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後篇

 家に帰った俺を待っていたのは家族の心配そうな顔と声であった。今まで俺の顔を見ていたはずの愛ですらはっとしていたくらいだ。


「わ、わたしのせいで……ごめんなさい、お兄ちゃん」


 鏡で確認して見れば、思わず「うわ」とうめいてしまうくらいに痛々しい痣と腫れができていた。我ながら酷い顔だった。


「大丈夫、見た目ほど痛くないよ。だからそんな顔するな」

「うん……」


 素直に、弱々しいものの、笑みを浮かべてくれる愛だった。



「うーん。ちょっと接客できる顔じゃないよね」


 翌日、出勤した俺を待っていたのは、店長のそんな言葉だった。


「え」

「しばらくは療養に専念して。今日は、裏方の仕事が一通り終わったら帰っていいから」

「クビってことですか」

「いやいや、しっかり働いてくれてるし、その怪我が治ったらまたよろしく頼むよ」

「あ、はい!」


 しかし、そこまで酷いのか……。まあ、名誉の負傷だろ、これは。もうちょっとスマートな生き方が理想なんだが、現実ってのはしょっぱい。



「ひゃあああああ!? だだだだだ誰っ!?」


 バックヤードでシフトが被っていた渓と出くわすと、悲鳴を上げられた。


「俺だよ!」

「お、俺俺詐欺なら間に合ってますっ!」

「じゃなくて、俺だよバイト仲間の顔も忘れたのかよ!」


 てか、俺俺詐欺が間に合ってるってどういうことだよ。


「え、うそ、ひどい顔」

「あのさあ、祭りのときにもこの顔だっただろ」

「……暗がりだったからよく分からなかったの。こんなに痛々しいことになってたなんて」


 目を伏せる渓。

 別にお前が悪いわけじゃないんだから、そんな表情するなよ。

 痣のできたところを手のひらで触れる。


「いたっ」

「ご、ごめんなさい」

「いや、ちょっとびっくりしただけ。大丈夫」


 その手の温もりはとても暖かくて気持ちよくて。

 そうだ、この手の温もりがきっかけだったんだ。


「って、いつまで触ってるのよ!」

「いて!」


 感慨に浸っていると、手のひらで顔を押し返すように突き放してきた。

 触ってきたのはそっちだろうに……理不尽だ。



 お役御免となったバイト先から家に直帰するのも味気ない。まあ、この顔で街を歩き回るってのもなんなのだが、一応マスクはしているので(季節はずれの完全防備な花粉症用マスクだ)、変な目では見られないはずだ。

 とはいえ、人の多いところへ行く気にはならなかったので、久しぶりにゲーセンにでも寄ることにした。オンラインクイズゲームを楽しんでいると、


「あ」


 バイト先に忘れ物をしていることに気づいた。ケータイだ。ケータイがない。

 自分で「ケータイとは常に持ち歩いていなければならない」とか言っておきながらこの体たらくか。

 途端に落ち着かなくなってきたので、ゲームはさっさと敗退し、コンビニへと向かう。

 コンビニから程ないところにある公園近くの道路。この辺りは近所の小学校の通学路にもなっているのだが……、


「渓……?」


 俺から見て公園を挟んで右手にバイト終わりであろう渓の姿が見えた。

 その顔はどこかこわばっているようにも見えて……渓が後ろを振り返ると、一瞬ビクッとした。なんだ?

