6話:甘美なキス
麗子はストローを口に付けながら、食い入るように私たちを見つめた。
話を聞き終えた麗子は妙に落ち着いていたので、気味が悪い。
「つまり、神崎先生は杏奈さんと婚約している。そして、現在同棲中。神崎先生は本当は神崎グループの御曹司であると、だから、容姿もごまかしている……と言いたいのですね」
神崎は長い足を組みながら、席のほとんどを陣取った。
おかげで私の座る場所は1割ほどしかない。
「まあ、そういう事だな」
無愛想で少し冷たい口調。
今の彼はかなり苛ついているみたいだ。何か気に食わない表情をしている。
「杏奈さん。どうして、私にこの事を話してくださらなかったの?」
「え……っと」
麗子は涙目になりながら、訴えた。
少し言葉に詰まる。
「私の事をナメてらっしゃるの?」
「え?」
「あたいのことナメてんかって聞いてんだよ!?」
麗子は別人のような鬼の形相で睨んだ。
やばい。こうなると、麗子は……。
「おい、神崎ィィィ! ちょっと表出ろや。あたいの可愛い親友によくも手ェ出してくれたな? ただじゃ済ませへんで!」
掴みかからんばかりの麗子に神崎は淡々と頷いた。
いても立っても居られなくなり、二人の後を追いかける。
私の友人の城野内 麗子は箱入り娘のお嬢様だ。そう……表向きは。
麗子はお嬢様ではない。お嬢なのだ。
白星組十四代目組長の一人娘。
つまり、あの神崎でもぼっこぼこにされる。彼女の子分のヤクザ達に。
案の定、うめき声が聞こえる。
「ぐふっ」や「がはっ」など、恐らく神崎の声であろう。
私は壁の隙間からそっと覗いてみた。
神崎はにっこり笑っていた。美しい顔には傷一つついていない。彼の目の前には倒れたいかつい顔の男達と土下座する麗子の姿。
「兄貴ィィィィィ! 一生ついていきやす!」
「あぁ、俺も礼を言います。少し鬱憤が溜まっていて、晴らしたかったんですよ」
そう言って、微笑みを浮かべながら手を鳴らす彼はかなり怖い。
背筋にぞくりと冷や汗が垂れる。これほど危険な男は見たことがない。
「杏奈、何をぼうっと見てるんですか?」
彼の視界が私を捉え、はっと我に返る。
そして、麗子の傍に駆け寄った。
「れ、麗子。大丈夫?」
「大丈夫ですわ。少し取り乱してしまい、申し訳ございません」
麗子はさっきとは別人のような上品な微笑みを浮かべた。
私はそんな麗子に苦笑する。
すると、後ろからぎゅっと抱き締められる。神崎だろう。頭には彼の顎を乗せられた。
「どう? 俺は相応しいですか?」
「相応しいもなにも、勿体無いぐらいですわ。どうでしょう? 私と結婚して白星組の組長になるというのは」
「あー、それは断っておきます。俺は杏奈だから婚約したので」
麗子の誘いにさらりと断る神崎。
しかし、私が気になったのはそこではない。
……私だから婚約した? どうして?
頭をそんな疑問がぐるぐると回る。
「それじゃ、俺らは帰るんで……」
「そうですか。じゃあ杏奈さん、健闘をお祈りしますわ。あ、二人の事は内緒にしておきます」
麗子が丁重にお辞儀をするのが視界に入ると、ふわりと体を持ち上げられる。
神崎の顔が異様に近い。いわゆるお姫様抱っこというものにしどろもどろしながら反論した。
「な、何をしているんですか!? れ、麗子が目の前にいるのにこんな恥ずかしい事……」
「あらあら、いいんですよ。二人だけの世界へ入ってもらっても」
くすくすと笑う麗子の声が聞こえた。
それを待っていたかのように、神崎がにやりと笑った。
「じゃあ、俺たちは帰りましょう」
神崎の胸をどんどんと叩いてみても、びくともせずにそのまま車へ運び込まれた。
どさっと乱暴にシートに置かれる。
「なんなんですか!? 本日二度目ですよ!! 抱き上げられて乱暴に置かれるのは……」
「ちょっと黙れ。……そういえば、何で笑った?」
「え?」
聞き返す私に神崎は苛立ちを含んだ言葉で言う。
「そんなに俺がこけたのが面白かったのか? まあ、あれはわざとだが……」
「やっぱりわざとだったんですね! 伯さんがあまりにも必死で、面白くて……ぷくく」
思い出すだけで笑いがこみ上げてくる。
そんな私に神崎はあからさまにムッとした表情をする。
いや、こんな神崎は見たことがない。少しからかってみたくなった。
「あんなに徹底しなくても……」
またからかおうとしたときだった。
私の視界は彼の顔でいっぱいになる。唇に甘くて柔らかい感触が広がった。
「……っ」
彼は唇を離すと、再度顔を近づけてくる。
荒い息づかいと絡み付く舌が私を深く堕としていく。深い甘美なキス。
「ん……ふっ」
その甘いキスが必死に繋ぎとめている理性をも飛ばそうとする。
段々と体の力が入らなくなってきた。
すると、そんな私を見計らったように唇を離す。
「黙らないからこうなるんですよ」
そのまま耳元で低く囁くと、くすりと意地悪く微笑む。
そのとき、離した唇が少し名残惜しく感じている自分を憎らしく思った。