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遺体発見から二日目の夜、稲森は中村邸のある住宅街から帰ってくると、蕎麦処あかいけにいた。蕎麦を食べながらスマートフォンを眺めている。
「圭一、あんたご飯食べてる時ぐらいスマホ見るのやめなさいよ。作った人に失礼よ」
「——? 作ったのはおまえだろ?」
「だから失礼だって言ってるのよ」
蕎麦処あかいけの若女将、赤池みづきが稲森までやってきて話しかける。蕎麦処あかいけは今日も大忙しであったが、午後九時の閉店時間を過ぎ、いまだ蕎麦を食べている客は稲森のみとなっていた。稲森が蕎麦屋の閉店後に居座っているのも、よくある光景になっていた。あかいけの従業員(といっても、みずきとその両親であるが)は、稲森のことは気にせず、蕎麦屋の締めの作業を進めていた。
「さっきから、熱心に何見てるの?」
赤池が稲森のスマートフォンを取り上げる。
「馬鹿!見るな!」
「え?きゃあ!!」
稲森の制止も間に合わず、赤池はスマートフォンの画面を見ると、そこに映っていたものに驚き悲鳴を上げた。スマートフォンが赤池の手から滑り落ち、床の上で鈍い音を立てる。
「あっ!まったく…。画面が割れたらどうすんだよ」
「なんて写真見てるのよ!あんた、あの時こんな写真撮ってたの!?」
「俺もあの時は気が動転して自分で何やってるかわかってなかったんだ。でも、今はこれがあって良かった」
警察にも隠していたことであるが、稲森は遺体を見つけ、警察に通報し、警察が到着するまでの間に、遺体発見現場であるリビング内の写真をスマートフォンで撮影していた。今日の夕方過ぎ、真美と由紀から頼まれた事件の真相解決のため、昨日は見たくもないと思っていた写真を見返し、現場の状況を確認していた。
「リビングの窓は開いていた。被害者は窓の方に足を向けてうつ伏せに倒れ、頭から血を流している。遺体の上や周辺にはガラスみたいなのの破片が散乱してるな」
また、稲森は思考がそのまま口から出ていた。
「あんたのそれはいつものことだけど、気持ち悪いから現場の説明はしないで」
赤池が隣で顔を青くしながら言うが、集中している稲森の耳にその言葉は届かなかった。
「窓のところに釣竿が転がってるな。釣りが趣味なのかな?」
恐らく現場に残されたものは、ほとんどが操作のため警察が持ち去ってしまっているだろう。稲森は現場の写真を撮影しておいて良かったと思っていた。
「よくわからないけど、犯人はガラス製の何かで被害者を殴り殺して窓から逃げたってことなのかな」
稲森は、写真から読み取れた内容から状況を仮定してみた。
「殺人目的なのか、強盗とかだったのか。写真を見る限り、あんまり部屋が荒らされてる様子はないな。目的は殺人の方か?被害者も真美さんと同じ職場だって言ってたし、やっぱり明日、真美さんの職場の保険会社で話を聞いてみるしかないか」
稲森は捜査方針を決めると席を立った。
「ごちそうさま。お金置いていくぞ」
「ありがと。食器とかはそのまま席に置いといてくれればいいから」
稲森は、運びやすいように食べ終えた食器を重ねるとその隣にお金を置いて、蕎麦処あかいけを後にし、隣の事務所兼自宅として使用している稲森探偵事務所に戻った。すぐに寝付けるかはわからなかったが、今日は早めに布団に入ることにした。
◇ ◆ ◇
水曜日。遺体発見から三日目となった。
稲森は、珍しく早起きすると、身嗜みを整え、大学の卒業式ぶりにスーツに袖を通し、西牧市にビルを構える保険会社、真美と被害者の職場である保険会社を訪れていた。受付で、真美の上司や同僚と会いたいと伝えても取り付いてもらえなかった。名刺を差し出し探偵と名乗ると、受付の女性から、さらに怪訝な目で見られたためビルから出て、入り口のそばに立ち、出入りする社員に声をかけて、聞き込みしていくことにした。
早速、三十代ぐらいの社員と思われる男性が通りかかったので稲森は声をかけてみた。
「すみません。私、稲森圭一と申します。中村真美さんをご存じですか?」
「は?」
男性は稲森に対して思いっきり怪しんでいる目を向ける。
「決して怪しいものではありません。私こういう者のなんですけど、中村さんのことについてお母さんから依頼を受けまして、なんでもいいから情報を知りたいんです」