 渓は走り出した。すると、それを追いかけるかのように、走り出す影があった。

 あいつは――バイト先の常連で渓のファン(だと勝手に俺が思ってる)大学生風の男だった。これはただ事じゃない、と思った俺は男の前に飛び出す。

 ――ああ、このパターンは昨日と同じだ。

 そうわかっていながらも、体が動いてしまった。


「おい」

「ぼくに、なんの用? 今、忙しいんだけど」

「忙しい? へえ、なにがそんなに忙しいんだ?」

「きみには関係ないだろ」


 苛立たしげだ。


「俺は知ってるんだぜ。お前の秘密をな」

「ぼくの秘密だって?」

「ああ、お前はあそこのコンビニの店員が好きなんだろ?」

「…………なぜそれを」

「わかるぜ。でもな、そういうあいつを困らせるようなことはやめてくれないか」

「ぼくが彼女を困らせただって? いったいいつ」

「今だよ。お前、ストーカーみたいなことしてんじゃねえか。お前には見えなかったのか。あいつが怯えている顔を」

「なにを言っているんだ? ぼくは、ストーカーじゃない。むしろ逆だ。ぼくは彼女にヘンな輩が近づかないように守っているんだよ。いわば、ぼくは彼女のナイト役なのさ」


 本気でそのつもりなのか。大げさに、演技じみて、役者じみた所作で言う。

 こいつは自分に酔っているのだ。目を覚まさせてやらなくてはならない。そのためにはインパクトのあるなにかが必要だ。一発で酔いが醒めるようななにかが。

 そんなことを考えたのか、それともただ夢中で叫んだのか。もう覚えていないが、次の瞬間――


「あいつは俺の彼女だ! あいつのナイトは俺の役目だ! 今度そんなことをしてみろ、お前もこーんな顔にしてやるぞ!」


 がばっとマスクをはぎ取り、自分の顔を指示しながら言った。効果はてきめんだった。


「ひ、ひ~~~~っ!? ご、ごめんなさいもうしません~~~~っ!」


 がくがくがくがく、と生まれたての小鹿のような足取りで立ち去っていく。あ、こけた。

 ……痣と腫れだらけの顔にこんな使い方があったとは。きっと、普通の顔だったらここまでうまくはいかなかっただろう。荒くれ者な印象は与えられたはずだ。あの気弱そうな青年なら本当にもう近づいてくることはないだろう。もし、また来ても俺がどうにかする。してやる。

 彼の姿が見えなくなってから「ふう」と息をはく。一仕事終了だ。

 公園の中を見回す。渓はどこに隠れているだろう。

 ……と、いっても隠れられる場所などそんなに多くはないのだが。

 大きな岩をくり抜いて中を洞窟みたいにしている遊具の中をのぞき込んだ。

 その暗闇の中に、体を縮めて、顔を膝と胸の間に入れるように渓は体育座りしていた。


「水樹」

「ひゃあああああ!?」


 らしくない悲鳴を上げる。洞窟の中に悲鳴が反響して耳が痛い。ていうか、これ今日二度目じゃないか。どおりでデジャヴュを感じるわけだ。


「だ、誰っ!?」

「……いや、もうそのくだりいらないから」


 きっと、悲鳴を上げたことも演技にしてしまいたいのだろうが、たぶん本気で驚いてたと思う。これは照れ隠しだろう、たぶん。確証はないけど、顔赤いし。


「あのさ、なんでこんなところにいるの? あ、いや、やっぱりいいや」


 訊ねるまでもないことだろう。さっきの輩から隠れるために決まっている。


「もうこんなとこにいなくてもいいぞ。事情はよくわからないけど」

「…………なの?」

「え、なんだって?」

「あんたがさっき、あいつは俺の彼女だって」

「あ、え……!?」


 聞こえてたのか!? そんな大きな声で言っちゃったのか俺!

 そうか、顔が赤かったのはそのせいか! 照れ隠し、というのはあながち間違いではなさそうだが!


「それってあたしのことよね……? あれ、どーゆー意味……?」

「う……」


 なに言ってんのバカじゃねーのなんの意味もねーよ自意識過剰乙――なんて逃げの台詞を衝動的に吐き出しかけて飲み込む。

 逃げるのは簡単だ。

 でも、それでいいのか?

