(2)
「これはこれは、セシリア嬢」
一瞬歪めたまなざしをすぐに柔らかなものに変えてデニスは腰を折った。周りの視線をちゃんとわかっているのだろう。猫を被るのがうまいことで。
「お久しぶりですわ、デニスさま」
でもね、こちらだって猫かぶりは得意なのよ。紳士淑女の挨拶を交わし、そっと微笑する。
「そちらのお嬢さんとご関係が?」
「あら、レイチェルはわたくしの妹ですわ」
冷ややかな視線を隠すことなく浴びせる。
先ほどレイチェルの名を口にしていたことからも、彼らは自己紹介をし、レイチェルも『レイチェル・アルバート』の名を名乗ったはず。それなのにわたしとの関係性に気づいていない、ということは、彼のなかで家名はそれほど重要ではないのだ。
いわゆる、ホール家は成り上がりである。商家として莫大な金を動かせるほど力をつけた彼の家は、由緒正しき貴族とはちがうのだろう。あまり爵位に頓着していないように思う。きっとわたしのことも、『セシリア・アルバート』という名よりも『悪女セシリア』として認識していたのだろう。アルバート家という、身分を見ないという態度そこだけを見ればやや好感がもてるのだが、世のなかうまくいかないものだ。
デニスは目を見開いていた。本当にわたしとレイチェルのことを知らなかったみたい。
たとえば、人には『敵の血縁者だから敵』と考える輩もいるだろうが、デニスは『家』を重視しない人間である。よって、たとえレイチェルがわたしの妹であっても、宿敵の妹だからとターゲットから外れることはない、らしい。
「レイチェルさま、無知な僕をお許しください……それにしても、お二人はちっとも似ておりませんね」
すでにこの男の視界にわたしは入っていない。レイチェルの目だけを射止めるように、見つめあう。
「あなたのほうが、よっぽど可憐でうつくしいです、レイチェルさま」
す、とわたしの身体を避けて、目を見張るはやさで彼はレイチェルの腕を取ると、再びそっと口づけした。
絶句とは、まさにこのこと。
「まあ!」
声をあげ、歓喜に震えるレイチェルは恋する乙女の顔である。
レイチェルは、美人だ。けれど、どうしても、わたしと比べられると見劣りする、と周囲から陰ながら言われていたのを知っている。それは消えないコンプレックスとなって彼女を支配していたのは一目瞭然で、たったいまデニスが述べた「あなたのほうがうつくしい」という言葉は、レイチェルの胸を打ったにちがいない。
まずい、と思った。そして、本当に、憎らしい男である。
この男はレイチェルを虜にし、舌の根も乾かぬうちに次の女を口説くに決まっているのだから。
「失礼。デニスさま、無礼ではありませんか」
地を這うような声が己から出たのが信じられない。が、構ってなどいられない。
美人を怒らせると怖いと言うが、例に埋もれず、わたしのこの顔も有効らしい。周囲の人々が、ごくりと生唾を呑むのがわかった。
「許可なく淑女の手に触れるものではありません」
おまえの場合はなぁ、と福音が告げる。
「無礼? 失礼ですが、妬いていらっしゃるのですか」
振り返ったデニスは顔に勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「な、にを……」
「ご自分が相手にされぬからと、そのように妬かれるものではありませんよ」
「なっ!」
言葉もない。ぱくぱくと、陸にあがった魚のごとく無様にあえいだ。
なにを言い出すのだこの男は。
「おっと失礼。たしかにあなたは美人ですが、ご気性がよろしくないようだ。自惚れも大概にしたほうがいいかと」
ふふんと鼻でせせら笑う男。周りで見ていた令嬢らが、くすりといやな笑い声をたてたのが聞こえた。
なんだ、これは。まるでうまくやり込められた悪女ではないか。
妹より自分に声をかけないことを不満に思い、嫉妬し……そ、そんな恥ずかしい人だと周りに思われてしまうではないか。
怒りと羞恥で沸騰しそうになる頭をなんとか冷静に保てと自らに言い聞かせ、深呼吸する。これはわたくしに対する侮辱だわ!
