第二話
【玉様の登場】
ショックに打ちひしがれている俺の背後から突然声がする。
「凌太朗! 鬼が暴れてる! 出動だ!」
振り返るとそこに小柄な少年が仁王立ちしていた。
「え?」
入部を断られたショックもあり、急な展開に思考がついていかない。
「こら、部員以外がいるときに」
佐藤先生にたしなめられて少年は動きを止めた。
ハッとするほど色素の薄い少年だ。この子は、日本人なのだろうか?
「ん?」
と、言いながら小首をかしげた少年と目が合う。
しかしこの少年、いつ現れたのだろ。扉が開く音も気配も感じなかったけど。
「これ、部員じゃないのか?」
小柄な少年は、キョトンとした顔で俺を指さした。
佐藤先生は俺の肩に手を置き「ごめんね~とりあえず今日は帰ってね~」と、耳元で優しくささやいた。
「ダメだ! 凌太朗! それも連れて行け!」
強い口調で少年は言う。凌太朗とは佐藤先生のことだろうか?
佐藤先生は困惑を隠さない。
「でもねぇ、玉様」
玉様? 佐藤先生は、この小柄な少年のこと玉様なんて呼んでいるの?
「行かなくていいのか。暴れてるんだろう? 鬼」
と、有君は冷静だ。
「そうだよ、行かなきゃ! でも彼は連れて行けない!」
駄々っ子を諭すような顔で玉様を見る佐藤先生に、野々宮萌香は淡々とした口調で語りかけた。
「きっと、何か見えたのよ。連れていったら?」
この先起こる最悪の展開を想像してでもいるのか、佐藤先生は目に見えて困惑していた。
「案ずるな! フォローは俺と有がする! なあ! 有!」
佐藤先生の苦悩などどこ吹く風と、少年が高らかに宣言する。
共犯にされた有君は、俺と少年を交互に見やり、ぼそりと「俺から、離れるな」そう言った。
何が起こっているのかは分からない。
でも、何かが起こっていることは確かだった。
しかしこれ、まるで特撮かアニメのワンシーンみたいだけど。
夢かな?
ねえ、神様?
【臆病風が吹く】
俺は途中からひどくリアルな夢を見ていたのかもしれない。
だってさ日々、妄想してきたことが現実になるなんて、ありえないだろう?
だいたいさ、実際、もし敵が襲ってきてもさ、せいぜいみっともなく逃げ惑うくらいで、よもやスポットライトが当たるような人種じゃないんだよ?
自虐的すぎるって?
そりゃそうさ。
俺ってさ、100M走のタイムも14秒48がベストタイムだよ?
そんな俺に特別な力なんかあるわけないじゃん!
いやいや、そんな力、あったとて困るだけだしね。
だって、俺、臆病なんだもん……
「ついたよ、ええっと? ごめん名前何だっけ?」
と、佐藤先生に呼びかけられ俺の意識はハッと現実世界に呼び覚まされる。
「あ、あ、あああ、こ、小山、です」
「小山、何君?」
「か、かなむ……です」
「よ~し、かなむ! 車から降りて! 目的地は狭いからここから徒歩だよ」
大日如来を祭る地元の小さなお堂のそばの空き地に、佐藤先生は愛車のエルグランドを止めた。
ここは、俺が小さいときは公園だったが今は遊具が撤去されてしまっている。
「そうだ、かなむだ、思い出した」
車に同乗していた有君は、車から降りながらそう言った。ちなみに野々宮萌香は留守番だ。
「え?」
「いや、ごめん、名前思い出せなくて」
「え? 忘れてたの!?」
有君は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「いや、その、ガキの頃お前のこと、かなちゃんって呼んでたじゃん? でも中学生にもなってかなちゃんって呼ぶの恥ずかしいし、でも名前思い出せなくて…あ、どんな字書くんだっけ?」
「うっ……いいじゃん漢字なんて別に」
何気に触れられたくないところだった。
「この家だぞ。ここに鬼がいる」
と言いながら玉様は、また突然に現れた。
いつからいたのだろう?
先回りしていたのか?
まるで、瞬間移動でもしているようだけど。
しかし、かび臭い、じめじめとした小さな路地だ。そこに所狭しと古い民家が並んでいる。
玉様が指さすのもそんな民家の一つ。小さな、今にも崩れそうな、古い古い、民家だ。
汲み取りトイレの匂いがする。厠と言った方がしっくりくるだろう。
「違うな、この中の人間に鬼は憑いているんだ」
そう玉様が神妙な顔で言うと、佐藤先生は「古い家なのに南天も柊もない、切っちゃったのかな?」と、おおよそどうでもいいようなことをつぶやいた。
「入るぞ! 凌太朗! 有!」
喝でも入れるかの如く玉様は高らかに言い放ち、率先して進んでいく。
俺も、俺もいかなければならないんだろうか?
「かなむは、ここで待ってて」
躊躇する俺の肩を佐藤先生は優しく叩いた。ホッとした矢先、振り向いた玉様が俺を指さす。
「いいや、お前も来い! かなむ!」
「え? え? あの…」
動揺する俺を玉様は、冷ややかに見やる。
「なんだ、来る気がないなら、そこにいろ!」
なんで、そんな、バカにしたような顔で俺を見るんだ?
「いや、だって、俺、今、何が起こってるかも分かって、ないし……」
俺は、ゆっくりと後ずさりをする。何とも言えない感情が押し寄せてくる!
「そうだよ、だって、何も説明されてない!」
いやだ! 怖い。
そう、怖いんだ!
