第1話 前世の記憶と妹について
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「お姉ちゃんはさ、ずるいよね」
かすれた声で、そのこは嗤う。
「いつも、ずるい。それなのに泣くなんて、無いものねだりよ」
ただのわがままじゃない、とそのこは嘆く。
だから彼女は、感情の高ぶるままに叫んだ。叫んで、持っていた書物をそのこに投げつける。
己の不幸を嘆き、被害妄想を膨らませ、自分はなんてかわいそうなのだろうと悲劇のヒロインぶるのはお手の物だ。そんなの、わかっている。図星だからこそ、苛立った。
かっとなって手をあげた。でも、そのこは余裕のある笑みを浮かべ、赤くなった頬をそのままにこちらを向く。
「ほら、やっぱり。お姉ちゃんは、ずるいじゃない」
「ね、どうして?」
「やっぱり、できないよ。俺には……」
「――お姉ちゃんのせい? お姉ちゃんがなにか言ったのね? そうなんでしょ!」
「ち、ちがうよ。彼女は関係ない。ただ――」
「いや、いや! ずっと幼馴染で我慢してきたのに! やっと両想いだって、わかったのに!」
そう、彼女はずるいんだよ。
『あたしのこと、気にしなくていいから』
やさしい彼は、きっとこうするだろうと思ってた。
『でも、これからも……幼馴染でいてね』
あのこがとても醜く映るように。そうわかってて、彼女は身を引いたのだ。
健気な子に、見えるように……。
「消えてよ、今すぐ!」
「お姉ちゃんなんか大嫌い、いなくなればいいのに!」
たしかに彼女は傷ついた。けれど、彼女以上にそのこのほうが傷ついてた。
それでも、彼女はずるいから、取る手段にぬかりはなかったのだ。
『あなたはあたしをずるいと言うけれど』
ちょっとした、冗談。脅かしだった。
『あたしはずっと、あなたをずるいと思っていた』
羨ましい、という言葉を飲み込み、彼女はずるいと口にした。
あのこの瞳が揺れるのを、優越感に浸って眺めた。
『あたしがいなくなれば、満足なの?』
――ああ、だからバチがあたったのだ。
ちょっとした冗談は、脅かしは、嘘ではなく本物になってしまったのだ。
――死ぬつもりなど、なかったのに。
滑らせた足は地を踏むことなく、宙へ浮き、そうして彼女を無情にも世界から消した――あのこの心に消えぬ傷を残して。
***
「……マジか」
がばりと身を起して開口第一声。
背中につたる嫌な汗に、荒い息。かきむしるように己の胸に手をあて、深呼吸する。
今日は、誕生日じゃない。なのに、だ。
「記憶が……戻った?」
それも、いやな記憶。いやというか、むしろ――
そこでハッとする。もしや、前世の今日が『あたし』の命の終わりなのではないか? 来年の誕生日までに生きているわけではないから、今記憶が降りてきたのではないか?
無意識に震える手を、ぎゅっと握りしめる。
なんなのだ。これは、おかしい。
あたしの記憶に、今まで出てこなかった『あのこ』と、『彼』。それなのに、記憶のあたしは『あのこ』と『彼』をよく知っており、深い付き合いだったみたい――
どくり、と心臓がいやな音をたてる。
先ほどまで鮮明だった『あのこ』と『彼』の顔に、黒いもやがかかったようになる。耳にこびりついていた声音も、壊れた機械のように歪な音になってしまった。
思い出せない。なんだ、これ。
もう一度息を深く吸い込み、吐き出し、記憶を整理するために、今までの『前世』のあたしの人生を思い出すことにした。
望月円香は、比較的裕福な家に生まれてきた。世間から見れば、それほど裕福とはいえないのかもしれないけれど、円香自身は恵まれていると思っていたようだ。
家族は、父と母と、茶色い雑種の三郎という名の犬。父は眼鏡をかけて、薄毛を気にしながら会社に通うサラリーマンで、母は介護のお仕事をしていた。
三郎を円香は『さぶ』と呼んで、毎日散歩を欠かさずにかわいがっていた。さぶは弟のようであり兄のようであり、とってもかわいいペットで、癒しだった。
小学生のときは、隣の席の男の子に恋をしたり、友達をたくさんつくったり、バスケ部に入ってみたけれどハードさに打たれてやめちゃったり……中学ではバトミントン部に入ったっけ。そうして青春を謳歌しようと心巻いていたように思う。
運動部はきつくて、けれどバスケのときみたいに辞めるのはいやで、一生懸命取り組んでいた。レギュラーにはなれなかったけれど。それなりに精神も鍛えられた、はず。
恋はしてた。ひとつ年上の先輩。今思えば、あこがれに近い感情だったな。
高校は、駅から歩いて通える距離のところ。私立の女子高に通った。一般的には、お嬢様学校と言われていたが、実態は……気楽、といえばいいだろうか。男子が夢みるような光景はなく、円香としては遠慮もなく、とても清々しい気持ちで過ごせた。
