(5)
部屋を出て歩いていると、ちょうどギルバートさまと遭遇した。
気まずいが、こういうことはよくあるのでわたしは動揺をおくびにも出さずに笑みを向ける。
「おはようございます、ギルバートさま」
「あ、ああ……おは、よう」
ややかすれた声で、目を泳がせてギルバートさまが言った。そのままそそくさとその場をあとにする。
わかっていたことだけど、やっぱりショックだ。『悪女』の噂を聞いていたはずなのに臆することなく近づいてきた彼は、『犯罪者』のレッテルに戸惑っているのだろう。奴隷を従えいいように振る舞う女だと思われているにちがいない。
この態度、彼は絶対レイチェルにもするだろう。蔑みのまなざしでないだけマシだ。が、レイチェルはそうは思うまい。『姉のせいで被害を被った』のだから。
この先が思いやられる……今日を入れて五日間、わたしは笑顔の仮面をかぶりつづけられるだろうか?
食堂、というか豪勢な食事場へたどり着いたときも事態は変わらなかった。朝食はそれぞれ自由にということでみなバラバラな時間に食べることになっていて――といってもみんなそれほど変わらなかったけど――、すでに大半を食していたのがレイチェルとデニス、パティさまは半分食べ終わったところで、殿下と騎士さまは今さっき席についたばかりのようだ。ギルバートさまはすでに食べ終わっていたのだろう。わたしがいちばん遅かったみたい。
「お、おはようございます」
「おはようございます、セシリアさま」
軽く下げた頭をあげて、弱く笑んだ。――あいさつに応えてくれたのは、パティさまだけだった。
フランに椅子を引かれ、みんなとすこし離れた位置に腰かける。支給はパティさまの使用人がやってくれるようだったけれど、それをやんわり断ってフランがわたし専属に支給してくれた。正直ありがたい。
部屋に入った途端の視線は、まるで殺人ビーム。他人からの悪意ある視線には慣れているけれど、あこがれの人とか、すこしでも親しくなったと勝手に思っていた人たちからのその視線は痛かった。
パティさまの目は戸惑いに近く、ギルバートさまと似たような反応だ。相変わらずハロルド騎士の視線は鋭い。これは今にはじまったものではないからいいとして、友好的だった殿下のまなざしは笑みに隠れた探りだ。なにこれ妄想のなかの逆ハー要員と同じ設定じゃないか!
デニスとレイチェルはこちらを総無視で会話に花を咲かせている……レイチェル?
これはどういうことだろう。ひしひしと痛い視線だとか空気はわたしにしか向いていない。同じアルバート家の娘として、レイチェルも冷たい風に当てられると思っていたのに。不意打ちを食らった気分だ。
もしかして、レイチェルがなにか言ったのかしら。それとも奴隷の飼い主がわたしだから、わたしにだけ敵意が向いているのかしら。
前者だとは思いたくないけれど、なにしろ前例がある。数年前のことだ。好きな子に振り向いてほしいレイチェルはわたしをダシに、わたしのあることないこと吹き込んだことがある。アルバート家として悪い噂が立ったときも、すべてわたしだけ悪いように言いふらし、風上はこちらに向いて、結局矢面に立ったのはわたしだ。レイチェルは被害を受けなかったよな、あのときも。
怒りをとおりこして呆れて、なにも言えなかった。今も同じだ。
いや、とばっちりでレイチェルに煩く文句言われるよりマシかも。彼女は自分さえ無事ならなにも言わない子なのだし。まあ、いいか。
――と、そんなふうに思っていると。
「よくぬけぬけと来られたものだ」
あまったるい、気持ち悪くなるような声がした。デニスだ。
「殿下に虚言をしておいて、面の皮が厚い女は怖いなァ?」
こちらをチラとも見ずにデニスは言う。その横でレイチェルがくすくすといやな笑い方をした。レイチェルぅう~?
無視だ、無視!
「おや、ご自分のことだとは思わないのですか、セシリア殿」
いや、無視させてよ。面倒くさい。
やれやれと言いたいのを我慢して、視線を食事から外した。
わたしの横で殺気を放つフランに苦笑を浮かべたくなりながら、憎たらしい男を見やる。
「なんのことですの?」
「厚かましいと言っているんだ。奴隷を堂々と連れてくるなど、パトリシア嬢にも失礼だろう?」
むっ、とする。
せせら笑うデニスに、パティさまは「わたくしはっ」って否定の声をあげるけれど。空気は最悪。
こんな男に構うだけ無駄。横目で殿下たちを盗み見れば、彼らもさして気にしているふうもなく食事をつづけている。けれどあれは絶対こちらを様子見している!
「奴隷? だれのことですか」
「強情だね。隠し通せるとでも? そこの赤毛のソバカスさ。正直でうつくしいレイチェル嬢が教えてくれたよ」
「だから、なにをですか。わたくしには奴隷などいませんわ」
嘘じゃない。というか、レイチェルはなにを言ったのよ。
「あら、姉さま。その男は奴隷でしょう? わたくし、殿下を騙すことに心苦しさを感じているのですわ」
悲痛さを漂わせ、レイチェルは言う。
つまり、昨夜フランがなんとか事なきを得るようにしてくれたのに関わらず、レイチェルがぶり返したと。「あの男は奴隷ですから、きっと姉に命じられて仕方がなく……」なんて言ったにちがいない。
この娘はわかっているのかな。奴隷を買うことは犯罪で、それはすなわちアルバート家の没落を意味するのに。
正直に話せば殿下に同情していただけるとでも? デニスにそそのかされ、自分だけは将来安泰だとでも?
本当にお馬鹿なんだから。我が妹ながら、なんて頭のなかがお花畑のお嬢さんなのかしら!
「レイチェル、あなたは勘違いしているわ」
ため息を押し殺し、静かな声で告げる。
「わたくし、殿下に嘘など申しておりませんわ。それに、このこは――フランは、奴隷ではなく、わたくしの友です」
昨夜も言いましたけれど。
到底、信じられないんだろう。レイチェルもデニスも納得いかないとばかりに顔を歪める。パティさまはおろおろと大きな目を不安げに揺らしていた。
そして、殿下は――
「詳しくはお父上にうかがうよ」
ぱくりとパンを優雅な仕草で口へ放り込み、さらりとそう告げた。
わたしは軽く頭を下げる。
ここまでくれば、もう父さまにがんばってもらうしかないや。所詮、小娘は一国の王族にかなうはずないですもの。
殿下の横にいる騎士さまは奇妙なものでも見るようにわたしを見てたけど、無視! もう朝から疲れた!
「お疲れですか、主」
「大丈夫よ」
そっと声をかけてくれたフランに、柔くほほえむ。もしかして、『仲いいんだよ!』お披露目作戦?
ぱくりと果物を咀嚼し、軽く息をつく。
怒りを鎮めるのは大変だ。フランのことを『赤毛のソバカス』と言ったあのナルシストが許せない。
赤毛、素敵じゃん! あんたのそのいかにも偽物じみた髪色より、よっぽど素敵よ。ソバカス? 愛らしいじゃない! 人懐こさがにじみ出てて、少年らしい愛らしさと相まって彼の魅力に貢献しているわ。すくなくとも、あんたの付けボクロよりよっぽどいい。
心のなかで思いつくだけの罵声をデニスに浴びせながら終えた食事は、予想通り、あまり味がしなかった。
くっ! すべてデニスのせいよ!




