(6)
件の彼と会話をしたのは、避暑地へ招待されてから六日目、最終日のことだった。
あの奴隷騒動があり、なんとなく気まずい雰囲気のまま過ごしていたわたしは、正直参っていた。近くの海や森へ好きなときに訪れていいとパティさまから許可をいただいていたものの、どこへ行ってもデニスやらギルバートさまやら殿下やらの視線とぶちあたるので、自然とひとり部屋へこもる。各々の視線に込められた感情はちがうものの、どこへいってもだれかの視線をあびるというのはなかなか窮屈なものなのだ。
あの日から、まともに他人と会話していない。
パティさまとて例外ではない。こちらを気遣ってくれているのか、警戒しているのか、殿下やギルバートさまに言われているのか、ふたりきりのときには近づいてこない。はっきり言おう、寂しい!
レイチェルはいいわよ。なんだかんだでみんなと話せているもの。彼女の空気の読めなさがたまに羨ましくなるわ。
レイチェルは日々デニスといい感じに過ごしているようだ。本当は今すぐ阻止したい。が、気力がないのよ。それに、こんなことになったのは彼女のせいでもあるわけだし……だめな男に引っかかって痛い目みればいいわ! ……って思っちゃうのは、薄情かしら?
でも、手をつなぐ以上のことはさせてやらない。フランにしっかり見張りをお願いしてるから大丈夫よ!
彼、気配を消すことにも長けているみたいで、デニスが暗がりでレイチェルに顔を近づけようものならどこからともなくナイフが飛び交うのだ。その夜にきちんと脅迫文を奴に送ってくれたから、以来あのお調子者はプラトニックなことしかしていないみたいよ。さすがフラン! 未来の諜報部隊長!
そんなこんなであっという間に最終日。この一日が終われば実家に帰る。きっともう、二度とパティさまは誘ってくれないんだろうなぁ、なんて感慨に耽っていると、コンコン、と部屋の戸をノックする音が聞こえた。
だれ?
このとき、ちょうどフランは情報収集に出かけていて、部屋にはわたしひとり。今まで部屋を訪れてくる人なんていなかったから、ちょっとビビる。
するともう一度、コンコン、とノック。
「……どなたですか?」
恐る恐る尋ねると、戸の向こうにいる人物もごくり、と生唾を飲むのがかすかに感じ取れた。
いったい、だれなんだ――?
怪訝に顔をしかめた、そのとき。
「ハロルド――ハロルド・グスターヴです」
低すぎず、高すぎず、心地よい声音。
その名に、まさか、と息を呑む。
「ハロルド、さま」
扉をあけると、常備とはちがいラフな格好の青年。そっと視線をあげれば、たしかに見覚えのある真摯的で意志の強さをうかがわせる青みがかった深緑色の眼とかちあった。
あの、しかめっ面の騎士さまが、目の前に立っていた。
どうぞと勧めたお茶を申し訳程度に一口飲んでからしばらく、ハロルドさまはなにか葛藤されているのか、視線をわずかに揺らしながら沈黙を守っていた。彼から訪ねてきたのにわたしから話題を振るのもおかしなものかしら、とか、余計なことを言わないように口はつぐんでおくべきかしら、とか考えつつ、二杯目の紅茶をすする。
だって、沈黙がいたたまれなくて、とにかく飲むことしか思いつかなかったんだもの!
しばしして、黒髪の騎士さまは口をひらいた。
「……侍女は、出払っているのか?」
本題に入るの前のさわりですね、わかります。それにしても不躾な態度というか、偉そうというか……初対面のときよりもずいぶんな口調だ。王さまみたい。
けど、チキンなわたしは指摘できないし、身分的には同じようなものなので、いいのかな?
「侍女メイドは連れてきておりませんわ」
「……仰々しいまでのアルバート家の使用人が滞在していると聞いたが?」
仰々しい……? あ、あれはレイチェルのですよ、全部。もしかして、わたしに隠れて追加で連れてきちゃったのかなぁ?