こちらを馬鹿にしたように笑う男に向かって、ただ、にっこりと笑った。
気でも触れたのかと思われたにちがいない。怪訝そうに瞠目するデニスに近づき、そっと耳元でつぶやいてやる。
「――そのホクロ、とって差し上げましょうか?」
するりと彼の口元を撫で上げる。途端、ぎょっとした彼の目とかちあった。
どうやら、彼はわたしがこの付けボクロに気づいているとは思わなかったみたいだ。ざまぁみろ、である。
というか、今更ながら思うけれど、もしかしてコイツ、アレックス殿下を意識しているんじゃなかろうか。あのきらきら金髪の麗しの第一王子さまには目元に魅力的な色っぽいホクロがある。
……うん、やはりあまい笑顔とか、上品な仕草とか――ちっとも、まったく似ていない――真似してそうだ。こいつならやりかねない。思わず冷めた目を向ける。
それが功を奏したのか、青い顔をし、あわててデニスは「そ、そろそろ失礼します」と言ってその場をあとにした。
そのまま、わたしは笑顔で周囲を見渡す。こちらを見ていた人らはバツが悪そうに顔を背けた。
さてさて。ぽーっとしたままのレイチェルを、どうしたものか。
「セ、セシリア嬢!」
と、ここで聞き知った声。相変わらずのイケメン・ギルバートさまが、件の美少女を伴ってこちらへやってきた。
「いらしていたのですか」
「はい。ご機嫌麗しゅう、ギルバートさま。挨拶が遅れてしまい、申し訳ありませんわ」
そういえば、し忘れていたな、挨拶。丁寧に謝罪すれば、さわやかな笑みで許してくれるギルバートさまはさすがだ。デニスのこともあり、株は急上昇である。
いまだぽーっとしているレイチェルの姿を隠すように立って、不自然にならない程度にそばに控える女性に目を向けた。
「ええっと、そちらの方は……」
「ああ、幼馴染の――」
「パトリシア・チャーチルですわ。はじめまして」
「ご丁寧に。わたくし、セシリア・アルバートです」
栗色の髪をした美少女、パティことパトリシアさまは、見惚れるような所作で名乗ってくれた。近くで見ると、まつ毛が長くてくりくりの目を縁取っており、本当に愛らしい!
チャーチルといえば、たしか司祭だか神官だかの地位にいたはず……現在も神を奉る役職を牛耳っていた気がする。いってしまえば、チャーチル家の娘とたかだか男爵家の息子が幼馴染となるにはいささか不都合が生じるだろうに、彼らは一見して仲が良いということが明白だ。もしかすれば、マロイ男爵は爵位は低いものの、広い人脈があるのかもしれない。ふむ、あとでガビィに訊いてみよう。
そんなことを考えつつ、背後にいるレイチェルを紹介しようと口をひらきかけたが、その前に本人がずいと身を乗り出し、まるで宣戦布告のような勇ましさで名乗る。
「わたくしはレイチェル・アルバートですわ! 以後、お見知りおきを!」
その勢いのよさは淑女とはいえないような……お転婆さんめ。
こっそりため息をついたわたし。けれどパトリシアさまは一瞬目をぱちくりとさせてから、次いで柔らかにほほえんだ。
「はじめまして、レイチェルさま。ご姉妹でお可愛らしいですわ」
いえいえ、あなたのほうがカワイイです!
「どうぞ、わたくしのことはパティと。これからも仲良くしてください」
「もちろんですわ。わたくしのことはレイチェルとお呼びください! あまり気安く話しかけないでいただきたいわ」
レイチェール! なんて正直者なの!
「レ、レイチェルは照れ屋なのですわ。パティさま、わたくしのことはセシーとお呼びくださいまし」
妹の口を塞いでホホホと貴族笑いをしながらフォローする。なんてこった、レイチェルはオブラートに包むとか苦手なのだ。
パティさまは気を悪くしたふうもなく、「よろしくお願いしますね」と笑ってくださる。なんていい人だろう! これからは心のなかで天子さまと呼ぼう!
それにしても、こんな美少女が幼馴染なんて、ギルバートさまは目が肥えちゃうんじゃないだろうか。羨ましい人だ。
レイチェルの恋のライバルは手強そうだ、うん。
こうして、ホホホ、と笑いながら取りとめのないことをお話し、わたしたちは別れるころには友人になっていた。
だから、このときのわたしは気づかなかった。
恋は人を変える。よくも、そして悪くも。
あの可憐な美少女が恋をする乙女だと知るのはもっと後のことだけれど……もし、彼女をもっと警戒していたら、きっとわたしの人生もちがってきたんじゃないだろうか。
帰宅後、こっそり家庭教師のおじいちゃんに――ガビィはなぜか不在だったし、父だと面倒事になりそうなので却下だ――チャーチル家のことを聞いた。先生はご丁寧に神話まで絡めて教えてくれたけれど。
チャーチル家は代々グスターヴ家の下で従っていた家系。祀り上げた神々を祈りで敬うことを広めた血筋。
そして現チャーチル家のご息女パトリシアさまは、神官の血を引くと同時に王族の血も引いている。
つまり、彼女は現国王のご兄弟、すなわち末の王弟陛下を父にもつ、正真正銘の殿下たちの従妹にあたり、ウィウィアーナの称を賜っている。加え、なんとグスターヴ家の次男・ハロルド騎士と同年代で幼馴染らしい。
と、年上でしたかパティさま!
というか、ギルバートさま、なんていう方と幼馴染なのですか!
パトリシア・ウィウィアーナ・チャーチル。彼女の正体を知ったとき、わたしの世界はほんのちょっぴりだけスリリングなものへと変化したのであった。




