第1話 王宮での出逢い
「ああ、はやく着かないかしら!」
胸に手をあて夢見心地にうっとりしているのは、妹のレイチェル。母親譲りのクリーム色の髪は、陽の光を浴びるときれいなブロンドに見える。ややきつめな印象はぬぐえないが、例に埋もれず彼女も美人だ。
「レイチェル、粗相のないようにね」
「わかっているわお母さま! わたくしにかかれば、殿方なんてイチコロよ」
ふふ、と蠱惑的にほほえんで、レイチェルはこちらを見る。がんばりましょうね、なんてかわいく言っているけれど、その瞳から好戦的な本心はだだもれである。
「そうね。でも、わたくしよりレイチェルのほうがよっぽど可憐ですもの。会場の視線を独り占めなんて羨ましいわ」
薄く笑って応えれば、レイチェルはまあ、と目を見開いたあとで、やっぱり嫉妬の炎を宿らせたまなざしのまま口をひらく。
「姉さまの有名さには敵いませんわ。わたくし、恥ずかしいくらいですもの! ですから、今回はアルバート家の恥さらしにはならないようにしてくださいね」
的確な厭味である。
母さまもたしなめはしたものの、異論はないようだ。目を細めて扇の裏に表情を隠している。
いらいらを抑え、「承知してますわ」と告げる。たしかにわたしは、レイチェルより優れた美貌をもつ『悪女』として名高い。そりゃあもう、聞いた本人がドン引きするくらいすごい。皮肉的なことに、外聞を恐れ新しい侍女がなかなか決まらないくらいひどい。
レイチェルのわたしに対する嫉妬は実の姉に対してのものとは思えないくらい激しい。なまじっか自分も美人なだけに、プライドは妙に高いのだ。加えて、わたしの評判が悪い意味でうなぎのぼりになったせいで、彼女の正式な社交界デビューが遅れてしまったこともあり、はっきりいって好かれてはいない。わたしも反省はしている。が、妹の態度はまるで今にも噴火寸前の火山のごとくすさまじいのだ。
それでも、家族とは不思議なものだ。憎みきれないというか、結局かわいらしい反抗に思えてしまって。根底にあるのは、姉は妹を守るもの、という概念が強いからかもしれない。
「お母さま、王宮はすばらしいところなのでしょう?」
今宵、はじめて王宮へ足を踏み入れることになったレイチェルは、うきうきしながら母さまに尋ねた。
「ええ、ええ、もちろんよ。とてもきらびやかで、心躍る世界だわ。この度は王族方はみなご出席なさるそうよ」
ささやかなパーティーとして招かれた王宮。しかしその実態は王子さまたちの嫁選び。さしずめわたしたちは権力選び……ごほん、婿さがし。
レイチェルのお目当てはもちろん王子さま。がんばれ妹よ、めざせ玉の輿! 最高権力!
