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私小説論  作者: 藤堂 豪
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私小説論 前編

 私小説、最近では余り見受けられなくなった感のある文学に於ける一つのカテゴリだと言われております。実際はどうなのでしょうか。また、活字離れをしている現代に於ける文学に於ける芸術性とは一体何なのか?



最近ではブログを代表として今やSNSなど含めると一億二千総作家、などと揶揄されるように、誰もが簡単にWEB上で日記が書けてそれは物語になったり、書籍化されたりしております。そうしてそこに書かれている事は往々にして自分自身の事だったりするので、それを小説化し、物語としての脚色を加えれば私小説に成り得るものは多々あります。その辺りは逆に読み手としての想像力が求められる、若しくは試されるのかも知れません。世の中に沢山あるブログサービスやSNSサービスの中から、作者(書き手)が日々更新する『記事』をそういう目線で読み取るか、若しくは単なる文章として読み取るか、という違いです。ただ、私小説にするから文学的に優れているとかそういう事を論じているのでは無く、飽く迄も読むのは学ぶ事若しくは趣味の範疇だから楽しめればまずはよし、という事なのだと考えられます。読み手によって拡がる想像力は凄いものがあり、またそこから作者が色々と教わり書く時の幅が拡がったりもすると考えられますから。そういった一般的で、その気になれば誰でも簡単に見られる対象のものを含めると、私小説として読んでもいいのでは無いか、と思われるものは沢山あると考えられます。



 そこで「私小説のあるべき姿」についてを少々考えてみようと思います。



 まず第一に浮かび上がるのは、ある文芸賞の評者のコメントに、「もう私小説は過去の物になっている」とありました。他にもそういう事を文芸研究関係者からは伺ったりします。酷く残念な事だなぁ、と個人的には思いますが、時代の流れと言ってしまえばそれ迄であるかも知れません。それは私小説に対する一定の考え方が消失しつつあるからそういった発言が出るように思われますし、時代としては私小説のような物よりもストーリー性や話題性に凝った読み物の方が好まれる現実があると、書店に並ぶ新書コーナーを見ても思ってしまいます。勿論小説も然りですが、近頃は小説などの文芸書と一緒に個人の体験談的要素が含まれる物、例えば特殊な体験をした人、例えばホストに●●円貢いだその記録、とかある風俗嬢の告白、とかそういった類の物、大衆雑誌に掲載されるような告白話が新書として並んでいます。そういうのを見ると正直申しまして酷くがっかりとした気分になります。そこにあるのは好奇の眼にさらされてそれでよし、としている事が判るから酷く私には残念なのです。そういった物を否定する訳では無いし勿論書籍離れが叫ばれている近年に於いて、書店さんも“売れる”本を置かなければ経営が成立しない、出版社も“売れる”為の本を作らなければ経営が成立しない、という現状があるからこうなる訳であるから“売れる”為のモノ作り、という観点では寧ろよく理解出来る事なのではありますが。それを芸術を高め、より豊かな生き方を考える、という場と並列されてしまう事そのものが私は酷く残念なのです。また、豊かさの在り方、という事も価値観の多様化が進む現代社会ではどうなのか、という問題も突き詰めるとあるとは考えられますが。そこで改めて私小説という物を見直す必要性があるのかも知れません。私小説はこれからどうなるのか、という事を。その事を論じる前に私小説とは一体どのようにして成り立ったのか、その事をまず簡単にお伝えして参ります。



 私小説とは大正時代後期に確立され「心境小説」という物から派生したと考えられております。客観的な描写を中心とした小説では無く、作者の主眼を論点の中心に置いたストーリー展開を見せる作品群の事で、主に内面描写を中心に語られる事が多く、客観的な視点は物語からは排除しない迄も作者の主眼と内面、その事を物語として綴って行く形式を取る作品を表します。また、単なる自伝的小説と異なるのはそこに作者が訴える事実を元にした確固たるストーリー性があり、作者自分の事でありながら、自分自身とは名乗らず、第三者を主役にする事も多々あります。

(※参考書出:ウィキペディア、私の解釈を加えております)



