第0話 セシリアという娘
久しぶりの新連載です。
およそ4年ほど前に書きはじめていたものです。少し書きためることができたので、推敲しなおしつつ投稿します。
お楽しみいただければ幸いです。
「セシリア! はやくなさい」
母さまの叱責に、わたしは足をはやめた。本当は思いっ切り走り出したいのだけれど、重たいドレスは言うことをきいてくれない。だから躓いてぶざまな姿をさらさないように、尚且つ母親の怒りを買わないように慎重に足を急がせるので精一杯。
屋敷のまえに停まっていた馬車に乗り込み、やっと息をつく。本当は鼻息荒くゼーハーしたいところだが、淑女はそんなことはしない。すました顔で息を整える。
進み出した馬車から、ふとこれから向かう王都を思い、そのまま遥か彼方の望郷を想った。
望月円香。それが“あたし”の前世だった。
普通の人生だった。特にドラマや漫画みたいなきらきらな青春も暗い過去もなく、とりとめのない人生を過ごした。とりあえず、現世と同じ十八までは。
“わたし”は前世の“あたし”の記憶が全部あるわけじゃない。誕生日を迎えるごとに、『一年分』を思い出すのである。
はじめは混乱しただろうが、もはや記憶にはない。生まれた赤ん坊のときからこうなのだから慣れてしまった。なんの問題もない、と思う。
ただ、今の自分がまるでどこぞの物語のような体験をしているのには驚きだ。転生先は、どうやらファンタジーな異世界らしい。
日本語の『ひらがな』が魔術として重宝されているだとか、国王支配による身分主義のお高い階級意識、価値観、世界観だとか……それは追い追い語るとして。
とにかく、“あたし”は“わたし”として、“セシリア・アルバート”としてこの世に生を受けた。
灰色がかった輝く銀髪にアメジストを思わせる紫の瞳は神秘的で、肉厚的な薔薇色の唇はとても魅惑的。客観的に“あたし”から見ればセシリアは超絶美人だと思う。これはありがたい要素よね。
ただ、予想外というものは生まれ変わった人生でも変わりなく存在する。わたしの場合、産みの親がまさにそうだ。
父のカルロス・アルバートは、一言で表せば暗黒サンタクロース。たくわえた髭をいつも撫でてて、笑うと下品な感じがする。でっぷり肥えたお腹のせいかも。おかげでおやすみのキスも一苦労だ。
母のリジー・アルバートはクリーム色の髪をした美女だ。しかし、鼻は高すぎてちょっと人を小ばかにしたような顔をしている。期待を裏切らず、性格も人を見下すのが大好きだ。
わたしは愕然としたわ! 転生したら、やさしく素敵な家族に恵まれるものじゃなくって? そして前世の記憶と現世の自分のギャップに葛藤し、悩まされ落ち込み、家族のあたたかい愛情で救われ成長していくのがセオリーじゃないの?
それなのに、うちの家族は……!
それなりにお金もちだし、伯爵という地位もあるし、生まれた“わたし”は美形で、はたから見れば恵まれているのだろうし、わたし自身不満はない。だけど。
父は言ってしまえば悪役だ。「ぐへへ、おぬしも悪よのう」の悪代官なんてぴったり。賄賂なんて、朝飯前だ。とにかく権力とお金が大好きで、保身に関しては国一番じゃないかしら。
母だって実家が由緒正しい血筋の生まれのせいか、庶民なにそれ生きていく価値あるの? なんて考え方だし……。「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」を地でいくタイプなのだ。
……そんなわけで、前世の記憶があるなんて打ち明けられるわけもなく今に至る。
もうひとつセオリーじゃないのは、わたし自身。ほら、前世の記憶でいろいろ進んだ技術を活かしチートになる……なんて設定があるらしいけれど、はっきり言って無理だ。平々凡々、いや、それ以下な“あたし”には特に素晴らしい特技も知識もないし、なにより記憶は年齢とともに思い出される。前世の記憶がある分経験豊富というよりは、ふたつの人生を同時に歩んでいるような、変な気分なのだ。
だからわたしが【才女・セシリア】になることはありえないし、なにより――周囲からのあだ名は【悪女・セシリア】。
高飛車で権力に媚びる最悪な女。美形に目がなくて、男と見るや誘惑し、手玉にとって弄ぶ……わがままで、ちょっと頭の弱いそんな女の子。それが噂のセシリアだ。
こうなってしまった理由は、まぁ、いろいろある。もちろんわたし自身にも原因はあるのだけれど、悲しいかな、家族の悪行を被るのもわたしの役目なのだ。
※パンがなければお菓子を食べればいいじゃない:諸説あるそうですがここでは高慢的な意味合いをとっております。