仕様書を読んだ人達は見た!
長い時を経て来た。
けれど、始まりは伝え聞いただけ。
終りの時に立ち会った。
それは、末代までの話題にしよう。
再びめぐる、その時に。
「クラーテール公爵令嬢アンジェラ、君には大変申し訳ないと思うが……」
最初、その言葉が聞こえて来た時に思った事がある。
一つは、嘘だ。
一つは、ようやくか。
「婚約を破棄したい」
そして、『私達』は同時に思ったものだった。
ああ……「馬鹿って本当にいるんだな」と。
記録によれば、シマウマとロバが子供を作る事があったと遠い世界にはあったそうだけど。もしかしたら、馬と鹿が子作りをする事も案外可能なんじゃないかと下らない事にまで思い至ってしまったのは単純な話。
現実逃避、と言う奴だ。
喜色交じりにざわついた声や戸惑いを含めて反応しているのは、『私達』とは異なる存在……時折、確かに「ああ、相容れないんだな」と思う事はある。どうした所で、どうしても相容れない一線は必ず存在するからこそ不思議に思う。
我らが『姫様』を始めとした方々に言わせると、その辺りはどうしようもないらしい。それは、必ずしも彼等だけが悪いとか良いとか言う問題ではなくて長い時の流れが、歴史とも言うべき大きなうねりが彼等をそうせざるを得ない環境の中に押し留めているからこそ起きる事であり。
同時に、だからこそ『私達』は学んだり観察したりと飽きる事が少なく生きられるのだそうだ。
正確にと言うより、精密な意味ではよく判らない。
判っているのは、『彼等』は「自分自身」だけが可愛いのであって『自分達』と言うくくりではないと言うだけなのだと言う事らしい。
「全くもって不可解だわ……」
「仕方ない事だと知ってはいるんだけどね」
「あら……」
明後日の方向では、我らが『姫様』とこの国の第三王子とやらの茶番が繰り広げられている……とは言っても、姫様はこの国の姫君ではなく『私達』の姫様だ。第三王子とは結婚する予定は未定だったそうだが、文字通り予定は未定と成り果てたわけだ。
「ずいぶんと人の悪い顔をしているね?」
「あら、ご挨拶ね……貴方も同じ様な顔をしていると言うのに?」
「違いない」
私と彼だけではなく、『私達』……トレミーと呼ばれる一族っぽい組織の関係者は皆して似たような笑みを浮かべているのだろう。人の悪い、食ったかのような笑み。彫像の様なとも評される事もある、でも造りは全く異なる顔立ちなのは、そう言う風に『造られた』からと言えなくもない。
表向き、この国と言うより近隣の国々も合わせた環境の中で「トレミー」と言えば少しは名が知られているものだ。特に知られていないのが御膝元とも言えるコスモロジー王国の城壁内部だったりするのだから人生ってわけが判らなくて侮れないとは、姫様がよく仰っている。
……え、他のクラーテールの方々?
大公であられる公爵閣下や公爵夫人はお忙しくていらっしゃるし、雲の上の方々だからお見かけする事はあってもお会いする事なんてそうそうあるものではないし。姫様の兄君とて双子ではあっても在籍はされていても修学をされてるかどうか……やはりお忙しいらしくて、行事が起きても御三方もそうだけど、何より姫様ご本人が一日校内におられるなんて年に何日あるか……と言う感じなのだから、どうしようもない。
王国は建国から200年が経とうとしている。
それは、同時に記念日である200年目当日に現王立学校の生徒が卒業式を迎える事と王国が初代クラーテール大公様とのお約束を守られたと言う証として我らが姫様が王家より入り婿を取られると言う日。
と言う事に、なっていた。
一体全体どう言う事なのか、正直な所は私達には関係ない事の様な気がする。
この国は、初代の国王が初代のクラーテール公爵家の御当主様……この御方、後の歴史では初代大公様と呼ばれているのだけれど。どこからともなく数十人を引き連れて助けを求めて来たのだと言われている……いえね?
確かに、この時代の話ではないのですよ? 200年前ですもの、誰一人として生まれてはいませんから歴史を改竄したのだとか言われたら否定しにくいですよ? 証明出来ない事もないそうだけど。
でもね、だからと言って……コスモロジー王国が200年続いたらクラーテール公爵家が持つ「魔法の力」を与える証拠として子供達を婚姻させる事。なんて。
……もしも、初代大公様が目の前に居たらブッ飛ばしてやりたいと息巻いたのは私だけではない。実際に目の前に居たとしてもブッ飛ばせたとは思えないけど。
現在の王家は、国王一家としての国王と王妃、そして王子が三人いる。女の子が居たとしたら、その娘がクラーテール公爵家へ嫁入りをした事になるんだろうが、現在のトレミー出身の王妃が生んだのは男子三人で公爵夫人が生んだのは男の子と女の子の双子。その為、我らが姫様が王子の一人を婿として受け入れてクラーテールの侯爵家を受け継ぐ事になっていた……。
長男の王太子は、既に婚姻を結ぶ事が決定付けられている。次の花嫁となるのは我らがトレミーより選ばれて、そのあたりの色々は今は関係がないだろう。二人の婚姻は、建国祭の時に現王と王妃が譲位する時と同時に行われることが決まっていて他にも色々な催し物がある予定……これも未定となった。
次男の未来の公爵は、これまた少しどころではない問題を抱えており……それを差し引いても未来の花嫁は決まっている。
そういう意味から、第三王子が婿入りをする事になっていたのは周知されているけれど実際のところを言えば相手は第三王子でなければならない理由など存在しなかった。と言う、根本的な所を勘違いされていたのだから対応に困る。