 大正時代に確立されたという事は文学の歴史上に於いては比較的新しいと分類されますね。しかしそれ以前も漱石や鴎外のように、自分の身の廻りに起きた出来事を小説として残した作家もいます。そことどう違うのか、そこは意識の違いでは無かろうかと思われます。どのような意識かと言えば、作品の中に叙情的な側面を持つかどうか、という違いであり心境小説の最初は自己内省に終わってしまう作品も数多くあったと考えられます。また現代に於いてもそれは同様で、そういった作品はどちらかと言えば本人の散文的なエッセーとして色彩の強い読み物として、若しくは単なる自叙伝としての色彩のある文章として捉えられ勝ちになります。文学としての価値、例えば作家を知る、という側面での価値は確かにあれどもそれではやはり、芸術性をその文面からだけ押し出す、という事はちょっと厳しいのでは無かろうかと考えられますそこで私小説が登場するのです。ストーリー性に富み、且つ体験談でもある。更に創造部分もある。これが先程申し上げました、読者に対してどこが本当で………と考えさせ、空想させて読者の感受性を膨らます事が出来る。そうして初めて私小説として成立するのです。だから私小説と考えられる作品は、実は多いようで少ない、少ないが故に残っている作品は優れている作品で、且つそれは時空を越えた普遍性をも伴っていく、と考えて差し支え無いと思われます。このように真の私小説は、狭義であるが故に扱いそのものが非常に難しく、書くのも正直難しい。何しろ四六時中「自分」という輩と付き合わなければ絶対とは言わずとも、まず書き得ないモノなのだから。けれどもそれなら、そこ迄突き詰めているのだから私小説そのものが文学の中で最も優れた物か、と言えばそうでも無いと考えております。各々の分野、方向性によって優れた文学なんて変わってくると私は思っておりますし、どれが最も優れた、だなんて順位をつけるそのものが本来の芸術からはかけ離れたものになってしまうと思ってもおります。最も、【売れる】だとか、【大勢が歓ぶ=ベストセラー】というのはまた別ですが。


 書き手も読み手も共に扱うに当ってはそれ相応の知識や見識が必要になってくると考えて差し支え無いでしょう。例えば今日日現代社会の中で、太宰治の『道化の華』をさらっ、と誰でもが読めるか、と言ったらそうはいかないでしょう。私は久々に読んでみたらサラッとは読めませんでした。現代表記文法との違いを抜きにしたとしても、いっかな読みにくいのが本音でした。しかし太宰治の場合、彼の歩んだ足跡は相当知られているから、そういった知識としてのバックボーンがあって初めて文学作品として、ある意味での普遍性を保つ事が出来ると思われます。私がかつて住んでいた場所の隣町にも(千葉県船橋市、太宰が植えたという夾竹桃の木は今でも市の中心部に移植されておりモニュメント的存在になっています)太宰は住んでいました。関東人にしてみれば、かなり身近な存在です。このような知識としてのバックボーンが無ければ、私小説は本当に普遍性を保っていく事そのものが非常に難しいのでは無かろうか、と思われます。逆にその知識としてのバックボーンが作品を通して産み出されている、という事も太宰治の言葉を借りればそうなのですが、余りにもエピソードなどが有名過ぎるとその言葉の価値すら見失われてしまう可能性すらある。そうはなって欲しくは無い、というのが太宰治そのものの願いなのかも知れませんし、逆にそれはポーズなのか、彼の“強過ぎる”自己顕示欲の現れなのかどうなのかは、深層心理部分では今となっては全く判りませんが、とにかく多くの太宰論などを見ていても、鶏が先か、卵が先なのか、と私は終ぞ疑いの眼を抱いてしまいます。そうすると、読み手たる私の目線が変るのです。それが果たして純粋な文学作品として捉えられているのかどうかすら、読んでいて自分で自分を疑ってしまうのです。


 ………この例え話を一つ取っても判りますが、私小説を読む場合は読者たる我々も相当なその人物に対する見識などは得るか若しくは、その作家の主体としている文学分野の事などを知らないと、実際には読み解くには時間が掛かるのです。否、実際には平行線です。知識のフィルターと感受性とは。見識だけを羅列するとすれば、太宰や坂口安吾ならフランス文学を、三島由紀夫や現東京都知事石原慎太郎なら、耽美派や戦後派の文学を、田山花袋や志賀直哉なら自然派とか民俗学とかを、車谷長吉さんなら貧民の世界とか、柳美里さんなら在日としての世界観とか東由多加の事とか、そういう事を知っておかなければ読んでも純粋な文学作品としては感受性が豊かになる事は出来ても、それ以上は情報が溢れる現代社会では産み出す事がなかなかどうして、出来ないのです。………出来る訳も無いのです。何故ならバックボーンが無いのだから。これは私だけの話ではないと思うし事実世間の反応などを見ているとそうだという事は判ります。印象に残っても、いずれは風化してしまうのは、バックボーンを知らないから。そこに秘められた何か、を考えられなければ知らなければ、ただ単にそれは印象に残っているだけであり、感受性としては由、としても、感性として入り込んでいるとしても、その次にある知識のフィルターと更にその奥に存在する、人間としての本音迄に入り込むには相当の時間を要します。逆にその私小説を読む事がトリガーとなって、どんどん知る、知りたい、と思う事は純粋に私は有り、だと思うし、その為にも書く、というのも作者としての本音の部分であろうかと思われます。だから良く世間一般で言われている、

