表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

貰い泣き

作者: 須賀





 ちょっと感動系の映画を観ただけで、ちょっと道でぶつかった知らない人に怒鳴られただけで、ちょっとテストの点数が酷かっただけで、涙をぼろぼろ流す友人がいる。

 彼女の鞄にタオルは必須だ。それもぺらっとした小さなハンカチではなく、厚手でタオル地のフェイスタオル。彼女の誕生日はタオルが集まる。しかも当日に何枚かさっそく使われることとなるのが恒例だ。

 情緒が豊かすぎる。胸の内に情緒の森とか生い茂っているに違いない。


 閑話休題。


 あの子ほど涙腺を緩めろとは言わないけれど、人はあまり泣くのを堪えてはいけないと思う。泣きたいときに泣くことで、その感情は表出され、昇華されるのだ。


 私には特異能力が備わっている。いや、特殊な体質と言うべきか。自身の近くで泣くのを堪えている人物がいると、その人の代わりに泣いてしまうのだ。自分は一切涙を流すに至った感情を知らないし感じないし理解できないのに、泣くという行為だけ勝手に受け取ってしまう。

 役立ったことは一度もない。家族は体質を理解しつつも私のことを涙腺馬鹿と呼ぶ。


「突然なんだけど、先生、結婚することになりました」


 本当に突然のことだった。若くて美人で喋り上手で誰にでも親しげな、私のクラスの担任。朝のホームルームで結婚報告をしてくれた彼女は、目敏いクラスメイトが指摘した薬指の指輪を照れたように皆に見せてくれた。


 周囲が身を乗り出すようにして指輪と幸せそうな先生の笑顔に夢中になる中、私は指輪が上手く見れなかった。視力の問題でも、前の席の野中くんが立ち上がっていて邪魔だからでもない。


 涙が止まらないのだ。


 ぼんやりとぼやけた視界で教室内を見渡した。完全にお祝いモードである。こうも騒がしくしていたら隣のクラスの担任に怒られるんじゃないだろうか。それはともかく、こうして見る限り、皆が皆先生の結婚に喜んでいるように見える。


 しかし私の涙が止まらないということは、誰かが泣くのを堪えているということだ。


「おい水島ちゃんが泣いてるんだけど」

「ふぐ」


 唐突に振り返った野中くんに涙を見られた。しかも大声で報告するな。報告は先生の結婚だけで十分だ。


「どうしたの水島ちゃん! 水島ちゃんならまだ焦らなくてもきっといつか結婚出来るからそんな泣かなくても大丈夫だよ!」

「……野中くん、喧嘩売ってるなら消費税込みで買わせていただくけど」

「先生先生先生! 速やかに席替えしないと俺後ろから刺されるかもなんだけど!」


 野中くんはわざとらしく飛び上がって挙手しながら大声をあげた。やかましいわ。


「はいはい。……水島さん、大丈夫? 具合悪い?」


 野中くんを軽く諌めると先生は心配そうに眉を寄せた。その間も涙が止まらないので、すん、と鼻を啜りながらポケットからタオルハンカチを取り出して目元を押さえる。


「だいじょうぶ、です。先生が結婚ってなったら、その、学校辞めちゃうのかなって思って、ちょっと不安なって」


 誰かの涙にどうにか理由を付ける自分が虚しい。ああ、出口間違ってますよ涙さん。

 思った以上に注目を浴びていてそれには焦ったけれど、私の発言に皆納得したように視線をまた他所に逃がしてくれたのでほっとする。


 しかしその中で一人、やけに目につく人がいた。

 私の盛りに盛った不安の吐露を聞いて、誰よりも同情的に同調的に共感的に顔を歪めていた彼。段々と勢いをなくしだした涙に安心しつつ、私は静かに確信した。


「水島さんにそう言ってもらえて嬉しいわ。でも安心して? 仕事を辞めるつもりはないの。だからまだまだこれからも皆の先生でいさせてね」


 高崎(たかさき)孝則(たかのり)。私の流した涙は彼のものだ。







 出席番号27番。高崎孝則。略してたかたか。いや略す必要はないけれど。帰宅部。美化委員に所属。成績は中の上。理数系に限れば上の中。目立つタイプではないが日陰にいるようなタイプでもなく、穏やかな性格は男女問わず好かれていて友人が多い。


