表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

桜子さんの奥様劇場

種無し葡萄

作者: 秋の桜子

 俺にはひとつ秘密があった。恋して愛して、将来をユメ見て、付き合う彼女が結婚したい、等とかわいい夢をちらつかせる仲までになり、貴方と似た子供がほしい、二人は欲しいな、とありふれた、無邪気な未来を語れば……。


 程なく二人の仲は解消となる。子供の話題に希薄な俺は、子を妊み子孫を残す遺伝子が目覚めた彼女に、大抵こう言われる。


「なに?どうしても黙り込むの?もしかして……、()()()()()()()()()()()


 キミと結婚はしたい、そうだな。子供はどっちでもいいと言えば。


「……、何それ。もういい!」


 こうなる。そして寛大なる彼女の場合は、話しても仲は上手く進み、挨拶に行く。未来に向けて話を進める内に、当然、早く孫の顔をと言われ、曖昧に誤魔化していると。


 ……、数日後。


「やめておいた方がいいって……友達もみんなそう言うの、だって赤ちゃんの話をしたら、はぐらかすでしょう、不誠実だっていうの……」


 こうして物分りの良さそうな女のコとの話は終わり、何時しか『遊び人』との、レッテルが貼られる始末。


 そんな時に出会ったのが、妻の加奈子だった。箱入り娘、お嬢様な彼女、直ぐに終わると思いきや、意外にもトントン拍子に話は進んだ。


 俺は資産家な轟木の家に、入り婿という形で、一緒になり、()()()()()()()()()、郊外の一軒家にて、親子三人で幸せに暮らしている。





「おかえり」


「あら来てたの?先に言ってくれてたら、何か買って帰って来たのに、ろくなもの無いわよ」


 いいよ、酒があれば。たまにはね、部屋の管理状態の確認のために、と彼女をからかう様に話す。


「うふふ、ちゃんと掃除はしてます。こう見えても家庭的なのよ、先に飲み物用意するわ、どうせなら店に来てくれたら良いのに」


「店も良いけどね、ゆっくり話せないし。それより君狙いのお客が男がいた、なんてがっかりさせちゃ、売り上げに響くかなっと思ってね」


 お心遣いありがとうございます。リビングに接している、アイランドタイプのキッチンから声がする。


 ……グッゴト、カチャリ、ンパタン冷蔵庫を開け閉めしている音、ガタ……冷凍庫を開け、バタン!閉める音。パタパタ、足音。コト、ザザザ……、コトコト……。


 やがて用意が出来たのか、小さなワゴンをベビーカーの様に押しながら運んでくる。


「ミスト、でいいかしら?」


 テーブルの上にコースターを置き、上にワイングラス、細かくクラッシュされた氷が山になってる、アイスペール、ガラスの小鉢にはスライスレモン、そしてウィスキーがひと瓶コトンと置かれた。


「ありがと、後は自分でするよ」


 そう言うと、そう、じゃあ果物とチーズ位しか無いけど、何か持ってくるわね、と再びキッチンに向かう。


 ……、グラスに氷を縁まできっちりと詰め込む、琥珀色のウイスキーをゆっくりと注ぎ込む。ウイスキーは希釈熱に揺れ、粒の小さい氷によって急激に冷やされていく。


 クラッシュアイスのピピピ、ききき、チチ……、鳴く音と共に、霧のような水滴がグラスを曇らせる。穏やかにウイスキーは霧に包まれた。


 霧、それが『ミスト』


 最近蒸し暑くなり、ウイスキー・ミストスタイルの、これにハマっている。スライスレモンを一枚、表面に載せる。グラスは霧に包まれた、淡い琥珀色に光っている。


 これをどうぞ、オーナー様、とふざけた様子で彼女は、海の色をした琉球硝子に、一房の葡萄をのせ運んできた。


「種無しの巨峰ですって」


 ぱっつんぱっつんに皮がはっている紫紺の巨峰が一房、うっすらと表皮には(ミスト)を纏ってる。ところどころに、小さく丸い水の珠が、照明の光を反射し弾けるように光る。


「君のようだな」


 ぷちん、とひとつ摘み取る種無し葡萄。ひと粒の果実、子をなさぬ子房。


「どういう事?」


「甘くて美味しそうということ」


 やだわ、シャワーを浴びてくるから、それ食べて待ってて、七夕だからって、かこつけたお客様からの頂き物だけど。と彼女はクスクスクスっと笑いながら、浴室に向かった。




 七夕、文月か……。早いものだな。葡萄といえば、秋の味覚だったのではないのか、ニセアカシアの白い花が咲く頃、葡萄も花を咲かせる。種無しにするには、ジベレリン処理をしなくてはいけない。葡萄に雌しべの柱頭に花粉がついたよと、雌しべを騙すのだ。


