(3)
「ちょっとフラン!」
魔性の女どうのこうの、と彼に言われてから数日後。わたしは年下の友人の前に立ち、腰に手をあて眦を引き上げていた。
怒っているのだ。
「どうしたの、セシー」
「どうしたのって……あなたねえ」
「ちょっと落ち着いて。貴族の令嬢がそんな髪を振り乱して」
フランは非難がましいじと目で言う。
たしかに、まとめていたはずの髪の毛は全速力で走ったせいでぼさぼさに乱れているし、肩にかけられていたはずのショールも役目をはたしていない。しまいには、先日買ったばかりの白い靴には泥が飛び散っていた。
バツが悪くなって、つんと口をとがらせる。
だって仕方がないのだ、あまりに驚いて、びっくりして、仰天して、心臓がとまってしまうかと思ったんですもの!
「我が主、人目をはばからずそんな格好では、あらぬ噂をたてられますよ」
わざとらしく恭しい調子でフランはつづけた。
「まるで一戦交えてきたみたいな」
「一戦?」
「そう」
ショールをきちんとかけなおし、広がった髪をまとめ上げ、フランはぞくっとするほど艶やかに目を細めた。
「そういう意味の、一戦です、主」
「――マセガギ」
なんだかこの元奴隷少年、ふてぶてしくなったみたいだ。なんていうか……そう、まるで、魔性パワーが与えられているような……?
さて、なぜわたしが怒っているのかといえば、先ほど妹と父に言われた言葉にある。
『奴隷にまで色目を使うなんて、恥知らずですわ。もっと慎みをもってください』
『セシリア、奴隷を好きに使うのはいいが、外にはもらさないようにしなさい』
きょとん、である。色目? フランに? わたしが、いつ?
詳しく聞けば、レイチェルの話はこうだ。
この間、町に出かけたことがある。その際、護衛としてフランを同行させた。もちろん、彼は力弱い『設定』だったので、正規の護衛もつけたけれども。
一応お忍びということで帽子を目深に被ってはいたものの、いつものようにわたしがセシリアであるということはなぜかすぐにバレてしまう。他者曰く、「オーラで丸わかり」らしいが、オーラって……。
で、そんなわたしが見目麗しの少年を連れているわけで。アルバート家の者としてそれなりの衣服を身に纏ったフランの美形は隠せない。つまり、目立つ。結果、噂が立つ。
『あの悪女、今度は年下の少年に手を出したらしい』
『あんなに素敵な人を連れているなんて……』
などという、羨望の声もあり、それを耳にしたレイチェルは思ったわけである。自分も、その羨望を浴びたい、と。
だから彼女は持ち前の高飛車加減で「あなた、わたくしの護衛になりなさい」とフランに命令したらしい。しかし彼は、「お嬢さま、僕を従わせることができるのは、魔性の女、だけですよ」と。
自分の耳を疑ったね。『お嬢さま』ですって? 『僕』? だれが『魔性』だとぅ?
そうしてレイチェルはぷんぷん。『奴隷にまで色目を使うなんて』になるわけである。
では、お父さまのほうはというと。
父曰く、「同僚に言われた」らしい。なんでも、「貴公のお嬢さんは、ところ構わず誘うようだ」と。「奴隷にまで足を開くのか」とそんなことまで言われたらしい。
ああ、なんて下品なのかしら。絶句とかショックとか通り越して、怒りがわいたね。その同僚の名前、あとでこっそり聞こうかしら。
とまぁ、このような事態になり、とりあえずフランにイライラをぶつけにきたわけである。
半分八つ当たりだけど、半分はこいつのせいだから。
懇切丁寧に説明してやれば、フランは肩をすくめ、レイチェルの件は悪びるわけもなく、「だってやんわりした断り方他に思いつかなかった」という始末。しまいには、「魔性の女とか、セシーにぴったりだしね」なんて。
ノォー! あのときの純粋――そうな――少年はどこへいったの?
