(4)
「招待状?」
それはあの忌々しい事件があってから数日後のことだった。
リカちゃんことリカルド・グスターヴからは何度も謝罪の手紙が届いた。マメで誠実なリカちゃんらしい。そうして弟想いな彼は、「ハロルドも決して本心から君にいじわるを言ったわけじゃないんだ」とか「でたらめな噂がなくなるように弟と一緒に尽力するよ」だとか言葉を尽くしてフォローしてくれようとしていた。が、おそらくすべて逆効果な気がしてならない。
リカちゃん、ほんっとに空気読めない天然だもんなあ。
人の噂も七十五日というけれどわたしは信じていない。もう何年も積み重ねてきた悪女の噂をさらに助長する事件――ハロルド騎士との会話により、わたしの毎日は憂鬱だった。
人は事の真相を知りたがるより、不幸を広めたがる。噂はわたしを最悪の女に仕立て上げ、ハロルド騎士を悲劇の主人公のように同情を誘うものとなっている。
レイチェルが顔をこわばらせてその噂を知らせてくれたとき、愕然とした。本当、散々だわ!
毎回毎回、これでもう地に落ち切ったと思うのに、毎回毎回、それ以上のひどい言われようになっている。底が見えない。
そんな折、一通の招待状がアルバート家に届いたのである。夜会にご招待、らしい。レイチェルなんてうれしそうに顔をほころばせ、なにを着ていこうか胸を躍らせている。わたしの噂のせいで、彼女やアルバートの家にまで火の粉が飛んでしまったようで――とはいってももともとそれほどいい噂のない我が家であるが――招待状がくるなんて驚きの出来事だったのだ。すくなくとも、ほとぼりが冷めるまではどこからも招待なぞされぬだろうと思っていた。
いつもは逆なのに。レイチェルの粗々や、母さまの高飛車な態度、父さまの賄賂事情などが『アルバート』という名を蹴落とし、『さすがは悪女セシリアの家族だ』となるのが常で、そんな悪行がセシリアの悪名につながってあることないこと付け足されていくのだけれど。今回はわたし自身が起こしてしまった出来事だから、文句のひとつも言い難かったのだ。
「他人の過去を面白おかしく暴き立て、笑いものにするのが好きな女に招待状だなんて、物好きもいたものね」
なんとなく自虐的になって、クリーム色の封筒を片手で弄びながら紅茶をすする。奇怪な差出人は――マロイ男爵の倅こと、ギルバート・マロイさま。
な~んだかいい予感はしない。断れる立場だけど、精神的には断りづらい。今再び絶頂期の悪女に誘いをかけるなんて、本当に心優しいのかはたまた笑いものにしたいのか。勘ぐってしまう。
パトリー公爵の夜会では憎き怨敵のせいで長居する気にもなれず、ギルバートさまにはお会いしなかった。しかし、レイチェルはふたりきりで話ができたようで、ギルバートさまの話題を出すと機嫌がいい。
うーむ、と唸っていると、レイチェルが眦をあげて口をひらいた。
「お姉さま! お誘いは『ご姉妹で』でしたけれど、本当は『わたくしに』ですわ! お姉さまはわたくしのお零れをいただいたのですよ」
「え?」
「お優しいギルバートさまのことですもの、わたくしひとりを誘ってはお可哀想とでも思ったにちがいありませんわ」
なら、誘われないほうがよかったのに。
「ですから、お姉さまは目立たずにいてくださいね」
「それならわたし、今回はお断り――」
「まあ! それはありえませんわ」
あ、ありえないの?
