(3)
もし、「おまえは魔女か」と問われれば、わたしは否と答えるだろう。
魔女。とんがった鼻、しわしわの手、赤色の瞳、欠けた歯、そして不可思議な魔法。それがあたしの魔女のイメージであり、必然的に記憶としてイメージを受け継いだわたしも、そのままそっくり魔女をイメージする。つまり、わたしが魔女である要素は皆無だ。
ただしここで、「おまえは悪女か」と問われれば、はっきりなんと言っていいものかわからない。本心はもちろん否定したいけれど、前科がある。リカちゃん改めリカルドさまの遅い初恋を踏みにじったのはわたしである。反省しているし、今ではお互いに男女にはありえないと言われている『友情』を育んでいるわけだけれど、それでも後ろめたさは拭いきれず、潔白を叫ぶことも憚られた。
そもそも、だ。わたしはどうやら弟君を美化しすぎていたようだ。
改めてまじまじ見ると、夜会用の濃紺に染まった軍服にはきらりと光るいくつかの襟章やら王族に認められた印である白い肩章やらがこれ見よがしに飾られている。すくなくともわたしの目にはひどく滑稽にうつった。ただの僻みだとわかっていても、わたしは妬まずにはいられなかった。
どうしてこんなどうでもいい疑問を抱き悶々しているかといえば、すべては目の前にいる男が責務を負うべきだと声高に主張したい。
「弁解はないのか」
諸悪の根源は静かな怒りをまなざしにのせて、唸るような声音で再度問うてきた。わたしの後ろではリカちゃんが必死になって弟君を止めようとしている。
そう、つまり諸悪の根源とは騎士さまこと、ハロルド・グスターヴさまである。
待ちに待ったパトリー公爵の夜会は盛大で、王宮で行われた舞踏会に負けず劣らずの賑やかさだった。パトリー公爵は政治に関する権力は実質ないものの、古くからある家柄のおかげで広い人脈をもっている。そこに目をつけた父さまはさすがだ。公爵お抱えの魔導師にもお安く魔法道具(賄賂)を送っている。
話がそれた。つまり、公爵家の夜会にはたくさんの有力貴族も参加しているわけだ。
なるたけ目立つ行動は控えようと思っていた。リカちゃんあたりと一言二言かわし、面目を保ちつつさっさと帰ろうかなとさえ考えていたのだ。
だがしかし、わたしのもくろみは尽く崩されてしまった。グスターヴの兄ではなく、弟のほうが先にわたしを見つけ、こちらに一直線にやってきたのだ。にこやかとはお世辞にもいえない、眉間にしわを寄せた怖い顔だったので、ちらちらと周囲のひとたちの目をひいた。
「やはり噂どおりの女だ」
周囲には聞こえないほどの声でつぶやき、ハロルド騎士は冷たい目でこちらを見すえた。仕方なく、いやむしろ、ここまで言われて黙ってられず、わたしもようやっと重たい口をひらく。
「騎士さまがなにをおっしゃりたいのかいまいち理解しかねますが、たしかにわたくしはセシリア・アルバートでございます」
「それはどちらのアルバートだろうか」
独り言のように騎士さまがおっしゃったが、鋭い眼光には問いかけの色がある。
「と、言いますと?」
「魔力なしの無能か、魔力ありの本物か、ということだ」
「ハロルド! いい加減にしなさい。そのようなことを言うものではない」
あまりの言い草に、ついにリカちゃんの声が大きくなる。さらに周囲の注目度もあがった。
たしかに神話どおりなら、アルバートはかつて有力な家系であり魔法に秀でた血族であった。それがいつしか廃れてゆき、今ではお父さましか魔力を保持していない様である。父さまが先祖がえりと言われるほどの魔力を手にしたおかげて、今のアルバートには爵位が与えられているのだから。そうでなかったら、もはや神話にしか残らない没落貴族もいいところである。余談だが、父さまは婿養子である。しかし、遠縁にあたるがれっきとしたアルバートを祖先にもっているので、先祖がえりと言われても間違いではない。
