第2話 アルバートとグスターヴ
「そもそも、アルバート家のはじまりは王族のはじまりと言われております」
朗々と語る家庭教師の声に、眠気が襲ってくる。もう何十回と聞かされた話だ。レイチェルなんてつまらなそうに唇を突出している。
王宮から帰った翌日から、父さまの作戦は決行された。
神話や歴史、そして近代の家事情に詳しい教師を雇い、父さまはわたしとレイチェルに学ばせている。これまではさらりと習ったことを、知識として蓄積させようというのだ。分野は『神話』と言われたけれど、たぶん、『グスターヴの情報を知れ』というのが本音だろう。
父さまはおそらく、わたしかレイチェルをグスターヴへ送り込むつもりだ。王族とお近づきになるには父さまの力はまだ充分とはいえない。だから、今最も王家に近い家系、つまりグスターヴに賄賂を贈りたいようだ。
はっきり言って無駄だと思うが、従うふりをするしかない。父さまの野望は我が家の安寧にもすくなからずつながっているのだから。
「今や魔力をもった人間はめっきりすくなくなってしまわれました。あなた方の曾祖父の御祖父様にあたりますルバディさまのころはまだしも、今現在お父上カルロスさまのように類い稀な才覚で魔力を覚醒された方は、本当にすばらしいのです。あなた方はそれを誇らなければなりません」
レイチェルは、王族へ近づくためのやる気は充分すぎるほどあるようだ。まさしく、父の願いを心から実行しようとしているのである。かといって、古臭い伝説といっても過言ではないアルバートとグスターヴの神話を学びなおそうとは思えないらしい。わからなくもない。
「昔々、強大な魔力を持つ神がおられました。悪が君臨していた世界を光で一掃し、神はその力を己のためではなく、人々のために使われたのです。神はうつくしい銀の獣を従え、そうしてこの世界『スティーラ《星のいとしご》』を構築されました」
だいたい、無謀だと思わないのかしら。たしかに父さまはお偉い人々に顔が利くけれど、それは莫大な富があるがゆえ。あの王子さまたち、ひいては騎士さまに欲にまみれた賄賂が通用するとはとてもじゃないが思えない。むしろ訴えられかねない。
「神は世界を、人々を導きました。しかし世界は広く、とてもおひとりではかないません。そこでひとりの補佐官を選んだのです。人間の、とても罪深き補佐官です」
王宮のなかが、政治を操る人間たちが純粋できれいなままだなんて思ってるわけじゃない。すこしくらい汚いことしてのし上がるのも手段なんだろうと、実の父親を見て学んだ。
父さまは先祖がえりかと思われるほど魔力があるらしく、魔力の結晶を売ってお金を得ていると聞いた。今現在魔力を満足に持ち扱える人間は、この世界に両手の数しかいなくて、魔術師はほとんどを魔法道具に頼っている。けれどもし魔力の結晶がひとかけらでもあれば、それは魔法道具の数倍の威力を有しているらしく、求める魔術師は多いのだ。
「その補佐官はかつて、災厄でありました。人間を裏切り、悪についていた者でした。それでも神はその裏切り者を補佐官へと選んだのです。『影は光のないところにはできない。強すぎる光は影を生む。また、闇を照らすのも光であり、光を生み出すのも闇である』とおっしゃって……そうです、かの有名な《神の慈悲》であります」
よって一目置かれる存在になった父さまは、ときどき魔力の結晶を賄賂にして出世していった。廃れ、名ばかりの『アルバート』に成り果てた我が家を、一気に爵位もちの『アルバート』へと変貌させたのだ。
なんでも若いころは魔力なんてほとんどなかったらしいのに、結婚してから開花したらしい。わたしたちには出し惜しみして見せてくれないけれど、父さまの魔力は先祖さまに負けず劣らずの純度みたい。
「そうして神は名を与えた補佐官とともに世界を新しくし、導いていったのです。やがて魔力は《スティーラ》の全土を満たしました。我々はその恩恵を今も受け継いでいるのです」
話を戻そう。とにかく、無謀なのだ。いまさらもう一度神話を学んでも、騎士の家の情報をつかんでも、彼らをわたしたち姉妹が懐柔できるわけがない。それこそ、色気を出して誘惑すればいいのかしら?