恋バナに花を咲かせたり、たまには喧嘩したり、くだらないことで大笑いしたり。カラオケにいったり、新しくできたカフェを回ったり……それなりに楽しかった。
――ただ――
なにか、足りないとは、思っていた。
――お姉ちゃん――
あのこの声が、すぐそばで聴こえるようで……
無意識に両耳を塞いで、きつく目を閉じてやり過ごした。
昔の話をしよう……そう、あれはレイチェルがまだわたしを慕っていてくれたときのこと。
生まれたときから嫌われていたわけではない、と思う。だって幼いころ、彼女はわたしをきらきらした目で見つめてきたんだから。
そのころのわたしは、なんというか……『あたし』の影響で、とてもスレていたと思う。前世の記憶、現世の世界観、いろんなものに混乱して――で、いわゆる中二病に陥っていたんだ、たぶん。
だからそのころはレイチェルの存在も鬱陶しくて、逆に両親の前ではいい子ぶっていた。心寂しくてべったりあまえたくなるときもあれば、他人のように感じてよそよそしくなったり、とても情緒不安定だったと思う。とにかくわたしは『特別』であり、この世界とは相入れない異分子で……『あたし』という存在は世界から拒絶され、『わたし』に成り代わってはいけないのだと……とにかく、変にひねくれた考え方をしていたのだ。
「姉さまは、どうしていっつも笑わないの? 悲しいの?」
あるとき、無邪気なレイチェルがそう問いかけてきた。
「笑ってるわよ」
「ちがうわ。嘘っぽいもん」
あどけない妹。
わたしは一瞥したあとで、悪戯心がわいてしまった。
「うん、そうね――わたし、実はね……」
ああ、きっと。だからレイチェルはわたしのことが嫌いになったのだと、そう思えてくる。
「わたし――魔法使いの末裔、なの」
――自分の中二病くささに、泣きたいわ。
「まほう、つかい?」
きょとんと首を傾げる妹に、当時のわたしは懇切丁寧に教えてやる。
セシリア・アルバートとは仮の姿で、本当はレイチェルとは血も繋がっていない赤の他人。魔法使いの唯一の生き残りとして人間世界に紛れ込み、生きている。
この世界の人間は憎むべき存在であり、決して交わることのない平行線。だからわたしは悲しいのだよ、レイチェル――そう、わたしは実に名演技で女優になりきっていた。
「姉さまは、レイチェルのことがきらいなの?」
「そういうわけじゃあ、ないけど……とにかく、あたしとあんたは、本当の姉妹じゃないのよっ」
そして、無邪気なレイチェルはそれを信じ、慕っていた姉が絶対に受け入れてくれないのだと絶望し、深く傷ついた。
彼女はそれを両親に告げたようだ。数日後、父さまから本当なのかとひどい形相で尋ねられたものだから、びっくりするわ。まさか親まで真に受けるとは思わないでしょう?
わたしの目鼻立ちも、髪色も、父と母から受け継いだまぎれもないもので、前世の『あたし』の面影は、この『思考』しかない、といっても過言じゃない。
魔法使いの末裔? なにそれ?
恥ずかしいッたらありゃしないわ!
それからレイチェルはわたしと距離を置いた。嘘がばれてからは、さらに彼女のわたしを見る目がきつくなって……自業自得だけど、ちょっと悲しかったな。
「姉さまばかり、ずるいわ」
――そういえば。
いつか、彼女にそう言われたことがあったな。
ずき、と胸のあたりがいたむ。思い出したばかりの、前世の記憶。『あたし』を姉と呼ぶ『あのこ』。
小さいころから、父さまはわたしを外に連れていった。「おまえは長女なんだから」そう言われて、猫かぶりして父さまのご友人にあいさつする。
おべっかをつかって褒められて。ああ、なんて疲れるのだろう、と。
レイチェルはいつも家でお留守番。いいなあ、いいなあ、と。そう思っていたけれど。
ずるい、と言われてはじめて気づく。ああ、レイチェルは逆に、出かけたかったのだと。家でいつも取り残されて、わたしばっかりお父さまにかまわれて。
年頃になってからはさらに顕著になった。
「姉さまばっかり、殿方とお会いして」
「姉さまばっかり、噂の的で」
「みんなみんな、お姉さまばっかり。お姉さまのお話ばかりする」
わたしのよくない噂が広まったころ、ちょうどレイチェルの社交界デビューと重なってしまった。父さまの命令で、レイチェルは他の同世代よりデビューを遅らせることとなる。
ずるい、ずるい。
何度も言われたって、わたしのせいじゃないわ。お父さまに文句をいえばいいのに。
けれどレイチェルは、変にプライドばかり高くて、お父さまに直接文句なんて言えないようだった。いつも口先ばかりの生意気なことは言えるくせに、肝心の本心は言えないなんて、不器用な子ね、なんて思ってた。
わたしはきっと、レイチェルを憐れんでいるようで、どこか見下していたのかもしれない。
ずるい、という言葉が頭にこだまして、そんなふうに思った。
気づいたら、わたしはなんてずるくて、汚いのだろうと、愕然とした。