だめだこりゃ、と肩を落とす。と、フランはいつになく真剣な顔でなにか考え込んでいるようだった。
「どうしたの?」
「いや……おかしい、と思って」
きょとんとすると、フランは琥珀色の目を歪め、口をひらく。
「だっておかしいよ。俺がセシーについて町に行ってから、父君の同僚に噂が広がるのがはやすぎる」
「そう? でも、レイチェルも知っていたわよ」
「それは他の護衛が彼女のメイドに噂を教えたかなんかして、伝わったんだろう。同じ家に住んでいるわけだし、外出だって特別隠しているわけでもないし。だけど、セシーの父親の同僚ってことは、王宮に勤めているわけだろ。そんな貴族さまが、いちいち城下の噂を耳にするとは思えない……」
たしかに、フランの言うとおりだ。すくなくとも、父さまの同僚で町の噂に興味をもつ人間がいるとは思えない。指摘されてみれば、不審な点に気づく。
レイチェルは、フランを元奴隷だって知ってたから、『奴隷に色目を使うなんて』っていう言葉が出てくるのはわかる。けど、どうして父さまの同僚が、『奴隷にまで足を開くのか』なんて言えるのだろう。
町での噂は、フランのことを『年下の少年』としか認識していない。だって今の彼を見て、だれが元奴隷だと思うだろう。それを知るのは、アルバート家の人間、それもわたしたちに近い使用人しかありえないのだ。
なにやらいやな感じがする。きな臭い。
眉根を寄せ、フランを見る。互いに、言葉もなく見つめあった。
まるで探偵みたい。
わくわくするような、ぞくぞくするような。
興奮と、言いようのない不安に駆られ、知らずに拳に力を入れた。
「うーん、なにか打開策はないかしら」
「犯人捜しかァ。獣人なら諜報も得意だろうけど、俺はできても暗殺くらいだもんなあ」
「ねえ、あなた、そういえばいつ暗殺術なんて習ったの?」
思わず問いかけると、フランは一瞬きょとんとしたあとで、にんまりといやな笑みを浮かべた。
「加虐趣味貴族野郎の餌食になりそうだったんで、さすがにいやだなあと思ってさ。思わず近くにあった花瓶やらワイン瓶やらで奴の頭かち割ったりしてたらさ」
「ちょっと待って」
遮って両手をフランの口へ押し付ける。
目だけで「どうしたの?」と問うてくるフラン。一度深呼吸してから、再度発言の許可を出した。
「そんで、頭かち割ってやったところでさ、その貴族、どうやらいろんなとこから恨みを買っていたらしくてさ。たまたま奴を殺そうとしてた暗殺者とかちあって――『いやあ、華麗な殺し方ですねえ』って褒められて。あっ、そいつファオルサォリー出身らしくてさ。どうりですごい暗殺者なわけだよね。でさ、俺ってば売られるところの貴族、尽く悪い貴族ばっかりで! ことあるごとにその暗殺者と出逢うんだよね。だからそのたびに暗殺術なるものをちょこちょこ教えてもらってさ。たとえば人間の急所とか、気配の殺し方とか。『才能ありますねえ』なんて褒められて! 俺ってばソッチの資質あったみたいでさ。気づいたら件の暗殺者より先に雇い主殺しちゃってることあってさ。『僕のターゲットに手を出さないでもらえます?』なんて文句言われたりもしたけど、まあ、基本いいやつだし、尊敬してる……おかげで、最高に死にたい気分になるまえには飼い主の息の根止めてやれるし……まあ、またつかまって奴隷に逆戻りなんだけど……それに今回ばかりはついに俺もおしまいかなって思ったね。だってあのアルバートだよ。巷でも噂だよ、魔法が使える当主なんてさ……だから俺も絶望して――」
「わかった、わかったわ、フラン」
暴れ馬を落ち着けるがごとくの覚悟で、わたしはフランの口を再度ふさいだ。
彼の壮絶な身の上はもちろんのこと、おそらく、例の『暗殺者』の話になると止まらなくなりそうだ。覚えておこう。
「ええっと、つまり――そうね、フランはその『暗殺者』さんが好きなのね?」
「言ったろ、尊敬してるって」
「そ、そうね……それに、うん、もしかすればまた会えるかもしれないわね」
きょとんと首を傾げたフランに、わたしは精一杯の強がりな笑みを浮かべた。
「あなたが言ったのよ。あなたを買う貴族は決まって悪い貴族だって」
つまり、暗殺者に狙われるくらいの嫌われ者ってこと。悲しいかな、たしかに現在のアルバートは決して好かれるような立場ではない。どちらかといえば、悪役だもの。父さまなんてたくさん恨みを買ってそうだわ。だって父さまとお付き合いのある貴族って大概が悪役モブみたいな顔をしているんですもの。
フランは目をぱちくりさせた。
「えっでも、俺、主が殺されるのはヤだなあ」
「そう? ありがとう」
「そしたら守ってやるよ」
「心強いわ」
冗談でいえることではなかったかもしれない――ぶるっと身震いして、引きつる顔をなんとか緩める。
「と、とにかく! アルバート家の情報がもれている真相と、あとは暗殺者がくるかもしれないという危機的状況を打開するべく、実行可能な作戦はないかしら」
「主、たぶん、皆無だろうね」
ひくり、と喉が引きつる。フランはシビアだった。
「まあ、俺もできる限りやってみるから。主は勝手に危ないことに首を突っ込まないでね。わかった?」
「はぁい」
まったく。これじゃあ、どちらが主人でどちらが従者かわかったもんじゃあないわ。




