裏返せば臆病な愛
「もう絶対に離しません。あなたはずっと、私のもの……」
夢の中で毎日私に囁きかける優しい声。けど、私はその人の顔を見ることができない。いつも夢の中で目を覚ました私は声のする方に視線を向けるのだけれど、顔が見えると思ったその瞬間、夢は闇に消えてしまう。
「おはようございます、お嬢様。どうかなさいましたか? 浮かない顔で」
「いえ、平気よ。気にしないで。今朝も早くから庭掃除ご苦労様」
「いえ、そんな」
妙に礼儀正しい彼は私の家に奉公に来ている、いわゆる使用人。早くに両親を亡くして、五年前からうちの呉服屋で働いているの。細やかで気の利く優しい人よ。住み込みだから、私の世話もしてくれているわ。
「柊、よければ今日のお昼辺り買い物に付き合ってくださらない?」
「なにかお探しですか」
「ええ、最近一つ向かいの通りに新しく小間物屋ができたでしょう。そこの若旦那がうちと親しくしたいってよく出向いてくださるの。その時必ず私にお土産を持ってきてくださって……だから今度いらした時には何かお礼をしようと思ってね」
柊は庭の枯葉に視線を向けたまま話を聞き、私が言葉を切ると静かに顔を上げ微笑んだ。
「それは良い考えです。お嬢様は素敵なお心の持ち主ですね。分かりました、私がお供いたしましょう」
「ありがとう、柊。あなたがいてくれると心強いわ」
ねえ柊、今一瞬だけ影を落としたように暗い顔をしたのはなぜ?
「街はすっかり冬の気配です。風もありますし、暖かい格好をして出かけましょう」
それとも、ただ風に舞った葉が太陽の光を遮っただけなの?
「見て、柊! これなんて素敵じゃないかしら」
「お嬢様、あなたはもう十七なのですから少し落ち着いてください。子どものようにはしゃがれてははしたないですよ」
「あら、いいのですよ。ここには口煩いお父様はいらっしゃらないのですから」
私のあっけらかんとした返しに柊は困ったように微笑む。
「全く、あなたというお方は」
「あら、何か文句でも」
「いいえ、何もございません。柊はただあなたのお側に仕えるのみにございます」
柊は誰よりも私に従順。だから私も、つい友達のような感覚でいじりたくなってしまうの。
「ねぇ、これはどうかしら。銀杏の葉で作られた栞ですって。素敵ね、私の名前も含まれていますし」
「杏ですね、とても詩的で美しい贈り物です」
「でしょう。早速買ってくるわ、柊はそこにいなさい」
「はい、仰せのままに」
私はすぐにお会計を済ませると店の外で待つ柊の元へ向かった。
「柊、お待たせ……柊?」
どうしたの、そんな怖い顔をして。
「__どうかなさいましたか、お嬢様。私の顔に何かついていますか」
「い、いえ。何でもないわ」
いつもの柊、よね。でもさっきのは一体。
「そ、そうだわ。これ、今日買い物に付き合ってくださったお礼です。よければ受け取って」
私は懐から木製の櫛を取り出し柊に差し出す。先程お会計を済ませる際、柊に内緒でこれも買ったのだ。
「男性のあなたにはどうかとも思ったけれど。柊は髪が長いから、たまにはお手入れすべきでしょう。綺麗な髪ですから、いつもぼさぼさにしていないで大切にしなさい」
私の普段の感謝が詰まった櫛。しかし柊は、切なげに微笑むとゆっくり櫛を押し戻した。
「ご親切にありがとうございます、お嬢様。ですがこれは受け取れません」
「どうして、やはり櫛は嬉しくなかったのですか」
「いいえ、そうではありません。お嬢様のお気持ちは大変嬉しく思います。ですが櫛は、苦しむ、死を連想するので贈り物としてはあまり良くないとされているのですよ。せっかくですが、これは受け取れません」
あぁ、そういうことですか。私の知識が至らないばかりに失礼なことをしてしまったわ。けれど少し、安心した。