ん、嫌な予感……もしかして、父さまもわたしの噂を知っているうえで命令しているのかしら。つまり、『悪女セシリア』の出番を心待ちにしているのかしら?
「神は天に返るそのとき、ご自身のこどもを王と定めました。王は補佐官のこどもとともに、さらに発展した世界を築けるよう心を砕きました。しかし、数千年と時が経つにつれ、人間の心には再び悪が棲みつき、戦乱の世《悪魔の遠吠え》がはじまるのです」
ま、まさか! 本気かしら?
いやいやいや、父さまだってわたしの性格わかっている……のかしら? まさか噂のセシリアを真に受けているのでは……?
「三百年ののち、《スティーラ》は五か国に分かれ、それぞれ別の王を戴きました。わが国にはご存知のとおり『ドルド』の血脈を受け継いだ王が立ちました。神の子孫であらせられるかつての王は、戦乱を抑えられなかったことを自責し、自ら王の座を退いたのです……《名誉ある奉還》と呼ばれる出来事です。ああ、なんて気高い!」
嘘でしょ、本当に? わたしがお色気たっぷりに、「ねぇ、騎士さまぁ。殿下をご紹介あそばしになってぇ~」なんて誘惑しながらお近づきになれるとでも? 喜々としてその役目に応じるとでも?
「さあ、お二方。もちろん神の名をご存じでしょうな? 神の御名は『アルバート』。そして補佐官の名は『グスターヴ』。それぞれ先祖の名を家名にし、受け継いできたのでございます」
「ご冗談でしょう?!」
「……ミス・アルバート。冗談などではございませんよ。あなたは神話に詳しいはずでは?」
ぱっちり目を見開き、わたしは目の前の老人をながめた。いや、家庭教師の先生。実をいえば神話なんてすっかり覚えていないレイチェルのために長々と語っていた先生だ。
眼鏡をくいとあげ、ちょっと目を見張っている老人に、あたしはあわててホホホと微笑する。
「すみません、感激のあまり声をあげてしまいましたわ」
「淑女たる者、そう叫ばれるものではありませんよ」
「ええ、見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんわ。ですが、本当に感激したのです。わたくしたちが、崇高なる神の血を一滴でも受け継いでいるなんて……鳥肌が立ちますわ!」
もはや演劇に近い。舞台女優のように、身を震わせて声をあげる。
昔は、よくやった。『貴族の女性』ってよくわからなくて、前世のイメージどおり「ちょっと高飛車な女の子」を想像し、真似ていたのだ。それがやがて『悪女セシリア』の一因になるなんて気づかなかったよ!
「おお、そうですよセシリアさま! 神の! アルバートさまの!」
生憎、家庭教師さまはうちの父の大ファン、熱狂的支持者、らしい。というか、アルバート狂? いつかアルバート教を創り出してしまいそうである。
神話にあるとおり、国のはじまりはアルバート家の先祖であるとされている。同じく古来よりグスターヴと並び尊ばれているはずの我が家は、しかし正直にいえば、現在は雲泥の差もいいところである。
王をドルドへと譲りはしたものの監視的立場に近かったはずのアルバートは、いつしかその地位は王の臣下となっていった。それでも一般の枠、いわゆる貴族には組み込まれなかった。貴族より尊く、されど何の爵位をもっていなかったアルバードは、それでも魔力という類まれな能力を活かし地位を築いていた。やがて戦もなりをひそめはじめると、その能力を疑問視されるようになったという。
グスターヴがアルバート家とちがうのは、先の戦で功績を上げたことだろう。当代のグスターヴには珍しく武力に長けた家長で、勇猛果敢に敵将に挑んだその姿は敵味方を圧倒したという。たしかハロルドさまの曾々おじいさまだろうか? だから彼も騎士にあこがれたのかもしれない。彼の功績により、グスターヴは宙づりになっていた地位を確固たるものとし、騎士爵と伯爵の位を得た。
一方、我がアルバート家は散々だったらしい。代を重ねるごとに血は薄まり、魔力をもった人間などいないに等しく、見栄ばかりが先行した当主含め、ほとんどが戦死するか、あるいは逃げ帰ってきてしまった。おとり潰しにならなかったのが不思議なくらいで、当時治めていた領地は没収、名ばかりのアルバートが白日のもとにさらされた。
