第4話 奴隷少年と魔性の女
父さまが男の子を連れてきた。満面の笑みで。思わず嫌悪感丸出しにしてしまったのも仕方のないことだと思う。
少年は粗末な衣類に身を包んでいた。なにより目を引いたのは、彼の首にはめられた黒いモノ。いわゆる、首輪というものである。
はじめは父さまが変な趣味に目覚めた! と鳥肌が立った。母さまも汚いものを見るような目で少年を見ていたし、レイチェルもあからさまに顔をしかめていた。たぶん、わたしも同じような顔をしていたのだろう。だが、わたしは父さまに対してである。うーん、自慢にならない。
で、もう一度少年に目を向ける。やっぱり首には似つかわしくないゴツゴツした黒い首輪。それから手には手錠。もしかして犯罪者?
まだ十をすこし過ぎたばかりの年ころだろうか。ただ、細い身体付きだから、本当はもっと年上かもしれない。青白い不健康そうな肌で、シャツから見えるむき出しの肌はやっぱり白くて、細っこい。
舐めるように見つめていたせいだろう、父さまがこちらを見て、ニンマリとした。
「我が家も奴隷を買おうと思ってな。手始めに手ごろなものを買い求めたのだよ」
うむ、と変に納得してしまったのは、わたしの目がようやく少年の顔立ちをとらえたからだ。
痩せているせいですこしこけた頬をしているけれど、爛々とした大きな琥珀色の目が印象的だ。頬から鼻にかけてそばかすがあるけれど、ちょっと人懐こそうな印象を与える。髪は燃えるような赤。
少年は、いわば『未来のイケメン』であったのだ。
父さまはきれいもの好きだ。うつくしいものが好きだ。真価を理解しているのかいないのか甚だ疑問であるが、とりあえず芸術品に目がない。
奴隷を買おうとして市場にいったものの、力仕事をできそうな奴隷はむさくるしい男ばかり。ついついいつものクセで、どうせ金を払うならと小奇麗な少年に目をつけたにちがいない。
父さまにしてみれば、奴隷は『モノ』なのだから。
「あなた、ソレ、役に立つのですか……?」
案の定、母さまは実に現実的な意見を述べた。容貌はいいほうとはいえ、もやしみたいな少年になにかできるとは思えない。
しかし父さまは上機嫌のまま答える。
「なに、ものは試しさ。いらなくなったら別のと交換もできるしな」
眉間によるしわを、なんとか抑えた。
交換? もしや父上、奴隷商人にうまい蜜でも吸わせたか?
「どうだ娘たちよ。おまえたちの僕にしないか」
「いらないわ」
父の問いにレイチェルは即答。同じくうつくしいもの大好きなレイチェルだけど、彼女の場合『ただし年上に限る』わけである。もはや興味が失せたのか、さっさと退場。母さまも「使えないなら処分してくださいよ」と言ってどこかへ消えてしまった。
父さまは肩をすくめ、「おまえはどうだ?」とこちらへ尋ねてきた。
――と、少年がわたしのほうを向いた。
まっすぐな琥珀と目が合う。
「わたくしにください、父さま」
気づけば、にっこり笑みでそう答えていた。
「なんでも言うことを聞く下僕が欲しかったの」
わたしの答えに、父は「そうか」としたり顔で何度も満足げに頷き、少年をくれた。
首輪と、暴れたときの制御装置をわたしに手渡して。
「さ、行きましょ」
これが、わたしと名もなき少年の出逢いであり、主従のはじまりであった。
とりあえずすることは、彼を裸にすることだ。
「じゃあ、脱いで」
自室へ連れてきて開口一言目にそう告げる。
「汚いけど我慢して……ええっと……」
ああ、こんなことなら部屋を片付けておけばよかった。読みかけの本を出しっぱなしだったわ。
……ん? なんかおかしなこと言ったかしら? 感情の見えなかった少年の目に、すこしだけ驚愕が浮かぶ。
緊張しているのかも、と思い、労いの表情を浮かべて再度口をひらいた。
「疲れたでしょう。お父さま、キレイなモノが好きだから……先に湯浴みでもすればいいわ」
できるだけ笑みを浮かべる。猫かぶりスマイルだ。
奴隷市からそのまま連れてきたんだろう、少年はすこし汚れている。湯浴みして身体を洗い、ぼろぼろの服も着替えればきれいさっぱりになれるだろうって、そう考えての「脱いで」発言である。
……アレ?