 花が全て咲いた時、薬剤にとぷんと房を浸す。

 これは果実を種無しにする。


 丸い実がついた時、薬剤にとぷんと房を浸す。

 これは果実を膨らませる。


 ちなみにジベレリンは植物ホルモン、自然界にある存在。詳しく述べると長くなるが、要は『伸びる』筍等に含まれるものである。薬剤ではない。日本人が発見した素晴らしき物資なのである。


 葡萄の雄しべとしてみたら、たまったものじゃないだろう、雄しべの存在どこに!なのだから。雌しべはジベレリンにより、受粉したと錯覚をさせ、子房を実りへと膨らませる。


 だが所詮紛い物、一度で済ます方法もあるらしいが、実を結ばず膨らんだ子房を、固く小さくならない様に、二回目、肥大をさせる為にもう一度液に浸される場合もある。


 その後鋏で、丁寧に一房ずつ形よくする為、小さな実育ちの悪い実を間引きし、袋を掛け手間暇をかけて、ようやく種無し葡萄が出来上がる。勿論、そのまま放置していても葡萄は実る、味も何ら変わらない、ただ不揃いで見目悪く種がある。


 そしてやはり、見目は綺麗な方が美味しそうに見える。


 そしてやはり、種は有るより無いほうが俄然、食べやすい。



 大粒な紫紺の珠を、天井のシャンデリアの灯りにかざす様に眺めていると、中身を吸いだし食べるより、剥いて食べようと思いつく。


 右の手のひらにころん、と転がしてみる。しっとりと濡れるような冷えている感覚。再び左手の親指と人差し指でつまむ、軸穴?というべきそこに、右の親指の爪先を、少しばかり入れる。


 人差し指の腹と親指の爪先、その間に巨峰の紫紺の表皮。口の中に吸い込むように食べると、厚みを感じるのに、いざ、蜜柑の様に剥こうとすれば、薄さを感じる不思議がある。


 香りもそうだ。ワインに詳しい知り合いが、うんちくを述べていた。皮に含まれるあの高貴なる香りは、酒にならねば昇華出来ないと。


 くっと力を入れそろりと丸みに沿い、皮を下に剥いていく。綺麗に剥きたくなった。大切なひと粒を、ゆっくりと剥いて裸にしていく。


 濃い色の下には淡い翠色した半透明な果実。名残の筋が紫に残る。口に入れて噛むと、かしゅりとさくい。舌は種を感知をせず、みずみずしい葡萄の甘いそれを味わっている。甘い、美味しいがどことなく香りは薄く感じる。


 剥かずにそのまま、穴に唇を当て、チュッと吸い込むように食べるほうが濃厚な、何かを得れる気がする。



 昔……、そう、熱を出して入院していた時に、見舞いで差し入れられた巨峰は、味は同じだが、種があったと思い出す。


 洗い数粒程を皿にのせられ、ベッドの上でだが、ようよう起き上がる事が出来るようになった自分に、食べる?と聞かれ差し出された。汁気が飛び色が散らぬ様に、胸元から大きく、バスタオルを広げられていた上で食べた。


 ……、粒を摘む指先、親指と人差し指、離れているそれを合わすように力を込める。紫紺の皮に唇を当てる。軸とつかながっていた穴。チュッと吸い込む。中の実が口の中に、勢いをつけて飛び込んでくる。


 紫紺の皮がペタンとしぼむ。甘い香りも甘い果汁も、皮の渋味も一度に味が広がる。噛むと舌が知らせる『異物(たね)』の存在。皮を捨てた後で、それから種を口からぺろりと出す。数粒の子らが手のひらの上に居た。