それがどうだろう。父さまが、没落寸前のアルバートを巻き返したのだ。いわば救世主、神話をこよなく愛する者からすれば、父さまは先祖がえりの尊い存在なのかもしれない。
結局、先生の熱演で幕を閉じた勉学の時間。途中からすっかり居眠りしていたレイチェル。おばか。
晩御飯の最中、父さまが家族でなかったらドン引き級のニタニタ笑いで「一週間後、パトリー公爵の夜会が開催されるらしい」とのたまった。つづけて、「もちろんマロイ男爵も、それからグスターヴ伯爵家もご参加だ」と。
これに喜色ばんだ母さまとレイチェル。「母さま、最新のドレスを用意してくださる?」「もちろんよかわいい娘! しっかり殿方のお心を射止めていらっしゃい!」なんてきゃわきゃわしてる。
「セシリア、おまえはたしかグスターヴの倅と仲がよかったね」
「あなた、セシーはそのご子息と恋仲だったのよ」
父の問いかけにわたしが口をひらくまえに、母さまがにやにやして答える。レイチェルはさっとこちらをにらみ、まさに舌打ちしそうな勢いだ。
ため息をこらえつつ、口を切る。
「ちがうわ母さま。わたくしとリカルドさまはなんでもないの。ただのおともだちよ」
「まあ! 秘密にしなくっていいじゃない。姉さまがリカルドさまと親密な仲だったってことくらい、だれだって知ってるわ」
レ~イ~チェ~ルぅぅう! だから! あんたは! なんで! いちいち! つっかかってくるの! もうっ!
「勘違いよ。ただの噂だわ。わたくし、本当に彼とはなにもないの」
「なにもない、ですって? あんなにお手紙もいただいて。姉さまはパーティのたびに彼と踊ってたじゃない! あら、そうだわ、ちがったわね。彼以外のたっくさ~んの男の人とも、踊ってたわね?」
憤慨するように皮肉を言い切り、レイチェルは鼻息あらく嘲笑った。
わたしの黒歴史を、ぶりかえさないで! 忘れたいのよぉ。
内心頭を抱えたくなりつつ、反撃しようと口をひらきかけたところで、父の声が入った。父さま、とめるならもっと前かもっと後に言ってよ。この燻った怒りをどうしてくれる。
「ともかく、おまえはリカルド殿とそれなりに仲がいい。そうだろう?」
「ええ……まあ」
「それならもっと仲良くなればいい。たしか、リカルド殿の弟君は殿下の騎士を務めていたね」
「まあ! それなら、レイチェルにその騎士を紹介してもらえばいいわ」
母さまは喜々として、「きょうだい同士が恋人同士なんてすてきね」と鼻歌を歌いだしそうな勢いで言う。
それも難しいですが、レイチェルはさらに上を目指しているのですよ、母さま。
案の定、レイチェルはちょっぴり頬をふくらませて抗議する。
「わたくし、荒っぽい方って苦手よ。騎士だなんて血なまぐさいし、野蛮だわ。そうねえ、殿下くらい素養がなくっちゃ」
おいおいレイチェル、殿下だってものすごい剣の使い手なのだよ。ギルバートさまのお話ちゃんと聞いてたのかした。ただひとり王子殿下に勝てちゃうのが件の騎士さまだって言ってたっけ。主と仰ぐ方を守れるくらいお強いだなんてすばらしいじゃない。
それに、騎士さまだって素養くらいあるでしょうよ。わたしに足を引っかけられたのに、理不尽に怒鳴らなかったし。あんたのはただ、「王子くらい権力がなきゃ」ってことでしょう?
心のなかで精いっぱい毒ついたところで、ふとわたし以外の家族が目をぱちくりさせているのに気がついた。
「え、なに――な、なんでしょう?」
素で言ってからあわてて言い直す。いったいどうしたの? なんでこっちをそんなぎょっとした表情で見てくるのかしら。
父がまずハッと我に返り、ついで元に戻った母と顔を見合わせる。やがて目をごしごしぬぐって、レイチェルが言った。
「姉さまが顔をしかめたところ、はじめて見た……」
呆然と、告げられた言葉がソレ。
え、わたし、顔しかめてたの? いつものように笑みか無表情を取り繕っていたと思ってたのに。
結局、父さまたちには、わたしが殿下をお慕いしているからやきもちをやいたのだと思われた。否定しても取り合ってくれない。ち、ちがうのに。