おや、もしかして、と思いはじめたわたしの思考。同時に、目の前の赤毛少年はみるみるうちに顔を歪め、そのまなざしには侮蔑の色が含まれた。
感情が、はじめてその瞳に宿った気がした。
「どうかしたの?」
動きをやめた少年にこてんと首を傾げて問う。と、彼は再び色をなくした目をして、承諾の意を口にした。
んんんっ?!
ぎょ、と目を見開くわたしに気づかないのか、少年はその場で服と、それからズボンを脱ぎ出した。
「え、ちょっと……!」
待って、とあわてて止める。ああ、わたしの「脱げ」発言のばかああ!
「ごめん、先に湯浴みね。場所に案内するわ」
彼はやや瞠目したが、すぐに頷き服を着直す。
ついてきてね、と歩き出すと、ふいに彼が「あの」と口をひらいた。
驚いて振り返れば、やはり無表情のまま少年は言う。
「あいつには身体売ってない」
ああ、やっぱり美少年って癒され――ん?
「あいつ?」
「あんたの、父親」
え、お父さま? 身体売る? え、え?
「うちのお父さま、男色家だったの?」
あの顔で! あんな美人なお母さまを奥さんにしといて! まじか!
青天の霹靂。衝撃に身を震わせ愕然とするわたしに、少年は怪訝そうな顔をした。
「あんたが、俺の身体目当てだって誤解しているみたいだったから」
今度はわたしが首をひねる。
わたしが、父さまが男色だと誤解していたみたい?
「なんで」
「だって……それに、あんたも……」
わたしの質問には答えず、ごにょごにょと言葉を濁す。『あんたも』って、え、わたしも男色家――わたしが女だから当てはまらないとすると、『あんたも』のあとにつづくのは、おそらく『身体目当て』。
そこでわたしは、もう一度先ほどの会話を思い返してみた。
言っておくが、わたしの妄想力は半端ないのです。特に浮かれているときの甘ったるいラブロマンスの空想や、ひどく落ち込んだときの被害妄想とか、おいおいそこまで想像できるのかってツッコミが入るくらいすごいのです。
というわけで、一つの仮説といいますか、少年がこのように誤解したのだと思い当った。
まず、部屋に連れてきて「脱いで」。あの驚愕の目は、まさか身体を要求されるとは思わなかったからビックリしたのだろう。で、「汚いけど我慢して」は「アンタの身体は汚いけど我慢してあげる」に解釈され、「疲れたでしょう。お父さまは――」のくだりは、その、事後のことだと思われ……う、うわああーん!
「せ、セクハラ!」
なんてことだ! そんなつもりは微塵もないのに! これは立派なセクハラです! どっちが? わたしが?!
いきなり頭を抱えて叫んだわたしに、少年はその猫みたいな眼を思いっきり見開いた。何度目でしょうね、彼がビックリするの。
とりあえずということで、急いで、ものすごい勢いで誤解を解いた。痴女になるところだった! 危ない!
なんだか恥ずかしくて終始少年の顔なんて見てられなかった。押し込むように彼を湯浴み場へ追い立て、ひとりになったところでようやくため息をつく。
誤解されるのは慣れているけれど、絶対変な女だって思っただろうなぁ。初対面なんて、父のまえだから仕方なくだったけど、「なんでも言うことを聞く下僕が欲しい」なんて言っちゃったし……そりゃ、勘違いするよなぁ。
というか、「下僕がほしい」とか、どこの女王サマですか! わたしのお馬鹿。
絶対、絶望したんだろうな。はじめの「脱いで」発言とか、ただの欲求不満に付き合え、みたいに聞こえただろうし。そもそも、そういう解釈が簡単にできるほど、『奴隷』とは人権のない立場なのかもしれない。
とりあえず誤解は解けたと思いたい。うう。
すっかり汚れを洗い落とした少年は、もう、まさしく紅顔の美少年でありました。わたしの目に狂いはない!