あちゃーっと頭を抱えたい気分だけど、淑女セシリアはそんなことしません。
「あれは妹の侍女ですわ。社交界になれていない妹を心配した母が、多めに人数を割いたのでしょう。ご迷惑をおかけしてすみません」
謝罪は騎士さまじゃなく、パティさまにだけど。なんとなく空気で謝ってしまった。
案の定というか、騎士さまは「いや」と言葉を濁し、眉をひそめる。きっと対応に困っているのだろう。
それにしても、彼は初対面から喧嘩腰だった。リカちゃんのことがあったからだろうけど、こんなに真正面から堂々と皮肉とか文句を言われたことはなかったな。いっそ清々しい。
こどもみたいな口喧嘩を繰り広げ、その挙句わかったのは彼が兄想ブラコンいってこと。顔に似合わず、というかなんというか。冷めた人ではないみたいだ。
だからだろうか。デニスのときとちがい、苦手意識はあるけれど、いやな人ではないと思う。たぶん。
それに、なんだか今回は……
「セシリア・アルバート」
す、と目に鋭さをたたえ、耳に心地よい声音で騎士さまがわたしの名を呼んだ。
瞬間、びくりと身を縮める。
「なんでございましょう?」
「単刀直入に言いましょう」
おや、どうやら口調を改めたみたいですね。本題はこっからですか。
聞きましょうとも。
「一週間後、アトウェジウッド城へご招待いたします」
「は?」
思わず素で素っ頓狂な声をあげたわたしに構わず、ハロルド騎士は懐から一枚の封筒――招待状を取り出しこちらへ差し出した。
「我が主からのご招待です。ぜひ、色よいお返事を」
青みがかった深緑の神秘的な色をもつ瞳がじっとこちらをうかがっている。
試されて、いるのだろうか? やましい気持ちがないなら来いと?
我が主、ということはアレックス殿下からだろう。ご招待と銘打っているけれど、これは命令だ。
「謹んでお受けしますわ」
す、と頭を下げて言う。
震えも、全部飲み込んで……なにより――
「楽しみですわ」
にっこりと、自然に唇は弧を描いた。目の前でなぜか愕然としているハロルド騎士に首を傾げる。ううん、そんなの知っちゃこっちゃないわよね。
だってお城よ!
わたし、実はお城大好きなのだ。外観も見惚れるほどうつくしいし、荘厳で、きらびやかで、うっとりしちゃう。長い長い回廊は、コツ、コツ、と靴の音が静かにどこまでも響いて……一回しか行ったことがない王宮の庭園はもう、この世のものとは思えなかった! 世界中の花々が咲き乱れているんじゃないかと思うくらい、壮大で雅な雰囲気を漂わせている。なにより中央にある噴水の水がぱあって跳ねるごとに太陽の光を受けてきらきらと光が舞うのだ。『天使の庭』なんてあだ名をつけられているけれど、なるほどと納得してしまう。
王都ヤンハムにはみっつの大きな城がある。王国のシンボル【イザヴェール城】――一般にいう『王宮』はこれにあたる。レイチェルの社交界デビューの場でもあった――、主に軍部や大それた会議の場に使われる【エヴァーン城】、そして【アトウェジウッド城】。アトウェジウッド城は、その名のとおり『森の住人』だとか『森の番人』、『見張りのいる森』だとかいう意味があり、文字通り新緑深い森に囲まれた城だ。西側から見れば高い塔と城壁が連なっており、一見要塞のような荘厳さがあり、正門は威風堂々と金色色に輝き、色とりどりの花々でうめつくされている庭園が迎えてくれる、華やかな姿をうかがわせる。それは東から昇ったお日さまが、白い城を艶やかに照らし出してゆく様が本当にうつくしく、光を受けて影ができ、そのふたつのコラボレーションが城下町に降り注ぎ、一種の芸術品を生み出すのだ。
はじめて目の当たりにしたのは十歳のときかなぁ。父さまに連れられてはじめて王城にあがったときだったと思う。眠気眼でひどくぐずった覚えがある。が、王城を前にしたとき、眠気をものともしないくらい、一気に気分が高揚するくらい衝撃的な光景が広がっていた。
うん、本当に素敵。お城、大好き。
それからというもの、お城でパーティがあると聞けばなにがなんでも参加した。他の夜会とかは疲れていたりすればご遠慮したんだけど、王宮のだけはもう血眼になるくらい諸手をあげてよろこんだね!
まぁ、そのせいか、他の貴族からは『目ざとく王宮での招待だけは受けるのだな』なんて揶揄されたりもしたけれど。ふん!
それでも、王宮で開かれるといっても、王族が参加することは稀だ。わたし自身、きちんとお話したのはこの間のレイチェル社交界デビューのときがはじめてだったし。普段は、言うなれば城で働いている人の忘年会のようなものの趣向が強い。父さまのパートナーによくわたしが連れられてた。なぜ母さまじゃなかったんだろう、というのは今でも疑問である。貴族間でのパーティではもちろん母を伴うことが常だった父は、王城でのパーティは必ずといっていいほどわたしを指名していたのだ。お城大好きなわたしとしては願ったりかなったりだったので、それほど気に留めてもいなかったのだけれども……。
まあ、王宮含め、王城で催されるパーティ自体が稀なこともあって、両手で数えられるほどしか参加していないというのが現状だ。どんな理由であれ登城できるのはわくわくする。とにかく、殿下のご招待という申し出は素直にうれしい。
ハロルド騎士は器用に片眉を上げて肩をすくめた。なにやら勘ぐっているようだが、わたし、なにも企んでなんかいませんからね?