だって、何かいる!
分かんないけど、何かいる!
絶対にいる!
何が?
鬼?
鬼って何?
「何度も言っているだろ? 鬼が暴れていると。この家の中に鬼が、鬼に憑かれた人間がいる」
玉様の声は冷淡だ。
「おおお、鬼? 鬼って言ってるけど、比喩とかじゃなくて、もしかして、本当の鬼なの?」
すがるように見た玉様の目は、とても冷ややかで虫けらでも見ているかのようで「他に、どんな鬼がいるっていうのだ?」と、吐き捨てるように言うのだった。
その時だ。
ぐおおおおおおおおお!!
地を這うように低く響く、唸り声。
闇をまとったかのように黒く渦巻く突風。
それは件の家からやって来るようだった。
間違いない。
これは、鬼の雄叫びだ!
【俺、鬼に憑かれる】
こちらが中に入るまでもなく、それは出てきてしまった。
足が、全身が、ガタガタと、勝手に震えだす。
あああああ、震え、止まらない。
動悸、冷や汗、暑い。暑いのに寒気がする!
目を、目を合わせてはいけない!
絶対!
合わせてしまったら?
得も言われぬ恐怖がこみ上げ、俺はその場にへたり込み、頭を抱え込んだ。
あれが鬼なのだろうか?
いや、さっき玉様が「鬼はこの中の人間に憑いている」と言っていた。つまり、あれは鬼に憑かれた人なのだ!
やせ細った年配の、男性だろうか? 女性だろうか? 判然としなかった。
しかも顔の右半分が爛れたように溶けていたじゃないか? 目は虚ろで、剥きだした歯は牙のように尖り、歯肉はやせ細って……
「いけない。変態が始まっている」
目を伏せ頭を抱える俺の耳に佐藤先生の悲しげな声が聞こえた。
反対に玉様は、やっぱり冷ややかで、淡々として言う。
「もう助からんな」
「はあ、気分は悪いが、行くぞ! 鬼斬り《おにぎり》!」
有君の声だ。いつも通りの、冷静な声だ。有君は、アレが怖くない?
「ねぇねぇいつも言ってるじゃん、先生つけてね、って。それから、おにきりだよ、鬼斬り《おにきり》、鬼斬り先生ね」
佐藤先生の気の抜けた声がした。先生もアレを恐れていないのだ!
「うるせーし! 細けぇー!」
「細かくないよ! おにぎりは、おいしいやつでしょ!」
電線がスパークしたような音の連続の中、有君と佐藤先生はどうでもいいやり取りをやめない。
「なあ、かなむ、おにぎりの具は何が好きだ?」
「え?」
玉様の思いがけない問いかけに、俺はハッとして顔をあげる。
「愚鈍だな。早く答えろ!」
玉様は俺を冷ややかに見降ろす。
「あ、あ、こ、こここ昆布です!」
「ふん。やっぱり、凌太朗と同じだな」
玉様は佐藤先生の方に視線を移した。
俺も思わず、そちらに視線を移す。
右ストレートが弾かれた有君が、吹き飛ばされそうになるのを踏ん張ってこらえている場面だった。
「チッ、こいつ大分、陰気を吸ったみたいだな。気合入れないとケガするな」
有君は右肩をぐるぐる回しながら、鬼を睨みつけた。
鬼は、ニィヤリと粘っこく笑って言った。
「そう、もうこいつの陰気は吸い尽くしたよ……結構な陰気だった。だが、まだ足りない…実体化するには…もっと、もっと…陰気が必要だ……」
ぐるうりと、鬼はあたりを見回し……
俺と、目が…
「お前だ!」
鬼は嬉々として叫んだ!
「あ、あああああああ!!!」
************
間違いだったのかもしれない。
かなむに図書部を紹介したのは。
かなむに目を付けた鬼は、地を蹴り突進していく。
かなむは、顔面蒼白になり悲鳴を上げる。ダメだ! 助けたいが間に合わない!
「かなむ! 逃げろ!」
「ダメだ! パニック状態だぞ!」
玉様が、少し嬉しそうに叫んだ。
「おにぎり! 何とかしろ!」
そう叫ぶまでもなく、佐藤先生はとうに動いていた。かなむを守ろうと駆け付け、手を伸ばし…だが、間に合わない。
鬼の方が、一寸早い。
パッ!
もうどうしようもない後悔が押し寄せたその時、辺りは、まばゆいばかりの閃光に包まれた。
「何が、起こったの?」
一瞬の後、佐藤先生の声が聞こえた。眩しさに目を伏せていた俺はゆっくりと目を開け、辺りを見回した。
鬼の気配がない。
吐き気を催すほどの陰気も消えている。
玉様が気絶しているらしい、かなむを見下ろし、言った。
「かなむを包む深淵のごとく陰の気に引き寄せられた鬼だが、かなむの中に渦巻く揺るぎなき陽の気で蒸発してしまったのさ」
「え?」
と、佐藤先生が驚きとも戸惑いともとれるような、なんだか少し情けない声を出す。
玉様は嬉しそうな顔で、佐藤先生を見据えた。
「陰気をまといながら陽の気を持つ、陰中の陽。凌太朗、お前と同じだ」
佐藤先生は驚いた顔をして、倒れているかなむを見つめた。
そして見る間に顔色が悪くなり、下唇を噛み締める。
幼いころ、じいちゃんが、かなむを鬼に近づけるなと言っていた。
それは、かなむも「鬼斬り」だったからなんだと、妙に納得した。