第3話 恋し、恋せよ
「ゆっ、許せませんわ~!」
キィィーっと、よくある悪者役の女の子がする、アレ。ハンカチの端を噛んでぐぐーっと引っ張るやつ。あの古典的な悔しがり方をしているのは、なにを隠そう、我が妹・レイチェルである。
人は、恋をすると変わるという。恋をした女の子は異性の目を意識して、きれいになる。表情が生き生きとする。時には悩んだり、涙することもあるけれど、それすらきらきらして、ひとつの青春だと思う。
そう、恋は人を変えるのだ!
「なんなの、あの女ァ!」
ああ、はしたない……普段の彼女からは連想できないような(?)口の悪さで、地団太を踏む。わたしはこの妹の果てしない癇癪をどうやって鎮めようかと首をひねっているところだ。
さて、いったいどうしてこんなことになったのか? 話は簡単だ。
恋敵――そう、そう呼ばれる存在が現れたのである。もちろんわたしのではなく、レイチェルの、だ。
今夜は待ちに待った男爵家での夜会。淡い黄色のドレスをきれいに着こなしたレイチェルと、濃い紺色と裾が紫のグラデーションになっているドレスを身に着けたわたしは、ふたりで参加した。父さまは仕事で、母さまは別の夜会に招かれていたから、ふたり。ふたりでのパーティーへの参加ははじめてかもしれない。
ともかく、はじめはよかった。わたしはなるたけ目立たないように扇で顔を隠してしずしずとしていたし、レイチェルはわくわく胸を躍らせ、ギルバートさまと楽しそうに話し込んでいた。わたしがギルバートさまに挨拶する間も与えず、だ。まぁ、今回はレイチェルがお呼ばれしてわたしがおまけだったみたいだから、いいんだけど……たぶん。
事の発端は、夜会も中盤にさしかかったころ。ひとりの少女、それも可憐な美少女が遅れて登場してきたことによる。
会場は彼女の登場にざわめいた。わたしも一緒にざわめきたかった。だって、すごくかわいかったから。
小柄な女の子だった。ふんわりとした栗毛は思わず撫でまわしたくなるし、丸い眼はぱっちりとしていて、瞬きするたびなにかが零れ落ちそうだ。色の強い赤のドレスを着こなしている様は素晴らしい。一見童顔なのに、挨拶の折に見せた態度は一流の貴族女性で、そのギャップにどよめく男心がよくわかってしまう。
彼女はもちろん、遅刻したことを詫びるために主催者であるマロイ男爵、ひいてはギルバートさまのもとへと参上するわけで。
「やあ、パティ」
「遅れてごめんなさい、ギル」
愛称を呼び合うほど仲が良さげだ。結果的にうちのレイチェルが唖然とした顔でふたりを見つめていた。
たぶん、ショックだったんだろう。端から見ただけでも、ふたりのただならぬ関係は明白だ。恋人かどうかは定かではないものの、そん所そこらの顔なじみとはちがう。あきらかに友達以上。元恋人か、親友か……そんな印象を受けた。
名探偵よろしく、ふむふむと考え込んでいると、パティと呼ばれた美少女がこそっと耳打ちするようにつづける。
「それより、お目当ての方はいらっしゃって?」
「いや、今夜はまだ見かけていないよ……」
肩を落とし報告するギルバートさま。わたしはちょうど彼らの背後で耳をそばだてていたので、ちょうど盗み聞くことができた。相変わらずレイチェルは呆然として意識が飛んでいるので聴こえなかったのだろう。胸をなでおろす。さしずめわたしは黒子だろうか?
「あら、残念。わたくしもお会いしたかったわ。噂の彼女に」
噂の彼女? だれだろう?
「君が興味をもつなんて、珍しいね」
「あなたがとても興味深そうにしていたからよ。楽しそうじゃない」
無邪気な笑顔のパティさま……でも、その眼には思わずぞっとしちゃうものがある。なんだろう、このこ、腹黒要員にしておこうかしら。
そんなことを考えていると、ふいに腕をとられた。えっ、と思う間もなく、ずんずんと進む。
見れば、レイチェルがすごい剣幕でわたしを引っ張っていくではないか! 会場は突如現れた謎の少女にくぎ付けだからいいんだけれど、ご辞退の申し出もせずに出ていくなんてイケメンの前では華麗なるぶりっ子を徹底的に演出するレイチェルにはあるまじき行為!
