋は南北に1基ずつ架けられており、流通の要として役目を担っている。祝願祭を楽しむために多くの人が列をなし、入門の審査を待つのだった。
「はぁ~。」ため息が止まらないエルにミーナは話しかける。
「あれ~?エル君どうしたの?」わかっているであろう事を、事もなげに聞くミーナにエルは驚きを隠せない。
「―――わかってて聞いてるだろ?」尋ねるもミーナにはどこ吹く風である。
「あいつに言われることを考えると気が重いよ―――。」
「ねーエル君みんな待ってるから早く行こうよ?」
「・・・はぁ~~~~。」
項垂れて足取りの重いエルも原因ではあったが、遅くなった原因の大半はミーナにあった。
道すがら祝願祭の屋台に目を奪われフラフラと寄って行きそうになるミーナを幾度となく制し、早く行こうと催促していたのだ。だが祝願祭では数多くの屋台が立ち並ぶ、国中から集まった旅料理人たちが腕を振るうのだ。その誘惑たるや恐ろしい物があった。誰しもがその誘惑に抗うこと出来ずに食べ過ぎてしまうというのだ。門兵の話では入門時と退門時では、その容姿が変わるというから驚きである。
誘惑に抗うことすら止めたミーナを引っ張り、エルは友の元へと急いだのだった。
「おいおい、どれだけ待たせる気なんだよ?」
二人を見つけ真っ先に話しかけたのは、エルと同じく最年長のガッチョである。
満面の笑みを浮かべるミーナを見て、状況を察したガッチョは続けた。
「ブハッ。あれだけ煽って負けたのかよエル?」
ケタケタと笑うガッチョに苛立ちを隠せないエルは即座に反応した。
「俺より早く退場出来たおかげで、随分のんびり出来たみたいでよかったなー。」
「なんだよ!結局捕まってるんだから一緒だろ?」
「フンッ、あと1分―――いや30秒あれば勝ってたんだよ!まったくガッチョが鈍足過ぎて、秒で捕まるからだろー。」
「なんだと!!」
「なんだよ!!」
皮肉を皮肉で返す醜い応酬は続き、一人の少女がその言い合いに割って入った。
「はいはい、仲がいいですね~。でさ~、結局ミーちゃんが勝ったの?」
険悪な二人を後目にミーナは満足げに答えたのだった。
「そうだよ!いやー我ながらナイスな戦いだったよー。」ウンウンと腕を組みうなずく少女に少年たちは思う。
『あれは戦士の戦いじゃないよ・・・獲物を見つけた獣の狩りだよ・・・。』
ミーナにお菓子の約束は厳禁だなと感じた7人であった。
「じゃーエルにケーキ買ってもらえるんだよね?よかったじゃん。」
そう話す少女はエルやガッチョと同じ最年長の少女アルテミアである。
「ねえねえ、ミーちゃん何買ってもらうの?もう決めたの?」問いかけたのはエルの三つ年下、最年少の少女ティアであった。
ミーナとティアは二人ともが食に熱く、いつも食べ物の話で盛り上がるのだ。
「んー、まだ迷ってるんだよね。だって色んな種類が食べたいじゃん?」
「一つって約束だろミーナ!」
先ほどのガッチョとの険悪な空気はいつの間にかなくなっていた。
「でも、エル兄が負けるなんて信じられないよ。しかもあのミーナ姉ちゃんに?」
そう話すのはエルの二つ年下の少年ガージである。エルを慕い兄のように思う少年には兄の敗北が信じられなかったのである。
その問いには、大噴水に腰掛け本を読んでいた少女が答えたのだった。
「あらガーちゃんは、あのミーちゃんを見なかったのかしら?」
「いや見たけどさ・・・。あとガーちゃんて言うなって言ってるだろペイト。」
ペイトと呼ばれた少女はガージとは同い年である。
「パー君も寝てないで何かいってやってよ!」眠りにつき静かに寝息を立てている少年にガージは話しかけたのだった。
「・・・zzz。」
大噴水の枠に寝そべり、片腕を半分ほど水に浸けた少年は深く眠りについたまま反応を見せなかった。
「おーい。パーそろそろ起きろよ!」ガッチョが揺さぶるとわずかながらに反応を見せたのだった。むくりと上半身を起こした少年は眠そうに口を開いた。
「ふわぁ~~・・・。おはよ~。」
「あれ~?終わったの~?」
「エル君残念だったね~。」
水に漬かっていた手で、瞼の重い目を擦りながら話すのだった。眠っていたはずの少年はやたらと感が働くのだ。
パーと呼ばれた少年は本名をパームスといいミーナと同い年である。
暇があれば眠りにつく少年の夢にはきっと予知能力があると7人は信じていたのだった。
「だから、どうしてわかるんだよ?」つっこみを入れるのはいつもガッチョである。
「ん~なんとなくそうかな~って。」
呆れ顔の7人を他所に、パームスは大きなあくびを一つと固まった体を伸ばしたのだった。
「決めた!」
突如として大きな声を上げたのはミーナである。
「エル君、今日はイチゴのショートケーキにするよ!」
