8話:酷い罰
思わず出そうになった欠伸をかみ殺した。
というのも、神崎の看病につきっきりだったからだ。
寝たかと思えば、いきなり唸りだしたりと散々だった。どうしてあんなに必死に看病なんかしたのかしら?
「大丈夫ですか? 目が腫れあがっていますわよ。そういえば、杏奈さんは昨日お休みでしたわね。……神崎兄貴もお休みでしたけど……」
「ま、まあ。あいつが風邪引いてしまってね」
心配そうに目を覗き込む麗子に苦笑いを返した。
すると、麗子はいきなり血相を変えて騒ぎ出した。
「そ、そうなんですの!? 神崎兄貴……大丈夫かしら」
「あ、あの……その神崎兄貴ってなんなの?」
「これは、白星組の伝統なんですの。尊敬した相手は、兄貴、姐御の愛称で呼ぶんですよ」
麗子はあの喧嘩から神崎に異様に敬意を見せるようになった。
もしかしたら、麗子は神崎に好意を寄せているのかも……と思うぐらいだ。
すると、麗子は思いついたように口を開いた。
「それいえば……今日はテストが返されますね」
「え? あ……忘れてたわ!」
忘れようとしていたことを、麗子に蒸し返されてしまった。
1ヶ月前の実力テスト。私の神崎の次に大きい悩みの種だ。
焦る私に麗子は優しく微笑みかけた。
「大丈夫ですよ。今回のテストは簡単な方でしたから」
「麗子は頭が良いから……」
「それに、家に居るじゃないですか。先生でもある旦那様がね」
神崎の事か。
私は呆れたように溜息をついた。あいつが教えてくれるはずがない。
すると、おかまいなしに麗子は続ける。
「勉強以外にもほかの事を教えてもらえるかもしれませんわよ」
「ほかの事?」
「ほら……そういう事ですわよ」
麗子はひそっと耳打ちすると、きゃっと言って去ってしまった。
私は彼女の異様な行動を呆然と見つめたのだった。
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目の前に並べられた答案用紙と……終始笑顔の神崎。
私は思わず退いてしまった。
「素晴らしいです! 100点ですよ! ……5教科合わせて」
5教科合わせて……と呟いた途端、神崎の顔から笑顔が消えた。
悪魔のような形相。いつも怖い彼だが、今日は一段と怖かった。
「君みたいな馬鹿は見たことがありません」
「う……」
「俺も一応教師だ。……これを放っておくわけにはいかない」
冷徹な感じで淡々と告げる。
そんな神崎に思わず退いてしまう。
「準備ができたら俺の部屋に来い」
そう言って立つと、そそくさと自分の部屋に戻ってしまった。
べ、勉強を教えてもらえるのかしら?
私はそんな期待を胸に抱き、神崎の部屋に勉強用具を持ってドアをノックした。
「失礼します」
敢えて硬い一言。
そういえば、神崎の部屋に入るのはこれが初めてだ。
彼は穏やかな面持ちで椅子に腰かけていた。読んでいた本を置き、私の方に視線を寄せる。
私は彼の視線から逃れるように、部屋を見回した。
黒を基調とした、神崎らしい部屋だ。
驚くほど広く、片付いていた。生活感があり、事務的。
「何をじろじろ見ているんですか? 俺にそんなに興味があるのか?」
「……そういう訳ではありません。落ち着いた部屋ですね」
「まあな。お前は……そこに座れ」
神崎は小さなテーブルの方を指さすと、自分もその前へ座った。
私は少しとまどいながらも、彼の隣へ正座する。
「そんなに固くならなくてもいいですよ。別に……襲うつもりはないからな」
「お、襲う……。当たり前です!」
必死な私に神崎は意地悪な瞳を投げかけた。
最近、神崎の一連の仕草が分かってきた。これは……何か思いついたような瞳だ。
「お前の弱点を見る限り……数学と社会ですね」
神崎は淡々と述べた。
確かに、私は数学と社会が大の苦手だ。
暗記とか数字とか……意味不明。
「じゃあ、数学からやりましょうか」
「え?」
「何か文句でもあるのか?」
一瞬、凄みを利かせたかと思うと、にっこりと黒い笑みを見せる。
喉元まで出た反論の言葉をぐっとこらえた。
何をされるか溜まったものではない。
「じゃあ、これを解いてみろ」
そう言って、鉛筆で複素数の問題を指した。
う……、なんで一番苦手な問題だすのよ。
「えっと……ゆうげんふくそすうれつ? かんけいしき? あ! 分かった!」
私はその問題集に自慢げに答えを書いた。
さすが、私! やればできるもんじゃない!
私は神崎の方を自慢げにちらりと見た。神崎は優しげに微笑む。
「や、やっぱりあって……」
そんな期待の眼差しで神崎を見たその時。
強い力で肩を掴まれる。爪が食い込むほどだ。
「痛……。な、何するんですか!?」
そんな反論は彼の瞳で遮られてしまう。驚くほど……甘くて蕩けそうな瞳。
そして、私の首元に唇を近づけた。そこを少し吸われて、赤い痕が出来る。
「な、何して……」
「お前が1問間違えるたびに……痕をつける。これじゃ罰にもならないな」
神崎はふっと笑みを浮かべた。あのいつもの意地悪な笑み。
酷くて、とても甘い罰。
きっとあの瞳はこの罰を意味していたのだろうと、悟った。