わたしは遠くから見守ることにするわ。王子さまとくれば見目麗しいのがデフォルトなので、もちろん興味はある。事実、社交界デビューしたてのころは、わたしも他の令嬢たちを見習ってそばに近づいていったものだ。群がる令嬢たちの隙間からお見かけした王子たちは、例に埋もれず美麗で、遠目からでも輝いていた。
ただ、そのころには『現代日本』の記憶が強く根付いていたので、肉食獣のまなざしをひたと隠し虎視眈々と美男子貴族に近づく女性たちよりは、一線を引いて美形を観察していた。この物珍しさが美形の気を引いて、デビューしたてのわたしは殿方から「なんてつつましやかな女性なのだ」と勘違いされたのだ。浮かれてしまった昔の自分を殴りたい。
懲り懲りする出来事も重なり、反省ししばらく自粛したのだけれど、つまるところわたしはそれなりにミーハーなのだ。近づけるなら近づけるところまでいって目の保養をしたいという願望はある。前世の“あたし”なら己の容姿を引け目に感じて近づきたいなどとは思わなかっただろう。今はちがう。できるならお友達ポジションくらいにはなりたいと、本当のところは思ってしまう。
幸か不幸か、変なところで“わたし”を客観的に見てしまうのだ。
いや、しかし。だめよ、セシリア。自重しなければ。
王子さまと恋だの愛だの、そんな面倒なことにはならないように気をつけなきゃ。
結婚する条件は相手の性格や価値観だ。愛されるより愛したい……ような気もするけど、やっぱり愛されたい。その点相手が美形だと気兼ねするように思われる。目の保養くらいがちょうどいいのだ。
昔の失態を糧に――といってもすでに悪女の汚名がひとり歩きしているせいで無駄なのだが――内心鼻息荒く、けれど外面はあくまで謙虚に。他の令嬢たちにまぎれこんで、せいぜい殿下を堪能してこよう。せっかくこの世界で、こんな容姿に生まれたのに、うまく使えない自分がほとほとうらめしいけれど。
扇に隠れた口元を自嘲的にほくそ笑ませ、わたしはきたる夜会に想いを馳せるのであった。
久しぶりの王宮はそりゃもう華やかで、思わず見惚れてしまうくらい壮大だった。王宮の外観は暗闇でもほのかに光るミルク色で統一されており、夕暮れのなかでもひときわ目立って浮かび上がっている。空へ広がるように高く大きい白い塔が左右に翼のごとく構えられ、中央の門までつづく一本道はどこまでもまっすぐだ。なかは大理石が敷き詰められ、鏡のようにぴかぴかに磨かれていた。
会場はこれまた広い。シャンデリアがきらきらと一面を照らしているものの、灯りは目にやさしいあたたかな色合いで、階段に敷かれた紅の絨毯を照らしている。並べられた色とりどりの豪華な食事はよだれがこぼれ落ちそうで、創られた人形かと思うほど精密な美形の侍女や従僕、衛兵などなど。目を見張るとは、こういうことだと実感した。
加えて、集まった貴族の令嬢がすごいのなんの! きらびやかな流行を取り入れた色彩豊かなドレスに、華奢な身体に宝石を散りばめ着飾った様は圧巻だ。貴族の屋敷で行われる夜会なんて目じゃないほどの豪華絢爛さで、それだけ金をかけられる力のある人たちの集まりか、もしくはただの見栄っぱりだろう。ちなみに我が家族は前者も後者も含まれる。
ぽかん、と口をあけて佇んだのは最初だけ。とりあえずあいた口が塞がらない状態を隠すために口元に扇を寄せ、ふふふ、と目だけで笑って会場へ入った。ちょっとレイチェル、落ち着いて!
鼻息荒く――そんなふうに見えてしまうのはわたしだけだろうが――会場へ入り込み、母と父を伴ってさっそく貴族の美形あさりにいった妹を尻目に、わたしはできるだけ距離を取りつつ後をつける。もちろん、まわりの観察はかかさない。
わたしたち一家が入場した瞬間、そわそわとしだす下品な男ども。羨望より侮蔑の念が色濃い女たちのまなざし。それらに分類されない人間も少なからずいるものの、とりあえず敵意にだけは細心の注意が必要だ。なにより自分のために。
父さまが近くにいたちょび髭のおじさん貴族に話しかけた。たしか、マロイ男爵。隣には奥様と思われる女性と、ご子息だろう麗人を伴っている。
レイチェルはもうテンションあがりまくり。気持ちはわかるけど、落ち着いて!