驚きすぎて反応できなかったわたしは、そのまま妹とともにバルコニーへとやってきた。
夜風が気持ちいい。髪をなぶる。
と、なんだか浸っていたい気分のところへ、レイチェルの雄叫び。必殺・ハンカチ噛みしめの刑、である。……つまり、よく貴族のお嬢さまなんかが『キィイ~!』ってやる、アレ。冒頭に戻るわけである。
「あの女! わたくしがギルバートさまとお話していたのに、途中から……ぬけぬけと! よくも!」
まるで親の仇のような言い草。この怒涛の妹を落ち着かせるのは一苦労だろう。
こんなとき、ふと思う。もしわたしが異性であったなら――レイチェルの兄であったなら。
美形の兄は癇癪を起す妹にそっと囁く。姫君に甘言を囁くそうに、瞳を濡らして、できるだけやさしい感じで。映画のようにドラマチックに。
『麗しのレイチェル。君に怒った顔は似合わないよ』
そんなふうに、口説き文句を炸裂させれば、我が妹のことだ。すぐに飛びつくだろう。ケロリと機嫌もよくなるに違いない。なんていったって、ミーハーだから。
まあ、わたしが女であることを嘆いても仕方がない。たしかに、嫉妬しちゃう気持ちもわかるし。
そっとレイチェルに近づき、なるべくやさしい声音で諭すように話しかけた。
「レイチェル、落ち着いて。ギルバートさまだってわかっていらっしゃるわ」
「なんですって」
「ですからね、きっとギルバートさまもあなたと同じ思いでいてくださるはずよ。愛しいあなたとの会話を邪魔されたんですからね」
にっこりと天使のほほえみと名高い微笑を浮かべてやる。さながら気分は、聖母ロクシーヌである。
あえて言おう、今のわたしは自他ともに認める、『顔は美少女』であると。
たしかに、わたしが兄であったならば、妹を口説くがごとく宥めるのもお茶の子さいさいだ。けれど、姉であるわたしだって、やれないことはない。ちょっと腹に力を入れて笑顔のキープに努めるから疲れるけれども。頭のなかでのBGMは聖歌だったりする。
今でこそひどい嫌われようであるが、小さなころのレイチェルは、「お姉さま、お姉さま」とわたしの後をついてくる甘えん坊さんだったのだ。わたしが笑顔を向ければうっとりして「わたし、お姉さまのお顔、すきっ」って言ってくれたのだ……そう、どのような理由であれ好いてくれていたことにちがいはない!
その余韻だろうか、今でもわたしの『対レイチェル用笑顔』は有効らしい。ぽっと頬を染めてうっとりとこちらを見つめてくる我が妹に、わたしは内心ほくそ笑む。
まぁ、実際ギルバートさまと件の美少女の関係は知れないけれども、レイチェルの機嫌がすこしでもよくなったなら万々歳だ。遠い他人より近い身内、もとい自分自身の平穏のためにね。
レイチェルの癇癪が爆発したら、そりゃもう手もつけられないんだから。ほっと胸を撫で下ろした。
傷心したレイチェルにお姉ちゃんはアドバイスしましたとも。だってギルバートさまとの仲を応援するって決めたもの。敵は手ごわいだろうけれど、がんばってほしい。
「押してダメなら引いてみろ?」
わたしの言葉をオウム返しに繰り返した妹に、うんうん、と頷いてやる。
「殿方は押されて『あれ、レイチェルって俺のこと好き?』って気になるの。でも、そんなあなたがちょっと冷たくしたら……『ど、どうしたんだ? なにかしてしまっただろうか』って、あなたのことで頭がいっぱいになるのよ」
わたしの一言一言に、レイチェルは目をきらきらさせている。いつもこんな素直ならいいのに。あ、でもそれじゃあレイチェルじゃないか。
「わかったわ! ヤキモチ作戦ね」
「そ、そうそう」
レイチェルは喜々として、さっそく実践しようと戦場へ戻っていった。頼もしいことである。
それにしても。
気になるのはパティさまの他に、ギルバートさまが気にしていたという『噂の彼女』のことだ。どうやらまだ会場にはいらしていないらしいが……いったいだれなんだろう。
三角関係は大変だからな。願わくは、レイチェルとギルバートさまが両想いになりますように! それで我が妹君は殿下に対する野望をあきらめてくれますように!