 数日、高崎孝則を観察した結果、存外わかりやすい先生への好意が見えた。

 担任の先生が受け持つ授業とホームルームの時間になると心なしか背筋が伸びているし、先生を追うその視線はただ真面目な生徒と評すには過度なほどの熱が籠っている。

 生徒に人気な先生ではあるけれど、ああも露骨に恋心を向けている人は他にいないのではないだろうか。とはいえ周囲が彼の気持ちを知っている様子もないので、意識しなければ気がつかない程度のようだ。


 クラスメイトの純な恋など放っておけばいいと、自分でも思う。

 しかし、彼女の結婚報告について我が事のように浮かれているクラスメイトが、度々結婚相手の人柄や出会いなどを質問するのだ。満更でもなさそうな先生が頬を染めて語り、そしてその度に私は涙を流す羽目になっている。当然、誰かさんの代わりに。


 流石に勘弁してほしい。ついには放課後、先生から個別に呼び出されて心配されてしまった。

 誤魔化しがてら先生への愛を冗談混じりに語ったら面食らった後にお菓子を貰った。生徒にそこまで好いてもらえるなんて嬉しいわ、なんて照れた笑顔も貰った。


 ごめんなさい先生、その愛は私のものじゃないです。それに本体的には冗談でもないです。

 でも代理で泣いて代理で愛を語るまでしたのだから、代理でお菓子を貰っても構わない気もした。


 どこにでも売っているようなミルクチョコレート。ああ、なんだ。私、チョコは好きじゃないんだけどな。その場では笑顔でお礼を言ってポケットにしまいこむ。


 それから少し話したあと、英語準備室を出た。


 癖でポケットに手を入れるとチョコに指が当たり居心地悪く手を抜くも、数歩歩くと忘れてポケットに手を差し入れてしまう。癖とは恐ろしい。先生には悪いけど、教室に友人でも残っていたらこのチョコはあげてしまおう。


「……あ」


 教室には一人だけ残っていた。

 高崎孝則。略してたかたか。先生に恋する、思春期青少年だ。


「高崎くん、まだ残ってたの?」


 席に座って何やらぼんやりしていた彼に声をかけると、ハッとしたように肩と瞳を揺らした。


「あ、……水島」

「うん」


 彼と離れた自分の席に向かい、帰り支度を進めていると、思い詰めた様子の彼が目の前までやって来た。


 迷うような視線。赤らんだ顔。切なく寄せられた眉がどこか艶っぽい。意気込んだように手は拳を作っており、なんだかまるで今から告白でもされそうな雰囲気みたいだ。私は彼の好きな人を知っているため、それはないとわかっているけれど。


「あの、さ、」

「なあに」

「もしかして、水島って先生のこと好き、なの?」


 もしかして、私ってば失恋仲間認定されてるのかしら?