「セシー、レイ」
父さまに呼ばれ、わたしたち姉妹はしずしずと前に出る。
「セシーは男爵にはお会いしたことはあるね?」
「はい、父さま。お久しぶりです、マロイ男爵さま。奥様方ははじめまして、セシリアです」
「レイチェル・アルバートです」
ドレスをちょいとつまんで、ペコリ。若干レイチェルがわたしより前に出ようと身を乗り出している。
マロイ男爵はにっこりと人の好い笑みを浮かべた。わたしたち家族に周囲は冷たかったり、見下したり、賄賂関係で媚びを売ってきたりする人がほとんどのなか、マロイ男爵だけは『ふつう』だったから、よく覚えている。いいおじ様なのだ。
「久しぶりだね、セシリア嬢。また一段とうつくしくなられて。レイチェル嬢、はじめまして。こちらもお姉さまに負けず劣らず、うつくしいお嬢さんだ」
ちょび髭ダンディはやさしい笑みを浮かべ、甘ったるい言葉をささやく。本心かわからないがお世辞でも嫌味がない。ここは素直に受け取っておく。
すると、ちょいちょい、と奥様が旦那さんの気を引いて、「わたくしたちも自己紹介したいわ」アピールをした。かわいいです、奥様。
「妻のアンナと息子の――」
「ギルバートです」
男爵の紹介を遮るように、ご子息さまが登場。さっとわたしたち姉妹の手を取りキスを落とす。
ギルバートさまはわたしより若干年上かな。栗色の髪を横に流して、とてもスマートな印象。瞳は鮮やかなグリーン。つり目ぎみなところが、勝気な印象を与えている。
そんな彼に、レイチェルの美形センサーは見事に反応したらしい。大きい目をさらに大きくさせて、さっそく獲物捕獲に向かった。我が妹ながらやりおる。
両親たちは両親たちで語り出し、レイチェルはここぞとばかりに様々な話題を振り、時に蠱惑的な笑みを浮かべてギルバートさまにすり寄る。彼もまんざらでもないようにほほえみ返しつつ、こちらにも視線をよこす。
これは経験がものを言う。十八年間、だてに『美女』として生きてきたわけじゃない。彼の熱いまなざしの意味もなんとなくわかり、内心げんなりした。
社交界デビュー当時から、わたしは見目麗しの乙女として注目の的だった。この“あたし”が美形に興味をもたれているなんて夢にも思わなかったから、はじめは天変地異よろしく、衝撃的で、優越感にひたりもした。パーティがあるごとに熱のこもる視線を受け、正直有頂天だったんだろう。
ただ、不幸なことにわたしは器用じゃなかった。複数人から迫られると、どれも断れなかったのだ。
そこには『断ってしまったら惜しい』とか『選べない』だなんて傲慢な考えがあった。みんなに愛想よくし、デートして。浮かれて、経験も豊富とはいえない“あたし”は、きっぱり断ることを恐れ曖昧な関係をもっていた。
結局みんな曖昧なままで、必然的に噂はたつ。『悪女セシリア』のはじまりといってもいい、浮名がたつ。『複数人の男を弄んだセシリア』は、噂を強く否定できなかった。
だからこれまで、ちゃんとした『おつきあい』をしたことがないにも関わらず、アルバートという家名もあいまって噂はものすごい尾ひれはひれをつけて広がっていった。噂が広がって以来、パーティで会えば話もするし、ほほえむし、けれど異性とふたりきりで出かけることはやめ、真正面から告白されれば、なるべくきっぱり断った。勘違い野郎が一夜だけの関係を求めてきても、断固拒否の姿勢を貫いた。でも、悔しいことに噂はやんではくれなかった。
そんなわけで、ちょっと熱い視線とやらには敏感なのだ。ギルバートさまはたしかに美形で、あのマロイ男爵の息子だから悪い人間じゃないだろう。けど、恋ができるかと問われれば、否だ。
困ったことに、過去の出来事から条件反射で、わたしはアプローチをかけられると途端に冷めてしまうようになってしまったのだから。
がんばれレイチェル、あんたが落とすのよ!
心のなかで激励しつつ、わたしはギルバートさまの熱いまなざしを悉く受け流した。
ややあってまた別の貴族――こちらは賄賂関係のおじさま方――に話しかけられたりして、わたしたち姉妹も挨拶の連続で大忙し。ギルバートさまと名残惜しそうに別れたくせに、次の貴族のご子息を紹介されるや否やまたまた雌豹としての資質を開花させ、レイチェルは蠱惑的な笑顔を出血大サービスで振りまいていた。……恐ろしい娘!