だからこそ、姫様はこれまでの諸々の色々を込めて茶番を始めたのではないかと噂をされている……何しろ200年分の思いを込めた茶番。是非とも皆様には楽しんでいただきたいものだとも、噂はある……。
ちなみに、公表されていないけど隠されてもいないので調べれば判るけど姫様は現在の所は辺境伯を受け継いでいる。
もっとも、これには少し事情があって最初は伯爵位にさせようと思っていたらしい。確かに色々とややこしい問題が絡んでいるらしいのだけど、普通の伯爵位ならば今ほど姫様はお忙しくないし諸外国との外交なんて学生の身の上で行う必要などまるっきり無かったわけなんだけど……姫様の高い能力がこの場合は仇になった。
姫様は、御幼少の砌に『魔導書』の契約者として認められてしまった。本来ならば喜ばしくも栄光と誉れある事ではあるのだけど……だからと言って姫様にかかる負担は言うまでもなく高すぎると、私達でさえ思うくらいだけどかわれる誰かがあるわけではないのだから手立てがない。
少なくとも、私には思い付かない。
私達トレミーにとって、クラーテール公爵家は王国だの王家だのが二の次になる唯一の主と崇めるお家だ。上級貴族のお家ならばともかく、同じトレミーでも私達の様な下級貴族の家ではトレミーであると言うだけで十分に理由となる。まあ、城壁内部の腹黒な者達から良い目で見られる事はないのだけど文句があると言っても決して表立って彼等が喧嘩を売って来る事は少ない……入居したてでよく理解出来ない人達はたまにケチつけに来る事もあるけれど。
理由の一つとしては、トレミーに属すると言う事は「そう言う事」だからと言うのもある。大なり小なり、トレミーに属する者はクラーテール公爵家の方々と「契約」を行う。確かに誓約を行う事で存在する制約もあるけれど、そんな事が気ならない程の恩恵を受ける事もある。もし、置かれた環境や状況に不満があるのならば申し出る事で即時対応して貰えるのは素晴らしい事だと思う、上級貴族は下級貴族や平民を虫けらとしか思わない人とて存在する事くらいは私だって知っている。そうとも言い切れない部分がある人だって存在するだろうが、だからと言って一事が万事と言うわけでもない。
クラーテール公爵家の方々のお持ちになる『魔導書』にはいくつか種類があるそうだが、私は姫様がお持ちの『黄金の夜明け』しか知らない。そのお力の欠片は「契約」を司るのだそうだ。
そうして、学生達は希望する限り契約により受ける恩恵が存在する。時に希望されない者もいない事はない程度に存在するけれど、全部の中からすれば1割にも満たない。
我らが姫様、クラーテール公爵家ご令嬢アンジェラ様は王立学園では生徒の一人一人に。また、諸外国との外交面と言う意味でも「契約」を行っておられる。王家としても、姫様は確かに学生だが何の効力も持たない単なる紙ではなく効果を持つ姫様に行って貰う事で安心を買いたいのだろう。それに、下手な高官より美しくもお優しい溢れんばかりの力をお持ちの姫様が出向かれる方が諸外国の高官や責任者達も問題を起こす事なく話が進むと聞く……一説によると、会談の相手が姫様でない時は相当に荒れるらしく、場合によっては姫様が急遽呼び出されると言うことも珍しくはない。
確かに、この国は「平和」だ。
人々は国から配られる硬貨と引き換えに日常に必要な品々を手に入れる。城壁の内側に住んでいるのは、国王と僅かに初代の頃から生き残っている血脈、そして9割以上が諸外国から逃げ込んで来た逃亡者の慣れの果て。
雨風をしのぐ場所と、直ぐには死んだりしない環境を手に入れた彼等は、有ろうことか贅沢を覚えてしまった。
でも、それも仕方が無いのかも知れない。
自分達の常識では理解出来ない「力」を持っている、しかも見た目が優男だったり小娘だったりする人々が苦も無く行っているのだから自分達が手に入れたいと思ってしまうのも仕方が無いのかも知れない。
この国は平和で、それに包まれて忘れてしまったのだろう。
王国に来る前の自分達を、その環境を。
理解出来ないからと、放って置けば良いのに。
この国は「平和によって守られている」様に一見見えるだろう、でも。
「始まるな……」
「ええ、始まりますね」
鐘の音が響き渡る。
これは変革の音であり、始まりの音であり、終りの音でもある。
国中に届くだろう、我らが姫様の『宣言』の後に続いた鐘の音が教えてくれる。
これまで守られてきた「平和」の終わりを、始まるのが何かは知らない事は確か。
けれど、想像する必要もない。
彼等は不満だと口にしていたのだ、自分達ならばもっと上手く出来るのだと豪語していたのだ。ならば、行って貰おうではないか!
そして、平和の音を鳴らしていた鐘は。
割れる。
一応明記して置きますが「平和によって守られる」と言うのは誤字ではありません。
確かにトレミーの人達によって「平和」は作られてきましたが、城壁の内部の方々は大多数が「平和が作られている」と言う事を知る事がないのです。
何故なら、知る気がないから。
もしかしたら、割れた鐘の音は平和を作って来た彼等の嘲笑うそのものだったのかも知れません。
2016/02/14
追記:冒頭のシマウマとロバの子作りは本文を書いていた当時にテレビのニュースで見ました。シマウマが柵の向こうのロバに恋しちゃったらしくて、柵を(物理的に)乗り越えてロバのエリアに入り込み串刺し★
なお、持ち主さんは動物のお医者さんに子供が出来るか問い合わせた所「まず絶対に出来ない」と太鼓判を押したけれど、色が少しぼけた感のある縞模様のロバが生まれてました…遺伝子の不思議ですね。