 何時から?大粒の中に連なる小さな種が、薄翠のど真ん中に、軸と繋がりぶら下がらなくなったのは。幼い頃は小粒のデラウェアしか覚えていない。


 紫紺の果実の翠を味わい飲み込むと、ミストを飲む。お楽しみである彼女の風呂は長い。それほど酒に強くない、自覚はある。なので飲み過ぎないようセーブをする為、葡萄をもうひとつ、ぷちんと摘み取る。


 時間つぶしに皮を剥く。丁寧に、実を傷つけぬ様に……、少しばかり爪を立てるとえぐれてしまう。硬そうに見えて柔らかな葡萄の実。




 ――、「貴方、今日は夜は実家で過ごそうとお申し出がございましたの。泊まりになりますがお仕事は大丈夫ですの?」


 朝、妻が玄関でそう話した。そう、七夕は彼女の()の命日だ。その日は仕事を休み、息子も学校を休ませ墓参りに向かう。そして家族水入らずの食事を済ませる。入り婿である俺の、日中は最大規模の家族サービスの一日となる。


「ん、そうだな、泊まりか。私は遠慮をしてもいいかな、少しばかり仕事が立て込んでるし……、晴之と親孝行してきなさい」


「はい、わかりました。頑張ってきますわ」


 そう返事を返してきた。堅苦しい本邸には出来れば向かいたくない。それは晴之の母であり、俺の妻もそう。向こうに行けば出来の良い娘の皮を被らなければならない。息子を置いて先に逝った姉の様に、振る舞わなくてはいけないのだ。


 出入りの弁護士が手続きを怠らなかった為、息子晴之は俺達夫婦の実子となっている。が、本当のところ、母親は妻の姉。本妻の娘である。妹である妻は実のところ妾の子と、妻の知らぬ場で開かれた、会席において知らされた。



「野心もあり、頭もきれる、先を読む力もある。娘の加奈子と付き合っているそうだが。地位と財産が目的か?」


 はい、とりあえず正直に答えた。まあ、と上品そうな加奈子の母親が、小さく声を上げた。会食も終わりに近い時、塗の座卓の上には、磁器の器に、皮を捲られた葡萄がころりころり。彩りなのか木の葉が一枚。


「それ込みで愛しております、なので私は()()も加奈子さんもどちらにも、身を呈して尽くそうと思っております」


 腹を据えて答えたのだが、蛇蝎の如く見てくる目の前の父親、その背後で全てを見極め、糸をひいている女郎蜘蛛の様な母親に、ぺろりと飲まれそうだった。入り婿を狙う青二才等、履いて捨てるほど会い排除してきたのだろう。


「……、事業が先に来たか!正直で良い。どうだお前、そろそろこの辺りで手を打たないか?美和子が引き寄せたのやもしれん」


「……貴方様が良ければ、わたくしは『轟木』の血筋さえ守れればそれで良いのです。()()()()()()が、長じて当主になれば、それで良いのですから」


 美和子の子供?病院で姉が病に伏しているとは、聞いてはいたが……事の次第によれば、この場で加奈子との破談を申し込もうと考えていた。


「ホーホホホ、計算高い事、今そのこずるい頭で、加奈子を捨てる事を考えておられましたわね。そう、あの子には轟木の血は一滴も流れてません。四郎の妾の子ですもの。本来なら何処かに出すべき娘。しかし、御先祖様が導いて下さった、唯一無二の道。これもわたくしがお子を、たった一人しか産め無かったのが元凶なのですから、泥芥も飲み干しましょう」


「良いのか、もしや子を産めば正気になるやもしれん」


 おいおい、加奈子の父も、もしや婿殿……。


「いいえ、酷ですが、あの子の心は壊れてしまいました。もう戻りません。母親として、腹の子を育てる事はできません、わたくし達が引き取り育てる事も考えましたが、少しばかり不安も御座いましたわ、でも……()()な娘を、貴方はおこしらえになられておりました。何かあった時のために、わたくしは引き取り、手ずから育てた甲斐が御座いましたわ……そして、最高の婿がねが目の前に」


 ニッコリと見てくる、見てくる、見てこられる!