 確かにそれらしき状況にはなっていたのかもしれない。

 高崎孝則は先生が好きで、先生の結婚を思うと切なく泣きそうになり、そのとき私は実際に泣いている。同じ気持ちを抱えていると思われても仕方ない。


 とはいえ、彼のせいで毎日水分を無駄に使っているというのに、彼本人から同情めいた目で見られるのは納得がいかない。


「先生のこと好きなのは高崎くんでしょ」


 ぶわっと発熱したように彼の顔色が変わった。先程までも十分赤いと思っていたけれど、ここまで赤らむとなんだか毒々しい。


「え、あ、ええ、と、べ、別に、」

「うん、そういうのはいいの。ああ、それから私は高崎くんと違ってそういった好意は持っていないよ。でもお願いがあるのだけど」

「お願い……?」

「泣くなら自分で泣いて。もしくは早く失恋を乗り越えて」


 そんなお願いをクラスメイトからされる筋合いはない彼は当然怪訝な表情を浮かべたので、私は自分の体質について説明した。

 勿論、信じた様子はない。私が冗談だと言い出すのを待っている雰囲気を感じ、溜め息をついた。


「先生の旦那さん、初恋の相手である幼馴染なんだってね」

「……っ!」

「ずっとお互い思い合っていて結婚なんて、ロマンチックだよね。大企業に勤めていて優秀らしいし、凄く格好いいんだって」

「!? う、うわ! ちょっ!」


 ぼろぼろ泣いた。私が。

 歪んだ視界の向こうで彼が呆然としているのがなんとなく見えた。

 前触れなく真顔で泣き出す様子に、私の説明を信じたか、もしくはやばい奴と認識されたか、どちらだろう。

 まあ、信じる信じないはどちらでもよいのだ。


「とにかく、高崎くんのせいで毎日泣くの疲れたの。だから早く失恋乗り越えて」


 遅れて垂れてきそうになる鼻水をスン、と啜ったら、そっとティッシュを差し出された。有り難く受け取って鼻をかむ。


「……水島は、俺の代わりに泣いてくれてたんだ」


 静かな声が二人しかいない教室に響いて、私の体質を本当に信じてくれたらしい彼にこっそりびっくりした。恋する青少年はメルヘン対応しているらしい。







 今のクラス内のお祝いモードは暫くおさまる気がしない。何故ならば皆、先生と恋バナが大好きだからだ。勿論、本気泣きするほどに好きなのはそのうちの一名のようだが。

 恋愛感情を咎めたりはしない。ただ、今みたいに毎日泣かされては堪らないのだ。彼には慣れが必要と考えた。


「慣れ?」

「そう。別に、ちょっと悲しいだけなら私だって泣かないんだよ。小テストの結果が出る度に誰かの代わりに泣いてちゃいられないでしょ。私が毎日泣くのは、高崎くんの悲しいが毎回強すぎるからなんだよ」

「……」

「悲しいのは仕方ないよ。好きな人が結婚しちゃうんだもん。でも、その話題が出る度にあんな泣くほど強い悲しみを覚えてちゃ大変でしょ」


 どうにも彼は一途過ぎるようだ。真っ直ぐに先生を想い続けているから、その想いの分悲しみも大きなものとなる。わざわざ確認はしないけど、初恋に違いない。

 こういうタイプでなければ他の恋を探せと勧めたいところだけど、彼は気持ちの切り替えがすぐにできるとは思えない。


「だから、先生の話を聞き慣れて、少しでも悲しいが弱まるようにしよう」


 こんなこともあろうかと、先程の呼び出しで結構仕入れてきたのだ。先生の恋愛話。

 嫌な予感がしたのかやや引き攣った表情の彼を強引に椅子に座らせ、私は鞄からタオルを用意して握り締めた。


「み、水島……」

「まずは先生の初恋エピソードから語ろうか。……大丈夫だよ高崎くん」


 泣くのは私だから。







 泣いた。それはもう泣いた。ふわふわだった私のタオルは今、しっとりしている。


 小学生時代の初恋エピソードから始まり、先週行ったらしい式の打合せまで、少女漫画ばりに甘々な先生の恋愛話をひたすらに語り尽くしたのだ。


 そしてなんと、彼も泣いた。

 ギリギリまで堪えていたようだが、彼のダムが決壊したのはプロポーズシーンだった。確かにあそこは先生から旦那さんへの愛がよく伝わるシーンだった。映画化間違いなしだ。


 一度流れ出した彼の涙は止まることを知らず、ああ、こんなのを代理で請け負っていたら私もあれだけ泣くわけだ、としみじみ思った。

 予備のタオルを渡し、机に伏せってしまった彼を置いて飲み物を買いに行く。私も彼も水分をとらなくてはならないと判断したからだ。


 彼が自分で泣いたから、私の涙は止まった。少しひりつく目元を指でなぞりながら、胸を占める満足感に足取りが軽くなる。

 泣けなかった彼はようやく泣けて、ちゃんと失恋を受け止めようと必死に今も泣いている。慣れろ、なんて無茶を言ったけど、きっともうすぐ私も彼も泣かずに先生の惚気話を聞けるんじゃないかと思った。