どうせ恋するなら、届く距離で、幸せな恋愛をしてほしいから。
さて、わたしもそろそろ会場に戻りますか。
夜風でやや冷えた身体を抱き込むようにして、そっとバルコニーから出る。と、ちょうどレイチェルが目に入った。というか、むちゃくちゃ目立っていた。
「ああ、その可憐な瞳にはどんな宝石も叶うまい……あなたは美の女神よりうつくしい……どうか僕だけの天使でいてくれ……」
「ま、まあ……そ、そのような本当のことを……」
がくっと足を滑らせなかったわたしを誉めてほしい。レイチェルもレイチェルであるが、口説く男も男だ。なんだその三流芝居みたいな台詞は。
思わず半笑いになった相手を見て、「げ」っと目を見張る。
きらきらのブロンドの髪に、あまいマスク。口元のほくろがセクシーなその美青年の名は、デニス・ホール。平民でも王族でもところ構わず美女なれば口説きまくるという貴族界に浮名を轟かせる軟派男である。
わたし、こいつが大の苦手である。だって、とにかくサムいのだ。
出会いのときもそうだ。「ああ、なんてうつくしい! 麗しの女神も脱帽の美貌だ。僕は愛の女神に感謝するよ。なんたって、こんなにきれいな乙女と出逢わせてくれたんだからね」とウインク付きで言われたときは鳥肌がたった。美形はなんでも許せる、というのは間違いである。このサムさはいただけない!
それに、だ。凄まじいスキンシップと、すぐに暗がりに誘い込もうとする紳士にあるまじき行為に嫌気がさして、思わずビンタしてしまった。その拍子に、彼のほくろが取れたのである。取れたのだ、その、セクシーなほくろが。
付けボクロー! っと叫びそうになる声を飲み込んだわたしに、彼は叩かれた頬を抑え、「とんだじゃじゃ馬だ。僕の美貌を理解できないなんて、君は狂人なのか」と逆ギレされる始末。
それからはパーティで会うたびに嫌味の応酬。しかも、彼はねちねちした性格で、ことあるごとにわたしの噂をでっち上げてところ構わず広げるのだ。そう、このデニスという男も、『悪女セシリア』の名高さに貢献しているひとりである。
トホホ、と肩を落とす。レイチェルめ、頬を染めやがって。ギルバートさまはどうしたよ。恋してたんじゃないの?
なまじっかデニスはイケメンなのだ。レイチェルが食いつかないわけがない。
「どうして、今まで僕は君の存在に気づかなかったんだろう!」
――そりゃあ、わたしにばっかりちょっかい出してましたからね。よくも悪くも。
「女神は悪戯好きだな、まったく。ああ、でもやっと君といううつくしい人に巡り合えた」
――どうせなら、一生会わせたくありませんでした。ナルシストめ。
「ミス・レイチェル。どうかその御手に口づけすることを許してくださいますか?」
そっとレイチェルの手をとり、切なげに問いかけるデニス。
「君の瞳に、乾杯」
バチン、とウインク付きキメのドヤ顔でそう言い終えたデニスは、顔を赤く染めてうっとりするレイチェルの許可を待たずに唇を近づけた。ああ、こいつ、自分が拒否されるだなんて思ってもみないんだな。
そのときにはすでに、わたしは奴の背後にいて。
「おやめください、虫唾が走りますわ」
冷ややかな声で言い放ち、レイチェルの手からデニスの手を叩き払っていた。
周りから、好奇心にあふれたまなざしが集まるのがわかる。目立つ、目立つよ。でもね、やっぱり妹をこいつにあげることだけは納得いかん!