 ……考えるまでもない。よくない。決まっている。

 渓と松岡さんがいい感じだったのを見て、妙な気持ちになったのはそのせいだ。俺は、渓のことが好きなのだ。最初からそうだった。俺がバイトを始めたきっかけだって。


「ど、どういう意味って……そりゃ、こ、ここ、こういう意味だよ……っ!」

「――――」


 遊具の洞窟の中。

 膝立ち状態で、俺たちはいわゆる「壁ドン」のような体制になっていた。いや、俺がしたんだ。

 この狭い中、ほとんどくっつき合うような距離。息を呑む音すら鮮明に聞こえる。


「渓……」

「ぁ」


 俺はさらに顔を近づける。渓は、抵抗する様子もない。静かに、おずおずと目をつむる。

 そして――

 お互いの唇がゼロ距離になり触れあう。

 ほんの一瞬、軽く触れるだけのキス。


「んぅ」


 と吐息をもらす。

 それは、とても幸せそうな音に聞こえて、


「ぁ、んっ」


 我慢できなくて、もう一度唇を触れさせあう。今度はもう少し長い時間。

 唇が離れると、


「ばか……」


 その台詞は、罵るようないつもの辛辣な言葉ではなかった。


「ごめん」


 暗がりでもわかるくらいに渓の顔は真っ赤だった。そして、それはきっと俺も同じだろう。顔が熱い。

 しばらく無言で、隣り合って座っていた。


「でも、意外」

「なにが?」

「あんたはロリコンなんだと思ってたから」

「なんで!?」


 そんな疑いが生まれるような行いを渓の前でしただろうか? いや、渓の前でなくてもしていない。小学生は最高だぜとか思ったこともない。


「だ、だって、夏祭りの時……ちっちゃい女の子とデートしてたでしょ。な、仲よさそうに手まで、恋人繋ぎで……っ」

「はあああああ!?」


 俺は全力で否定する。


「いやいやいやいや! 普通に、常識的に考えてないだろ。あれは俺の妹です」

「うそ」

「嘘じゃねえよ、なんなら家に来るか!? 妹見るか!?」

「え、あたし誘われてる……? け、けだものっ」

「めんどくさい!」


 あー、俺はなんでこんなのを好きなんだろうなあ。

 でもそのめんどくささすらも愛おしいと思ってしまえるあたり、本当に渓のことが好きなようだ。


「渓……好きだ」

「あたしも……好き」



 後日、バイト終わりに、松岡さんに気になっていたけど聞けなかったことを聞いた。


「あの花火大会の日……、やたら松岡さんと渓の距離が近く見えたんですけど……なんだったんですか?」


 もし松岡さんと渓が付き合っているのならば、俺の告白に彼女はOKしないはずだ。


「あー、渓に恋人の振りをしてくれって言われてな」

「恋人の振り!? なんで!?」

「さあ? 自分の胸に聞いてみるんだな」

「…………」

「830円が依頼料なんて割に合わない仕事だろ」

「確かに」


 ウチのコンビニの時給じゃないか。

 ひどい女だよ。


「ま、でもお前ならわかるよな」

「あ……」


 それで理解した。

 そうか、この人も俺と同じなんだ。彼女のことを――


「それじゃ、でも……」


 俺はよくてもこの人は。


「何も言うな。オレはこれで満足してるんだからよ。そりゃ、ちっとは残念な気持ちもあるけどな。あいつが幸せになってくれるのが一番だからな」

「先輩……」

「なんせあいつはオレの妹だしな」

「はああああああああああああ!?」


 妹? マジで!?

 渓が松岡さんの!?


「あれ、知らなかったのか?」


 こともなげに松岡さんは言うが、


「知ってないですよ! は、ええ!? だって、名字も違うじゃん!」

「ウチの両親が離婚したとき、オレが母方妹が父方に引き取られたからな。そのせいだ」


 さらっと重い話をされたような。

 いやしかしそれよりも重大なことを確認せねばならない。


「ちょっと待て! あんた実の妹が好きなのか? 恋愛的な意味で?」

 

 さっきの話の流れだとそうなってしまうではないか。

 否定の言葉が返ってくると思いきや、


「もちろんだ。だってあんなに可愛いんだぜ?」

「いや、それはそうなんだけど」

「親も離婚したことだし、これで結婚もできると思ってたんだがなあ。うまくはいかんなあ」


 ………………。

 この人は今なんと言った?

 結婚できると思った?

 血のつながった妹と?


「いやちょっと待てそれ無理だから!? 結婚できないから! 親が離婚してても血のつながった兄妹は結婚できないから!」

「なんだってー!?」


 ガチ驚きする松岡さん。


「マジで知らなかったのかよこの人!」

「なんてことだ……親が離婚すれば結婚できると思ってたのに……!」


 よかった!

 俺が告白して本当によかった!

 もしかしたら近親相姦が起きていたかもしれない! それを未然に防いだのだ!


「くっ……オレの夢が、妹を嫁にするという積年の夢が……!」

「エロゲでもやってろ変態兄貴!」


 ……あー、こんな人だったんだなあ。

 バイト先の頼れる先輩で、花火大会の時にも助けてもらってかっこいいと思ってたんだけどなあ。その評価をマイナスへ振り切ってしまうほどのアレっぷりだった。


「エロゲはやってるんだけど、満足いくのがないんだよ。おすすめの妹モノない?」

「知らんわ!」

「冷たいなー。お前の妹いるんだろ? 妹を持つお兄ちゃんとしては当然の嗜みだろ?」

「そんなわけあるか――――っ!」


 思いっきり大声で容赦なくツッコミを入れる俺。

 もはや渓に「先輩には敬語を使え」などとは言えないな、俺。


「ちょっと、秋晴、何してるのよ」

「もういいよ恋人の振りは。この人がお前のお兄さんだって知ってるから」


 がやがや騒いでいる俺たちを見咎めたのか、渓が呆れた声を出す。

 これ以上続ける意味はあるまい。だけど、なぜか渓はなぜバラしたとでも言いたげな視線を松岡さんに送っていた。

 だけど、そうは悟られないよう素っ気なく、


「そう」


 と納得した風の答えだった。

 俺と恋人同士になったわけだし、まだその設定を生かせておく意味はないように思えて、渓の真意を考えていると、突然手を握られた。

 そして、俺を引っ張ってゆく。


「え、どこに行くんだ?」

「そんなの、デートに決まってるでしょ」


 ぶっきらぼうに言う。

 彼女に手を引かれて。一緒に気持ちも惹かれていく。

 ああ、もう十分に彼女のことを好きだと思っていたのに、もっと好きになってしまいそうだ。

 きっと、尻に敷かれるんだろうな。

 それも悪くない、なんて思ってしまうあたり、俺も重傷だった。


「ん、どうしたの、気持ち悪い顔して」

「……なんでも。幸せだなって」

「気持ち悪い」

「ああ、いいよ、そういうのも。もっと罵ってくれ」

「…………、」


 ちょっと引かれたかな? と思って顔色をうかがってみると、表情は桜色に綻んでいた。

 ……それはそれでなんか怖いのだが……これから、彼女の笑った顔を一番近くで見ることができると思えばなんてことはない。

 つないだ左手から伝わる暖かい感触がそれを確信させてくれた。


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