 彼が泣き止んだ頃には外は暗くなっていて、どう見ても泣いたあとの顔をしている二人には有り難い帰り道だった。


「高崎くんこれあげるよ」

「なにこれ? チョコ?」


 喋りづらそうな鼻声が訝しげに問い掛ける。同じように鼻声で答えた。


「これは先生からの愛のお返し。だから、君のだよ」







 次の日から私は泣かなくなった。先生の惚気話はまだまだ絶好調だ。ならば高崎くんは、と思えば、彼も泣いてはいなかった。先生の話はしっかり聞いている。背筋を伸ばして、彼女だけを真っ直ぐ見つめる姿には変わりない。


「あれ、水島ちゃんが泣いてない」


 ふと振り返った野中くんが驚いたように小さく呟いた。


「前向け」

「励まされた」

「そうじゃない」


 なにやら一人で楽しそうな野中くんだが、しかし彼の言う通り、私は泣いていない。誰かさんの代わりに泣く必要はないのだ。

 それは誰かさんが失恋を乗り越え始めたか、もしくは、


「そうしたら彼がね、私のお父さんに向かって頭を下げてくれたの。お父さんも彼の真摯な態度に感動したのか、ようやく頷いてくれて、」


 先生のご両親に結婚の許しを得る編の話はもう聞いたからかな。

 というか先生、どんだけプライベート晒しているんだ。







 三年に進級して、私は理系クラスになった。高崎くんも同じクラスで、あれからほんのり仲良くなった私たちは行動を共にすることが増えた。


 文系教科を担当するあの元担任の先生との関わりはすっかりなくなったけれど、彼はどうやら失恋を完全に乗り越えたらしい。たまに廊下ですれ違っても気にする様子はない。


「たかたかくんはいつ先生のこと完全に乗り越えたの?」

「たかたかくんと呼ぶのはやめてほしいんだけど、うーんと、……ほ、他に好きな人ができてから、かな……」

「ほう」

「俺先に行くね!」


 興味関心ギンギラモードに移行した私に気がついた高崎くんが足早に逃げていった。素早い。移動教室に向かう途中だからどうせ行く場所は一緒なのだけど。


 他に好きな人かあ。また別の先生かな。でもうちの学年の先生、あの元担任以外は結構なおばさましかいなかった気がするんだけど。

 それか、後輩? 新入生? 美化委員長になったらしいし、面倒を見ている後輩に気になる子ができてもおかしくないのでは?

 もしそうなら教室で私が泣かされることはなさそうだな。うっかり泣きようものなら同じクラスの目敏い野中くんがからかってくるから困るのだ。


「先輩!」

「うん?」


 横からぴょーんと飛び込んできた男の子が、私の手を親しげに掴んだ。


「おー、ソウくん? 久しぶり」

「はいっお久しぶりです! 先輩と同じ学校に入れて嬉しいです!」


 久々に再会した中学の後輩の無邪気な笑顔に癒されて、よしよしと頭を撫でくりまわしていると、視界が突然歪んだ。


「先輩? どっ、どうしたんですか、俺何かしました……?」


 後輩がおろおろと困惑している。突然目の前の人間が泣き出したなら当然の反応だ。瞬きをすると大粒の涙がぽろっと頬を伝っていった。

 これは私のじゃない。私は後輩との数年ぶりの再会程度で泣くほど情緒に溢れてはいないはずだ。

 涙を拭いながら、私は近くにいるであろうヤツの姿を探した。


「大丈夫、目にごみ入っただけ。それじゃあまたね」


 おざなりに挨拶をして心配そうな後輩と別れると、廊下の陰に隠れていた高崎くんの胸ぐらを掴みあげる。


「泣くなら自分で泣け!」

「お、俺じゃない!」

「嘘つけ。そもそもなんで今泣いてんの? 五月病?」

「そ、それは、その、……仲良さそうに頭撫でてるから……」

「聞こえない。何?」

「なんでもない! その涙は俺のじゃない!」

「? ……あ、もしかして君の新しい好きな人って、」


 二秒後、彼が自分で泣き出したので私の涙は止まった。





連載の回収の方放置されてますが忙しいのでもう少し放置しそうです。

放置が心苦しく涙が出そうなので誰か代わりに泣いておいてほしい。


お読みいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