35話:幸せな時間
最初はどうなるかと思った、神崎のご両親との対面。
蓋を開けてみると、それはとても楽しいものだった。二人はとても話しやすい方で、伯さんの強引なところはお母様、照れ屋なところはお父様譲りで、この二人の子供なんだってわかった。
結局、最後まで崇行さんは来なくて、その事に内心ほっとする自分が居た。
前の事があってから、崇行さんは苦手というか少し怖い。それにしても、来ないなんて、何があったんだろう。
「今日はありがとうね、杏奈ちゃん」
神崎母は無邪気な笑顔で、明るく言う。もっと近づきがたい人なのかと思ったけれど、彼女は実は可愛らしい人だった。神崎父は優しそうに目を細めている。人って見かけによらないな……。
少し控えめがちにお辞儀すると、隣にいた神崎が突然、彼らに向かって深く頭を下げた。普段、神崎からは想像もつかないほどの謙虚な姿勢だった。
「杏奈との事、認めてくれて、本当にありがとうございます。
俺は誤解していました。あなた方から、愛されていないと、十分な愛情をもらっていないと。
そして、たくさんの迷惑をかけて、酷い事も言いました。
正直、俺は人の心をくみ取る事ができなかったんだ。でも……」
神崎は顔を上げた。真っ直ぐな瞳で、二人を見つめている。なんだか、とても綺麗だった。男の人が綺麗なんて思うのは初めてで少しとまどったけど、綺麗という表現が一番しっくりくる。今の神崎はそんな姿だった。神崎は更に言葉をつづけた。
「彼女から、杏奈から、優しさをもらって、愛情をもらって、やっと俺にも人の事を思いやる事が出来るようになりました。
今ならわかります。父が忙しいのに合間を縫って遊んでくれたこと。母が誕生日にいつも手編みのセーターをくれたこと。 それら一つ一つが大きな愛情のかたまりだった。それをはねつけて、勝手に勘違いしていたのは俺だったんだ。父さん、母さん、本当にごめんなさい」
真剣な神崎の顔に反して、神崎母はくすくすと笑っている。神崎父は少し顔を隠している。気のせいか、目の端の方に光るものが見えたのだが。
「伯、何を今更ですか! お父さんも泣かないのよ」
「泣いてなんかいないぞ、断じて、わしは……」
「杏奈ちゃん、ありがとう。本当にありがとう。
実は、伯の事はちょっと心配だったの。
でも、貴方が伯を変えてくれた。これでやっと伯も大人になれたのね。本当に感謝しているわ」
優しげに微笑む神崎母は本当のお母さんみたいだった。
神崎父は……相変わらず、目頭を押さえている。その背中を神崎母はよしよしと擦っている。
笑っちゃいけないんだろうけど、そんな二人が微笑ましくて、笑いが漏れてしまいそうだ。
神崎の方を見遣ると、神崎も少し笑いを噛み堪えているようだ。
私たちは堪えきれなって、二人で顔を見合わせて、笑った。胸にほんのりと暖かい光がともったように、満たされていく。本当に私って幸せ者だ。
隣には、かっこよくて、ちょっと間抜けで俺様な旦那様が居て、目の前にはその人の両親が微笑んでいる。なんて幸せなんだろう。この幸せをいつまでも噛みしめていたい。
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「あ、すみません。先行ってもらっていいですか?」
ケータイがない事に気づいたのは、神崎の両親と別れたすぐ後のことだった。
辺りは薄暗く、目を凝らさないと、神崎の顔が見えないくらいだ。狭い路地で、誰かが一緒じゃないと、絶対に歩けないような、うす気味悪い場所だった。
「どうしました?」
「ケータイ、落しちゃったみたいで」
バッグの奥深くを探ってみるが、見当たらない。ケータイはロック機能をしていないので、余計不安になる。しかも、こんな物騒であろう場所で落とすのだから、悪用されてはたまったものではない。
うす暗いなかで、神崎が少し眉を顰めるのがわかった。
「一人じゃ危ないだろう。俺も探します」
ケータイはこの路地の何処かにあるはずだ。そう遠くはない。
「大丈夫です! 多分、この近くにあるはずなんで。先行ってもらって大丈夫ですよ」
後ろから、神崎の心配そうな声が聞こえたが、 神崎には迷惑を掛けたくなかったので、急いで、来た道を戻った。携帯用のライトで足元を照らすがなかなか見つからなくて、少しかがみながら探した。
空気はひんやりとして、涼しいというよりも、ぞくっとするような冷たさがあった。胸の辺りがざわざわして、少し嫌な感じだった。
……やっぱり、伯さんにもついてきてもらった方がよかったかも。
少しの後悔を心の片隅に置きながら、更に来た道を戻る。少し行くと、路地のちょうど真ん中あたりにきらりと光るものを見つけた。
あっと声を上げ、駆け寄った。ライトを近づけ、目を凝らして見つめる。
「やっとみつけた……」
ほっと胸をなでおろす。これで、伯さんのところへ戻れる。
そう思って、手を伸ばしかけた……が、そのまま視界がぐるりと反転して、私は訳も分からないまま、闇に堕ちて行った。