「ごめんなさい、そうとも知らず。でしたらこれは私が使います。柊には今度改めてお礼をするわ」
「そんな、私は礼なんて」
「私がしたいの。お願い、わがままを聞いて」
柊は押し黙ると、一歩下がり頭を下げる。
「かしこまりました、お嬢様」
「ありがとう。そうだわ、私がこの櫛であなたの髪を梳いてあげればいいんだわ! それならば問題はないでしょう。お父様も、柊と関わるぶんには煩く言わないのですよ。他の使用人はそうでもないのに。きっと私たちの信頼を分かってくださっているのね」
「そんな、お嬢様のお手を煩わすなんて」
「良いのです、私がしたいからするのですよ。あなたも分かってくれるでしょう」
明日の朝が楽しみだわ。早くこの櫛を使いたい。
「今日はとてもいい日ですね。銀杏の栞も買えましたし」
「杏…….お嬢様は、その若旦那様のことが、お好きなのですか」
突然柊は思いつめたような口調で私に問いかけてくる。私の思考は驚きのあまり停止し、つい顔を抑えて俯いてしまう。
「えっ! な、何を言いだすのですか。そんな、好きだなんて」
「信頼する私にも言えないことなのですか」
柊、そんな真剣な顔で見つめないで。ずるいです、私が先程言ったことを盾にして……柊に隠し事なんて、できるわけないでしょう。
「まだ、分かりませんよ。でも少し、気になっているのかもしれません」
「そうですか」
「柊はどう思う? あのお方のこと」
私は思わず柊の視線に耐えきれず聞き返してしまう。柊は、意外なほどあっさりと答えた。
「私ですか。そうですね、信頼するお嬢様がお認めしたお方でしたら、応援したいと思います」
「そう」
なんだか、拍子抜けしてしまったわ。でも、ならばあの真剣な表情は一体なんだったのですか。
少し、残念です。
「ありがとう、柊」
当たり前ですね、柊は所詮奉公人。私の色恋に口出しなんてできるはずもなければ興味もありませんよね。なのに私ったら、いつしか本当の友人のように勘違いして、一緒に盛り上がってくれるものだとばかり。
呉服屋の娘が、なんて情けないんでしょう。
翌朝、柊の髪を梳こうと庭に向かうと、そこに柊の姿はなかった。
「ねぇ、柊がどちらにいるか知りません?」
近くにいた使用人に尋ねると、一切の迷いなく返事が来る。
「柊なら明朝荷物を持って出かけましたよ。何でも旦那様に頼まれた使いがあるんだとか」
こんな朝早くに、一体何のご用が。
その時、外で掃き掃除をしていた別の使用人が飛び上がってかなり慌てた様子でこちらに向かって来た。
「大変です、大変ですよ! このところしょっちゅううちに来てたあの若旦那、お嬢様に気があるそぶりを見せておきながら今朝方早く綺麗な娘と歩いているところを見たってやつが! あいつ、とんでもないたらしですよ」
「馬鹿、そんなことお嬢様の前で言うんじゃねぇ」
目の前にいた使用人は駆けてきた使用人の頭を思い切り叩く。いい音がその場に響き渡った。
「いってー。いやぁ配慮が足らずすみませんでした、お嬢様」
「いえ、大丈夫よ。そのくらいのこと、全然」
言葉とは裏腹に、頬を冷たいものが伝う。その時丁度、裏の玄関が開く音が聞こえた。
「どうなさったのですか、お嬢様!」
「よかった、いいところに帰ってきたな。お嬢様、柊が帰りましたよ。探しておいでだったでしょう」
柊、そう柊。今朝は、柊の髪を梳こうと楽しみにしていたのに、なのに。
「お嬢様……」
「柊、胸を借りても」
「もちろんです、お嬢様」
私は、柊の胸の中でひとしきり泣いた。こんなにも私の中で思いが強かったなんて気付かなかった。柊は私が泣き止むまでずっと私を抱きしめ、頭を撫でていてくれた。