「外聞を気にしてください。わたくしに恥をかかせないで!」
わっと癇癪を起したレイチェル。
「レイチェル、わかっているわ。だから、諸悪の根源のわたしなどいないほうが、あなたにとってもやりやすいんじゃなくって?」
「そうよ! お姉さまが全部、全部悪いのよ! 昔からお姉さまのせいで、わたくしは白い目で見られてきたわ! 仲良くしていたお友達もみーんな離れていってしまったわっ」
眉を引き上げ歯を剥き出し、レイチェルは唸るようにつづける。
「お姉さまはいつもわたくしの足を引っ張ってばっかり!」
「ええ、だから、」
「いつも、いつもよ! そうでしょう? いつもだわっ! 今回も、前回も、きっとこれからもそうなんだわっ」
「……ええ?」
「だから今更辛気臭い顔してたって無駄なのよ! きちんと償ってもらうんですからねっ」
顔を真っ赤にしてぷりぷり言い捨て、「参加、けれど目立たずに!」と念を押してからレイチェルは部屋を出ていった。
あっけにとられ、しばし呆然とする。
まーったく、なんて言い草だろう。憎めないのは、姉妹だからなのかな? どこか遠くから怒鳴られている感じがする。
前世の記憶があるから、かもしれない。
この世界はファンタジーで。だからレイチェルって存在も夢幻みたいなファンタジー。
わたしの現実なのに、あたしには夢みたいな世界だから。
「夜会、ねぇ……」
紅茶をすべて飲み干し、ふぅ、と息を吐き出す。
ともかく参加するしかないみたい。噂を挽回することは難しいだろうから、レイチェルの言うとおりおとなしくしていよう。いつもどおりなら――といっても、最近はなにかしら巻き込まれている気がしないでもないが――、できるはず。
それにしても……ふと、数日前の出来事を思い出した。
同じ口の悪さでも、ハロルド騎士には本当に本気でむかっときた。いつもなら適当にあしらえる程度なのに。なぜかしら。
夢幻、なのに、現実みたい。
「ま、いっか」
わからないことをいつまでも考えつづけていても、答えはでない。馬鹿らしい。なるようにしかならないのだから、ドンと構えて当日に臨もう。そうさ、女は度胸!
柳眉を逆立てたレイチェルを思い返し、再びため息をつきたくなるのを我慢して、苦笑にとどめる。
「恋、かァ」
もしかすればレイチェルは、本気でギルバートさまのことを狙っているのかしら。よくも悪くも猪突猛進、まっすぐすぎる彼女は気の強さと口のきつさが災いして男に恵まれていない。
いや、美人だからモテるにはモテるんだけれど、いわゆるダメ男につかまっちゃうのよね。それが余計に『悪女』の妹の株を悪いほうへと引き上げているんだけれど。
今のところ、ギルバートさまはちょっとキザっぽいけれど、あまり悪い感じはしていない。なによりダンディ・ロマイ男爵の息子さんだし。男爵の権力くらいじゃあ満足しないだろうと勝手に思っていたが、レイチェルが狙うのなら、応援しちゃおうかなぁ。
「よし!」
気持ち新たに入れ直し、拳を握る。
お姉ちゃんはかわいい妹のためにひと肌脱ぎますよぉー!
結局のところ、リカルドのブラコンぶりに負けないくらい、わたしもシスコンなのかもしれない。
ある種のお兄ちゃんもお姉ちゃんも、年下のきょうだいを猫かわいがりしたくなるものなのよね、きっと。アルバートの次女はグスターヴの次男とちがって姉を目の敵にしておりますが。
そういえばいつからだったかしら。いつから、わたしはレイチェルに嫌われてしまったのかしら。
やっぱり悪女の噂が横行したくらいから……いいえ、もうすこし以前だった気がする。思春期ね、と思って侮っていたらバベルの塔のように高い壁がレイチェルとの間に隔たってしまったのよねえ。
機会があったら、リカちゃんに兄弟仲がよくなる秘訣でも聞こうかしら。ああ、でもリカちゃん本人はハロルドさまに疎遠にされていると思っているんだっけ。アツアツの恋人くらいお互い想いあっているじゃないのよ、まったく。
いっそハロルドさまをリカちゃん絡みでからかってやろうかしら。いつかギャフンと言わせてやる……!
ひとり部屋でせせら笑うわたし。きっとおとぎ話の鼻のとんがった魔女みたいだったに違いない。
ま、悪女よりかマシか。