細い身体が儚げで、温まったせいで白い頬はかすかに上気しており、濡れた赤毛がちょっと色っぽい。口元にはうっすらと笑みが浮かび、猫みたいな琥珀の瞳は悪戯な色を浮かばせている……ように見える乙女フィルター。
いや、色っぽいのは本当。ただ、口は真一文字に引き結ばれ、目には戸惑いがあった。
うーん。怯えている子猫を手懐けよう作戦、いきますか。
「ほら、ちゃんと拭いて」
ふわふわのタオルで濡れたままの赤毛をがしがしと拭いてやる。「わ!」とあげた声はアルトボイス。彼は抵抗することなくおとなしく頭を拭かれている。
……ヤダ。なにこれカワイイ。
ちょっぴり危ない道をいきそうになったので、あわてて咳払いをして、手を離す。
うむ、やはりかわいらしいお顔ですわ。
「どうぞ、座って」
自室にはふたりきり。空いた向かえのソファをすすめると、まだ戸惑いの色を浮かべた少年の目とぶつかる。そこにすこし警戒の色を見て、小さく苦笑した。
やっぱり、奴隷っていわゆる家来みたいなものだから、対等に扱えないのかな。イメージでいえば、ご主人さまに傅く感じ。
でもなー。どうせ主従やるなら、『お姫さまと騎士』とか『お嬢さまと執事』なんて関係がいいわけで。奴隷って響きはあんまり好きじゃないなー。
ソファの近くにはきたものの、座ろうとしない少年。当たり前だよね。
仕方なしに、すこしだけ鋭い声音で命じる。
「命令です。腰を下ろしなさい」
びくり、と肩を縮め、小さく返事をすると、彼はあわててソファに腰かけた。
小心者だから、こんな美少年に怯えられたくはないなぁ。
ちょっと緊張した空気が流れる。気まずい、けど、やるしかない。
まずは自己紹介といきましょう。
「わたしの名は、セシリア・アルバート」
ぺこりと小さく頭を下げ、「あなたは?」と問う。
規定外の反応だったのか、何度目かわからない彼の瞠目した顔がこちらをまじまじと見つめている。
こてんと首を傾けると、ハッと無表情に戻って、「名はない、です」と淡々と口にした。今更敬語? やっぱりさっきの命令口調のせい?
「名前がないの?」
「捨て子だったから。最初にある記憶はすでに奴隷、でした」
「いくつ?」
「じゅ、十三か四、くらい……」
おやおやまあまあ! 身体つきからもうすこし幼いかと思っていたけれど、なるほどたしかに言動は大人びている。
「ずっと奴隷を?」
「はじめはどこかの金持ちの下働き、してました。鞭打ちが多くて脱走したけど、人攫いに捕まってまた売られた。どこかの変態の人形になったこともある」
おや少年、もう敬語はないのかい――そんな軽口、きけたらよかったのに。
息が、できなかった。
少年の目には絶望と怒りと、己に対する侮蔑が見えたから。
「こどもは非力だから、そうやって生きていくしかなかった。逃げても捕まるし、自由になったって盗みをしていくしかない……殺しだって、できるよ」
まるで獰猛な獣のような瞳で、彼はわたしを見た。きれいな琥珀が、歪んだ気がする。
「……どうして、それをわたしに言うの?」
「さあ。いらなくなったら、他のモノと替えればいい」
商品のように、代替のきくモノ。奴隷とは、そういうものだと、言外に言う。
――もしかすれば――あとから思えば――このとき、彼はわたしを試していたのかもしれない。それは理屈というより本能から。庇護下に値するかどうか。おそらく、きっと、信頼に値するかどうか。主となりえるかどうか。いろんなことを。
わたしは、考えることを放棄して、とめていた息を吐き出した。
同情は、しない。彼のようなヒトはこの世界に、たくさんいるんだ。
なれば彼の過去に同情するより、彼の未来に貢献したいと思うのは、まちがっているだろうか。
「フラン」
正しいことなんて、わからない。だって、わたしはまだまだ未熟。転生したとて、完璧な人間じゃないんだから。
「あなたの名前は、今日からフランよ」
燃える赤の髪を見つめてそう告げる。彼は息をとめた。
「ど、して……」
うろたえる彼の手を、そっと取る。
まだ、戸惑ったっていい。ためらうことはいけないことではないのだ。
「わたしの友達として、よろしくね」
ゆっくり、ゆっくり。
わたしを知ってもらおう。そして、わたしも彼という人を知ろう。
同情も、なにもかも、そのあとからでも遅くはないのだ。