反対にグスターヴはもともと魔力をもった家系ではない。どちらかといえば王の補佐官であり、時には武力で、時には知力で君主を支え、権力の近くで生き抜いてきた血族だ。つまり、ハロルド騎士は武力で次期王のアレックスさまの側にいるわけだから、祖先の役割を今も全うしているといえるかもしれない。
ただし、神話的にいえばこれは裏切り行為。だってグスターヴのはじまりは、王ではなく神の補佐官だったのだから。
「お言葉ですが兄上、俺の言っていることは事実です」
しっかし、この騎士さま、本当王子さまの前じゃなければ口が悪い。
「ただの無能が親の七光りで爵位の上にふんぞり返っているのでは、民に示しがつきません」
「そうではない、セシリア嬢は――」
「……ハロルドさま」
リカちゃんの言葉を遮り、わたしは口を切った。辺りはしん、と静まりかえる。
「それではあなたはなんなのです。家を捨てたのですか、血を捨てたのですか」
「なに?」
「貴族として兄を支えるでもなく、『貴族などきらいだ』と家を飛び出したというではないですか。それとも『グスターヴ』という血を嫌って自ら王へと身を捧げたとでも?」
つまり言いたいことは、『貴族の仕事なんてまっぴらごめん! 俺は親の力に頼らず騎士になって光り輝くんだ!』と若気の至りで家を出ていったのか、それとも『神話のようにアルバートに仕えるグスターヴなどと世間で見られるのもこりごりだ。ならばいっそ神話のタブーと言われようと、騎士になって王へ仕えよう』と考えていたのか……ってこと。
言い過ぎたかもしれないが、こっちだってひどいこと言われたのだ。おあいこだろうと、ふんと鼻を鳴らしたのもつかの間、現実は厳しい。
「まあ、なんて言い草なんでしょう! あんまりだわ」
「さすがはあのセシリア・アルバート! 騎士さまがおかわいそう」
不幸なことに、わたしの声はしんと静まっていたその場に響いていたらしい。ハロルドさまの発言は、彼が声を低めていたこともあったし、周りもそれほど注目していないときだったからきちんと聞かれていなかったみたい。加えて、『悪女セシリア』の噂が追い打ちをかけるようにわたしの発言の印象を尽く悪くしていく。
結果、悪者はわたし。
たしかに神話の禁忌だなんて言ってハロルド騎士を馬鹿にしちゃったかもしれない。どういった真意をもって彼が家を飛び出したかはわからない。それは彼と家族との問題であって、わたしが口出しできることじゃない。触れないのがマナーであり、周囲の暗黙の了解なのだ。
リカちゃんははっきり教えてくれなかったけれど、実はグスターヴの家とハロルド騎士は微妙な立ち位置の関係なのかもしれない。彼は血や家ではなく、あくまで個人として王家へ仕えているのだと言っているのだから。
それでもやっぱり、あんまりだと思う。
“あたし”、前世でなにか悪いことした? すくなくとも、今『記憶のある前世』では特に目立つことなく生きてきた。犯罪だって犯してない。そりゃあすべてが善行だったとは言わずとも、ちょっとした悪戯とか、人並みな悪巧み程度だ。断じて凶悪犯罪者、とかではないわけで。
「“わたし”がなにをしたっていうのよ……」
思わず口走った言葉は、今のわたしの心境を切実に訴えていたと思う。
報われない悲しみでも周りの目からの絶望でもない、怒りだ。
「冗談じゃないわ!」
顔をあげ、キッとにらみつけて吠えた。
だって卑怯よ。ずるいじゃない。なんでわたしばっかり、白い目で見られるのよ。こっちは、この間痛めたであろう手首を心配していたっていうのに。憤慨しちゃうのも仕方がないわよ!
「出会ってすぐ挨拶するでもなく、開口いちばんに『貴様が噂の悪女か?』ですって? そんな聞き方されたくないわ」
わたしの口は止まらなかった。たとえ、これで『悪女』の噂にさらに拍車がかかろうが、知ったこっちゃない。耐え忍ぶのはもうこりごり! だって、悲しいかな、一向に噂は改善しないんですもの!