「ほほほほ、加奈子はわたくし、轟木の家には逆らいません。そう育てたのはわたくし。既に名跡を継ぎ、嫡流のお子を育てる覚悟は出来ております」


 そうにこやかに笑顔を向けてきた母親。シュッと衣擦れの音を立て、居ずまいを正すと三指を付き、頭をひとつ下げてから顔を上げ……突き付けてきた、誰にも敢えて話していない事を。


「貴方の事は全て調べましたの。生い立ち、学歴、病歴……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、お熱を出されて、しばらく入院された様ね」


 跡取りに関わる、お家騒動は避けねばなりませんからね、加奈子夫婦に子供は独りで良いのです。ましてや妾の子など、加奈子一人でよい。轟木の家をよろしく。


「夫婦仲良くであれば、女遊びの一つやふたつ、あの子は何も言いません。四郎の様にヘマをしでかし、子を作らねば良いのです。本妻を蔑ろにしなければ、妾をひとりふたり囲うのは、男の甲斐性だと私は思うのです」


「あ、あれは……済まなかった、加奈子の母親に、してやられた、お前には感謝してもしきれない」


「良いのですわ、あちらも女の子でしたし、妾の子が轟木の血を引かぬ男の子ならば、どう抹殺しようかと、悩まなくて良かったのですわ」


 女郎蜘蛛は、俺を絡めとった。いつの間にか張り巡らされていたのか、ベタベタとはり付くのは横糸。獲物を捕らえる横糸に……俺は囚われ、もがいても、もがいても、最早巣から逃げれぬ事をその時知った。





「やだぁ、何をしてるの?葡萄の皮なんか剥いちゃって」


 ごめんね、お風呂は私の癒やしの時なのよ、色香を漂わせながら、俺の横にすとん、と座る彼女。ふわりと薄い花びらを集めて縫い合わせた様な、夜着の裾が踊る。


「退屈だったから」


「うふふ、今日は泊まれるの?」


「うん、泊まれる」


「私も少しだけ飲もうかな」


「今から?」


「お風呂あがりだもの、喉が乾いちゃったの」


 そう言うと彼女は立ち上がろうとした。悪戯に手首を掴み引き寄せる。きゃっ!と声が上がる。不意をつかれて、バランスを崩した彼女は、ドサリと元いた場所に尻から落ちる。


 足が開く、捲れ上がり柔らかい白さを、艶めかしく顕にする。


「もう!危ないわ!」 


 紅を剥がし、艷やかに色付いた桜桃の唇が文句を言う。


 テーブルの上、琉球硝子の皿に幾つかコロン、コロンと剥いた巨峰の翠の果実。紫紺の筋が走っている。


 種無し葡萄。


 花が全て咲いた時、薬剤にとぷんと房を浸す。

 これは果実を種無しにする。


 丸い実がついた時、薬剤にとぷんと房を浸す。

 これは果実を膨らませる。


 人間が便利よく食べる為だけの物なら、花粉等要らないのだ。手間と暇をかければ、立派な果実を実らせる。


 ぷぅ、とふくれっ面で起き上がる彼女。笑いながら俺は、喉が乾いてたら葡萄はどう?皮を剥いてあるよと話す。


「やだ!手で摘んだらベトベトするじゃない」


 不機嫌そうに話す彼女。そう、じゃあ食べさせてあげようと、俺はコロンとした実を、ひとつ取り上げると、口の中に放り込む。


 そして……、彼女に被さると、それを蕩りと食べさせた。



 終。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マックロウXK様とのコラボ小説完結!。 i456729           執筆、マックロウXK様、原案、秋の桜子 i457072         真白ちゃんとあおい君のお話です。 作者、マックロウXK様
― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。 そしてブドウの勉強になりました (∩´∀`)∩~♪ [一言] 昨日見た、優生保護法のニュースの記憶が蘇り少し怖かったです。
[一言] 女郎蜘蛛怖いいいいいい!!!!!! そして今度から葡萄を食べるたびにドキドキしてしまいそうです( ˘ω˘ )
[良い点]  タイトルから、そういう系統だろうなぁと思いましたが、実にお上手でした。  舅さんがどういう立場に陥ったかがとても気になりますね(^^)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