「改めて●●の作品の●●を読んだら、中身が違って見えた」

という感想が産まれるのです。それはバックボーンが備わったからです。


 私は坂口安吾をこよなく読みます。ほぼ全作品読破したと言っても過言では無いでしょう。けれども、十六歳の時に読んだ安吾の『吹雪物語』と二十八歳の時に読んだ『吹雪物語』とでは明らかに内容が異なって見えました。そもそも十六歳で『吹雪物語』のような大人でも判りにくい作品を読む事そのものがある意味無謀と言えば無謀ですが、そう言えるようになったのは知識をその後勉強して得たからです。けれども十六歳の私は『吹雪物語』を今読まなければ俺は死ぬ、位の感覚でした。決して誇張でも何でも無く、当時『吹雪物語』の文庫新刊は当時の私が知る限りではちくま文庫さんの安吾全集からでしか出ていないと思っていた事と更に視野の狭い子供たる私は、近所の本屋さんには置いていない、ならばと遠出して………とインターネットも無かった時代、携帯電話は一部の富裕層しか持てない時代で、せいぜいポケベルだったので、足で歩いて探すしか無かったのですよね。そうしてやっと見つけた安吾全集。漸く見つけた一冊だったので、ここで読まなければ俺は一生この『吹雪物語』即ち、安吾が矢田津世子と別れた、その心境を知る事は出来ない、とすら感じていたのです。最初見つけた時は小遣いが無くて、店員さんの目を盗んでちくま文庫の住所を控えました。何も素直に店員さんに聞けばいいものを、恥じらいというか、何と言うか、当時からもう、安吾なんて半キチガイ、俺もキチガイ扱いされちゃうぞ、というような概念だけは立派にあって、更には当時私は不安神経症を患っていた頃で、毎日精神安定剤としてのトラベルミンとかその他二種類位の薬を飲んでいたので、何だか落ち着きが無く、こういう事は自分一人で決着をつけなければならない、そう思っていたのです。それは私自身が停滞し、そうして何も自信を持って産み出す事など出来ない、そんな恐れから来る衝動なのかも知れません。その衝動は大人になった今でこそ対応出来ますが、正直二十五歳位迄はそういった衝動に駆られると、少し落ち着きが無かったです。そんな私だから、停滞したら俺は死ぬ、と本気で思っていたのです。今思えば随分浅はかな、と笑ってしまうのですが。十四歳で『堕落論』と『白痴』や『二十七』を知った私は、絶対に安吾がその作品そのものを後述として否定しようとも、『吹雪物語』はこの手で読んでおかなければならない、と思っていたのです。こうした例は極端かも知れませんが、ありとあらゆるバックボーンが無ければ、その後読んでみてもなんやチンプンカンプン、となってしまうのです。事実最初に『吹雪物語』を私が読んだ時はチンプンカンプンでした。けれども太宰治の『人間失格』はスイスイ読めましたし、他もスイスイ読みました。それは太宰という人物を当時放映されていたテレビドラマなどで随分知っていたからであり、更には最初に太宰の作品を私が読んだのは新潮文庫さんの単行本、『グッド・バイ』全作品だった為、スイスイ読めたのでした。当然文法が読みにくかったのは事実でしたが、知識という名のフィルターがあったのでこういう差があったのだと思います。


 私の実体験をまたちょっとだけ書きましたが、私小説に於いてはどうしても、読み手も書き手も知識というフィルターが無ければ推し測る事などは出来ない、その一例だと思って頂ければ幸いです。また、その知識のフィルターを働かせる為には感受性が必要になります。好きか嫌いか、という人間としては原始的な感情から始まる感受性です。十六の私はありとあらゆる事に生き急いでいたので、今のようなある程度余裕の在る考え方は持ってはいませんでした。だから感性も違うのです。今でこそ落ち着いてこういう事を書いておりますが、当時はそうも行きませんでしたし。この二つの線は常に平行線であり、絶対的にその線をお互いが飛び越す事などは出来ない厄介な代物だと思っています。

 また更にそれを承知の上で自らが書く時は、如何にしてそのバックボーンを随所に出す事が出来るのか、という本当の謂わば自分自身との真剣勝負、となります。だから私など、今は駄文しか書けないような人間であっても、相当神経をすり減らすし、そう迄した所で、一文もいい文章が実は産まれなかったりもします。原稿用紙十枚書いてやっと一枚の清書が出来る、というテイタラクだったりします。そうして私は思い知らさせます。如何にして自分と向き合う事そのものが難解なのか、自分の心境をかなり噛み砕いて、そうしてそれを文言にしていかなければならないのはどうしてこんなに気が狂いそうになるのか、そうして己自身を私はどう見ているのか?………このような哲学論に迄派生せざる得ない自己内省が延々と繰り返させられるのです。それが私小説であり、逆説的に言えば、それが故に私小説は哲学書たるのかも知れません。そうして出来上がった作品で果たしてどれだけ人を惹き付けられるのか、という事も全く判らないのです。全く惹き付けられないかも知れません。それは寂しい事だなぁ、嫌だなぁ、と俗人の私などは思ってしまいますが、それでも見詰ないと書けない。その繰り返しこそが苦悩の始まりであり、そこから初めて私小説としてのストーリーが産み出されるのかも知れません。


前編終りです、後編に続きます。


前後2回に分けて掲載します。次で終わります。最後迄読んで頂いた皆様、お疲れ様でした。

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