ハロルドのお馬鹿さんは、わたしの勢いに一瞬たじろいだものの、すぐにすごい剣幕でにらみつけてきた。
「なら弁解でもすればいいだろう。だんまりでは、こちらも戸惑うだろう」
戸惑う、ですって? どこが戸惑っていたのよ。せせら笑っていたじゃない!
「短慮ではございませんゆえ、考えていたのです。偉大なる騎士さまには、どのようにお話すればよいのか、言葉を選んでいたのですわ」
おまえのような話を聞かない分からず屋にはなにを言っても言い訳としか取られないだろうがなぁ、と『あたし』が心のなかで吠えたてる。いったん呼吸を置いたことで、『わたし』はなんとか表面上落ち着いたけれど。
「ほぅ。ではさっそく、無駄な長考の末に浮かんだ言い訳をお聞かせ願えるだろうか?」
「生憎わたくし、聞く耳をもたない方にお話して差し上げるほど辛抱強くはございませんの」
しらっとして言い切り、扇子で口元を覆う。
ぴくり、と騎士の片眉が動いた。
「貴様は……俺に家を捨てたのか血を捨てたのかと問うたが」
低い低い、唸るような声だった。眉間にしわを寄せてにらみ返す。腹に力を込める。そうでもしないと、震えてしまいそうなほど、強い殺気に似たものを放っていたから。
「たとえ血や家への裏切りだろうが、俺が貴様に仕えることだけはない。絶対に。おまえのような、偽物の、裏切者のアルバートなど――!」
「ハルっ!」
あとにハロルド騎士がつづける前に、わたしが彼の頬をひっぱたく前に、リカルドが飛び出していた。弟の腕をきつくつかみ、彼には似つかわしくない、底冷えするような怖い表情で。
しばし沈黙がつづく。兄弟ふたりはにらみあったままぴくりとも動かず、わたしもぴりぴりした空気を肌に感じながら見つめているしかなかった。
こんなに怒ったリカちゃん、はじめて見た。そのおかげか、怒りがふっと一瞬で消えちゃった。拍子抜け、したみたい。
どれくらいたっただろう。やがて、ハロルドが悔しげに顔を歪めながら、わたしとリカちゃん以外の周囲には聞こえないくらいの声で言った。
「……兄上は、騙されている」
「なに?」
「その女に、弄ばれたと……俺が知らないとでも? 宮中では噂が立つほど有名な話だ。兄上は被害者なのに……なぜ、その女をかばうのです」
……あら? もしかして。
悔しそうなハロルド騎士の顔には、切なそうな、いたわりの色があった。
もしかして、彼はリカちゃんを心配しているのかしら。噂で兄が悪女の餌食になったと聞き、それで過剰なまでに怒っていたのかしら。
希薄な関係の兄弟ならまだしも、リカちゃんは見るからにブラコンだし……ハロルド騎士も、彼は彼で兄を尊敬しているのかも。または、勝手に家を出て責務を放り出し兄に任せっきりにしていることへの罪悪感でもあるのかしら。
リカちゃんも怖い顔を引っ込め、きょとんとし、次いであきれたように脱力して肩をすくめた。
「おまえ、誤解しているよ」
苦笑まじりなリカちゃん。騎士さまは怪訝そうだ。
もし噂を信じ切り、文字通り弄ばれたと考えているなら、その兄がいまだ悪女と交流をもっている事実は理解しかね、耐えかねることだったんだろう。
ちょっとしたほほえましさと呆れ、それから羨ましさを感じて、わたしは小さく息をこぼした。
……とりあえず、周囲のわたしを見る目はさらに『悪女』となったことに変わりはないのだ。大事なところは聞こえない、わたしが暴言を吐いたことだけが異様に強調された出来事になってしまったのだから。
ここまでくると、なにかの呪いじゃあないのかしら。そう思いたくもなるわ。とほほ。