稲森は名刺を差し出して、一生懸命説明する。男性は何か考えるように、しばらく稲森と名刺の間に視線を行き来させると、稲森に対してこう言った。
「中村さんのことは心配してたんです。私でわかることであればなんでも聞いてください」
「ありがとうございます。私は稲森と申しますが、お名前は——?」
男性の名前は齊藤武志と言った。真美とは同じ部署であり、被害男性も同様だと言う。
齊藤からわかった内容は次の通りだった。
被害者男性の名前は宮城市郎。金曜日の夜に部署の歓迎会があり真美も宮城も参加していたそうだ。歓迎会の話は、以前に真美が言っていたことと一致している。宮城はこの歓迎会で飲み過ぎて酔い潰れてしまったそうだ。宮城が以前から真美に好意を寄せていたことを知っていた齊藤達は酔っていたこともあり、面白半分で、宮城と家が近い真美に宮城を家まで送るよう押し付けていたらしいことがわかった。
「なるほど…。宮城さんはどんな方だったんですか?」
「あんまり目立つタイプでは無かったですね。宮城さんは中村さんと同じ事務職だったんだけど黙々と仕事をこなしていくタイプだったし…。昼飯とかも誘えば一緒に来るけど、一人で食べてることも多かったと思います。あ、でも家は資産になるとか言って一人暮らしなのに戸建て買ってたりして、しっかりしてるなって思いました。」
「あの家で宮城さんは一人暮らしだったんですね。二人の間で何かあったりしませんでしたか?」
「いやぁ、私は心当たりないですね」
「中村さんについては、どうでしたか?」
「中村さんは美人だし優しいから、みんなから慕われてましたよ。だから、信じられなくて」
「俺もそう思います」
「私が知っているのはこのぐらいです。中村さんと仲が良い子がいるので呼んできましょうか?」
「お願いします」
そう言うと齊藤はビルの中へ入っていった。稲森はメモを見返し、今聞いた話をもう一度思い出しながらそれを待っていた。齊藤が一人の女性を連れて戻ってくる。
「稲森です」
稲森は女性に名刺を差し出す。女性はそれを受け取ると稲森へ言った。
「和田です。お昼にお話しできませんか?」
女性が稲森に名刺を渡した。名刺には和田浩子と記されていた。
「後で連絡します」
稲森が分かったと言うと、和田はビルに戻っていった。齊藤は和田に会釈すると自分も仕事に戻ると言って、そのまま出かけていった。
「とりあえず、和田さんからの連絡を待つか」
◇ ◆ ◇
和田から連絡があり、保険会社の近くのカフェで待ち合わせをすることになった。稲森が先に入り、コーヒーを飲みながら待っていると和田が現れた。
「お待たせしました」
「早速ですけど、和田さんから見て、宮城さんはどんな方でしたか?」
「はい。あの、私から聞いたって言うのは内緒にしてくれますか」
「もちろんです」
「実は、ずっと真美から相談を受けてたんですけど、宮城さんにずっとストーカーみたいなことされてたみたいで」
「どういうことですか?」
「宮城さんって、あんまり人とか変わらない人なんですけど、きっかけはよくわからないんですけど、真美にはよく話しかけてて。それだけなら良かったんですけど、いつからか真美に色々プレゼントすることから始まって、それがだんだんエスカレートして隠れて真美の家まで着いてくることとかあったりしたみたいで。だから、歓迎会の後も私は心配で止めたんですけど…。やっぱり何かあったんでしょうか?」
「俺も何があったのかを突き止めたいんです。中村さんには恋人とかはいたんですか?」
「それは聞いたことないです。何か関係あるんですか?」
「もしかしたら、そこでトラブルがあったのかなって思って。でも違いそうですね。和田さんから見て中村さんはどんな方でしたか?」
「とってもいい子よ。一番気が合うし。でも、かなり追い詰められてもいたから心配で…。もしかして、真美が宮城さんを…?」
「わかりません。今日はありがとうございました」
和田に礼を言い、稲森は今日の捜査は終わりにした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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