「すみません、お嬢様。私が至らないばかりに」
柊はお父様に特別な許可をいただいて、今日は休みにしてもらった。私のことを気にかけて、ずっと一緒にいてくれるという。だから私は、部屋に呼んで早速髪を梳いてあげた。
「何を言っているの、柊。あなたは悪くないですよ。悪いのは、人を騙すような男と、それに容易く騙されてしまった私」
「そんな、お嬢様は決して悪くなどありません。私がもっと早くにあの男の所業に気付いていれば」
思わず体に力が入ったのか、柊は前屈みになるので途中で髪が櫛から抜けてしまう。
「こら、そんなに動かないで。髪が絡まってしまうでしょう」
「す、すみません」
「さっきから謝ってばかりですね。おかしな柊」
今自然と笑えているのは、何もかも柊のおかけ。
「この櫛はね、楓の木でできているそうなの。私、楓って大好き」
「え、お嬢様?」
柊の肩が小さく動く。それに気づかないふりをして私は意地悪っぽく尋ねる。
「どうかしたの柊」
「いえ、なんでもありません」
明らかに動揺した様子の柊。なにか、気になることでもあったのかしら。
けれど、心地よかったのか探りを入れる前に柊は眠ってしまった。
「あらあら、今朝は早かったものね。あなたも可愛いところがあるじゃない。ねぇ私の柊」
私は髪を梳く手を止め、ゆっくりと背後から柊を抱きしめる。
「お花の香水、素敵だわ。とても良い香り。けれど、男性がつけるものではないですよね」
柊の髪を指で梳きながらそっと持ち上げ、口付ける。
「柊、あなた変装が上手ね。男装も女装も似合っているわ。紅もうまくひけたみたい」
親指を柊の艶やかで愛らしい下唇に沿わせる。
「化粧は綺麗に落としてきたのですね。けれど残念、匂いまでは完全にとれなかったみたい。追求されたらなんて答えるつもりだったのかしら」
きっと柊のことです、なにか言い訳を考えていたに違いたのでしょう。あなたは昔から賢い人ですから。
「ごめんなさいね、柊。そんなに謝るほど責めるつもりはなかったのよ。けれど昨日、応援するだなんて嘘をつくから、つい苛めたくなっちゃった。私の泣き真似、上手だったでしょう。子どもの頃と思うと随分成長したんですから」
「んん……あんず、苦しいよぅ」
「ふふ。寝ぼけてるいのね、可愛い。子どもの頃の夢かしら。あなたは私が忘れてしまったと思ってるみたいですけど、私はちゃんと覚えていますよ。両親を亡くし、急遽この街を離れることになってしまった私の親友で、大好きな人。楓ちゃん、あの時約束しましたよね。『いつか必ず、一緒になろう』って。柊がうちに来た時、本当に嬉しかった。あの約束を果たしに来てくれたんだわって。けれどそれにはこの世の中は冷たすぎるし、私たちはまだ若すぎた。だからあと少し、もう少しだけ待ってください。そうしたら必ず、あなたに本当のことを言いますから、ね」
私は柊の頭を膝に乗せると、艶やかに光るそれに、顔を寄せる。
「私、大好きよ。あなたのその髪も鼻も目も口も手も足も優しい性格も時折見せる暗い表情も何もかも全て。愛しているわ。だから構って欲しくて、ついこんなことをしてしまったの。謝るのは私の方ね、ごめんなさい。でもあなたならきっと許してくれる。またいつものように微笑みかけてくれる。私ね、毎日毎日、いつかあなたと一緒になる日を夢見て眠りにつくのですよ。あなたはどう? 今度聞いてみるわね」
あぁ、愛しい人。私の腕の中で眠る可愛い人よ。私はあなたと同じ性を受けて生まれたこと、光栄に思います。
「もう絶対に離しません。あなたはずっと、私のもの……」
個人的には面白い話が書けたと思います。良ければ感想や、考え、直した方が良いと思うところなど教えてください。
2015年12月24日 春風 優華