「春といえばやっぱりイチゴでしょ!丸んとしたフォルムも可愛くて、甘酸っぱさが最高だし、なによりフワフワのスポンジ生地とほんのりと甘い濃厚な生クリームをイチゴの酸味が・・・ジュルッ。」
啜るよだれに反応を見せたのはティアであった。
「イチゴのショートケーキ・・・ジュルッ。」ミーナと同じくティアもよだれを啜り、羨ましそうにエルを見つめた。
「・・・わかったよ。ティアにも買ってやるよ。」
食欲旺盛な二人に呆れ顔のエルはティアにも買う約束をしたのだった。
「やったー!」歓喜に満ち飛び回るティアにペイトが冷酷な言葉をかけた。
「でも、ティアあなたお父さんの屋台を手伝う約束があるんじゃなかったかしら?」
ティアの両親は料理屋を営み、幼いながらにティアもその手伝いをしていたのだ。普段は夜に営業する酒場だが、祝願祭では屋台を出店していたのである。
「なーエル今何時だ?」そう聞いたのはガッチョである。
腰にぶら下げた懐中時計に手をかけ、時間を見たエルは答えた。
「9時30分だな。」
歓喜に満ちていたティアの表情は絶望へと変わり、緩やかに地に手をつき全身で絶望を表現していた。
「まっ・・・まぁ、また今度エル兄に買ってもらえばいいんじゃないのか?」
「ガージ兄ちゃん・・・そうするよ・・・。ねえ、エル兄ちゃん?」
潤んだ瞳で懇願する年下の女の子の気持ちを無下に断るなど出来るはずもなく、エルは少女の願いに約束を交わしたのだった。
「ハァーわかったよ。祭りが終わったらな。」
「やったね!じゃあもうお店のお手伝いに行かなきゃいけないから、みんなまたねー。」
ティアは皆に手を振り、その場を後にしたのだった。
「さーて、俺もそろそろ帰るわ。親父に手伝えって言われてるからな。」
そう話すのはガッチョであった。ガッチョの父は大工である、彼はその見習いとして父の仕事を手伝っているのだ。
「今日は家畜小屋の修繕だったな。パーお前の家だし一緒に行こうぜ。」
またもや夢見に落ちそうになっていた少年は瞼を擦り、ゆるりと立ち上がったのだった。
「そうだね~。牛たちの放牧にも行かないといけないし~、帰ろうかな~。」
パームスの家は酪農家である。町の北に広がる草原に牛たちを放牧しパームスもその手伝いをしている。
しかし、彼の手伝いはガッチョとは違い、ある目的の為であった。
彼の日課は牛たちの放牧であり、目的は放した牛たちとの昼寝である。
去年の事だが、帰ってくる時間になっても帰ってこないパームスの捜索を行いちょっとした事件になったことがあった。その時も彼は誰もいなくなった草原に一人眠りこけていたのだった。
両親からこっぴどく叱られたパームスもそれからはマシになったものの、次がいつ起こるのかは疑い様もなかった。
「じゃあな。」「みんな~またね~。」そう言ってガッチョとパームスも、去って行ったのだった。
「ねぇエル兄、俺も行ってい・・・。」
「ガーちゃん、あなたも今日の出荷分を運ばないとダメなんじゃないのかしら?」
ガージの言葉に割り込み、出来るだけそばにいようとする弟分のガージを制したのはペイトであった。
ガージの実家は農家を営んでいる。多種多様な野菜やフルーツを育て町で販売しているのだ、彼の役回りは出荷の準備と荷運びの手伝いである。
「だから、ガーちゃんは止めろって言ってるだろ!」
「あら可愛くていいじゃない?」
そう話すペイトもまた時間に追われていた。
学者をしている父が1ヵ月ぶりにリヴォーラ山脈の探索を終え戻ってきたところである。常に本を傍らに置く少女にとって、父の探索はまるで冒険譚の様に映るのだ。早く聞きたい少女は、逸る気持ちを抑えガージとともに帰路についたのだった。
「じゃーそろそろ行こうか?」そう口を開けたのはエルであった。
「アルテミアはどうするんだ?どうせだから一緒に行くか?」
そう問われたアルテミアは即座に返した。
「遠慮しておくわ~。お邪魔虫にはなりたくないもの♡」
そう言いウインクをすると、くるりと優雅に振り返り歩き出したのだった。
「なんのことだよ?」
そう呟く少年の後ろには顔を赤らめる少女が一人立ち呆けるもそのことに少年が気付くことはなく、二人は少女を見送ったのだった。
アルテミアの両親は美容師をしている、そして、その手伝いをするのが彼女の日課なのである。彼女の洞察力も数多くのお客を相手してきたがゆえの物であろう。他の6人が気付いていないことも、洞察力とその類まれな感で看破したのだった。
「ん?ミーナ顔が赤いけど、どうしたんだ?」
ハッとする少女は顔を横に振り、何事もなかったように答えた。
「なっ何が?全然、大丈夫だよ!さぁー行こう。すぐ行こう!」
力一杯にエルを押し、二人は目的のケーキ屋へと向かったのだった。