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武士の姿

作者: 不動 啓人

「時は天正14年7月。九州6カ国の軍勢を率いた島津しまづ軍は意気盛ん。ついには岩屋いわや城を取り囲んだ。これに対するは大友家の支柱、高橋紹運たかはしじょううん。僅か700の兵をもって、これに対抗す」

 とある屋敷の一室。熱弁を振るう一人の武士がいた。小袖こそで姿に、手には扇を。歳はまだ若く見え、物語を語る熱っぽさは、まだまだ血気盛んな証拠だろう。

 一方、彼の前には一人の少年がきちんと正座をし、物語に聴き入っていた。歳はまだ10歳ぐらい。凛とした顔立ちからするに、とても利発そうな子だ。

 武士と少年。二人は親子である。

 語り手と聴き手。二人の間を柔らかな日差しと共に、心地よい風が吹き抜ける。

「島津軍は、まず降伏を勧告するが、紹運公は否々。それならばと薩将・島津忠長しまづただながは、岩屋城総攻撃を命じた。大勢ある事を利に、島津軍は日夜隙間無く、昼の鉄砲の音は雲雷の鳴り止むこともなく、夜の矢叫びの声は閃く電光の如く、昼夜の境もなく攻めかけたのだ!」

「それで?」

 話が進むにつれ、息子は目を真剣に、腰を浮かせてきた。話に引き込まれてきたようだ。

「しかし城兵は、紹運公の指揮の下、一糸乱れぬ戦いをし、寄せ手を粉砕。ついに血戦は十日を過ぎた。ここに至って島津軍は、容易ならざる敵と焦燥した。そこで島津軍は、しばし矢止めをし、降誘の使いを紹運公に差し向けたが、紹運公はこう言ってきっぱり撥ねつけた訳だ。『生者必滅。栄枯盛衰は世の習いにて候。主人盛んなる時に忠を励み、功名を顕す者ありといえども、主人衰えたる時に望んで一命を捨つる者は稀に候。方々も島津滅亡の期に及びなば、主を捨てんとされるや。武士たる者、仁義を守らざるは鳥獣に異ならずそうろう』」

 父は紹運の口上を噛み締めるように述べた。武士にはたまらない口上である。すでに親子の目には涙が滲んでいた。

「紹運公は如何なる有利な条件を出されようとも、受け入れることはなかった。そしてついに、島津軍は最後の総攻撃を開始した。島津軍は押し寄せる波の如く突進してくる。城兵は一歩も退くまいと奮戦するが、いかな力戦も数に差がありすぎた。城兵は次々に力尽きてその場に倒れ、ついに前後を取り囲まれてしまった。紹運公、ここに至っては最早これまでと、自ら旗本を率いて敵中に斬り入った!ばった、ばったと大太刀で斬ること17人。これには島津軍、しばし怯んで退いた。しかし、本丸に残った者、僅かに50余人。最早傷を負うてない者なく、紹運公も満身創痍。この上は敵にかからぬ内に……と、ついに紹運公は腹を掻き切った。39歳であったそうな。そして主君の死を見届けた勇士達も、ついには割腹。あるいは互いに刺し違えて死んでいった」

 岩屋城は戦国時代においても稀に見る、城兵763名の壮烈な玉砕によって落城したのである。

 息子はすでに声を上げて泣き出しそうになっていた。しかしそれを止めさせたのは、こちらも一触即発の父。

「いや、待て。まだ終わってはいない。紹運公の家臣に谷川大善たにがわだいぜんという者がいた。この者、落城の前日、密命を受け立花城に使いをしていたのだが、城が落ちたとも知らず岩屋城に戻り、島津兵に捕まった。しかしこの者、悪びれる様子なく、これに感じた島津忠長が自らに仕えぬかと誘った。しかしこれを聞いた大善、こう言ったそうだ。『かたじけない次第ですが、この期におよんでそのような望みは毛頭ありません。ただただ、主君の最後に遅れ、お供をすることが出来なかったのが残念でなりません。ここにお願いしたき事があります。それは、立花からの返書をただいま私の首にかけておりますが、私の息のある内は、あなた様にお渡しする事は出来ません。どうかこれだけは私の首を落とした後、立花に返していただきたい。もしそれが叶わぬ時は、それがしの首を刎ねてから御披見ください。これが今生の願いです』と。涙ながらに語ったそうだ。……これには忠長を始め薩軍の将士は、皆涙で袖を濡らしたそうな」

 この後、大善の誠忠に感じた忠長は返書を見ることなく、護衛を付け、大善を立花城まで送った。

「おおおおおおぉぉ……」

 ついに親子は声を張り上げて泣き出してしまった。

 ちょうどこの時、部屋を訪れた武士の妻は思わず驚き、それからゆっくりと笑みをこぼしたのだった。

 父親の名を大石良昭おおいしよしあき。息子の名を喜内きない。後の内蔵助良雄くらのすけよしおである。

 喜内はこの時はまだ、自分が江戸期最大の忠臣と呼ばれるようになるとは思ってもいなかっただろう。

 武士の姿は、いつまでも語られる。

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