34話:優しい目
メレンゲの乗ったポタージュスープはふんわりと舌で溶けて優しい味だった。
それとは裏腹に、この空気も私の気持ちも重くどんよりとしている。気まずいなんてものじゃない。個室なので、より静けさが際立ち、私の周りだけ気圧がどんどん上がっているんじゃないかって思ってしまった。
神崎の父親……庄平は、漫画に出てくるような、想像通りのお爺さんだった。
どってりと大きな体を背もたれに預けて、禁煙だというのに無精ひげの隙間から葉巻煙草をちらつかせている。首は肉に埋もれてほとんど見えない、3頭身の怒りっぽそうな人だった。
その隣に座っているのは、庄平とは正反対といえる女性。奈々子、つまり神崎の母親は、すらりとした手足に整った顔立ち、豊満な胸、とても40には見えぬ美しい人である。神崎が母親似だというのは一目でわかるだろう。
一つ、席が空いているのは、神崎の弟、崇行さんの分である。彼とは前にも会った事があって、その時に少し怖い思いをしたことを覚えている。だから彼に会うと聞いたとき、ちょっぴりへっぴり腰になってしまった。その時、神崎は顔さえは笑っていたけど、なんだかぴりぴりとした空気をまとっていた。
「それで野田 杏奈は……」
前方でかちゃりと音がしたのと同時に、神崎母が鼻にかかったような高い声を発する。綺麗なのに少し違和感がある声色だった。神崎父は、煙草を灰皿に押し付けていた。その灰皿が自分に見えて、ぶるりと寒気が走る。思わず、ピンと背筋が伸びた。
「どういうつもりで―――」
「ちょっと待て、奈々子。わしが話そう」
神崎父はテーブルの前で腕を組み、じっと私を見つめてくる。それは猛禽類のような目で、獲物をあと数秒後にしとめる時のような目だった。神崎母とはまたちがった威圧感だった。まるで世界のすべてを制覇したような貫録があって、私の父と比べると、アリと象のようにに見えるだろう。
だが、目を逸らすと、その覇気に飲み込まれそうで、私は恐れながらもその視線を真正面から受け止めた。
この人が伯さんのお父さんなんだ。この人が居なかったら、私は伯と会う事もできなかったんだ。
そう思うと、この威圧感も優しさのように感じることが出来て、肩の力がすうっと抜けていく。
「いい目だ」
神崎父の目は、さっきのような猛禽類の目ではなくて、優しい人の目だった。
その目には神崎の時折見せる温かさをも含んでいた。ふと目だけで、神崎の方を見ると、神崎もこちらを見ていて、それが驚くほど優しい表情で、少し恥ずかしくなった。
すると、神崎父の隣に居た神崎母がいきなり笑い出した。
その声が、隣にも聞こえているのではないかと思うほど大きな声で、びくりと肩が上がってしまった。
「あっはっはっは……いいんじゃないの? ふふ……貴方、見ていて面白いし。お父さんも気に入ったみたいだし」
神崎母は目に涙まで浮かべて、大笑いしているものだから、少し拍子抜けしてしまう。
神崎母は正座を崩して、胡坐をかいた。さっきまでの上品な佇まいからは想像もつかないほどだった。
「いやぁね、最初はどう言ってやろうかと思ったの。あんたがものすごく性格悪い女だって聞いてたからさ。でもね、あんた、赤くなったり青くなったり、全部顔に出てんのがもうおかしくて、おかしくて……」
「奈々子、やめなさい」
高く綺麗な声だ。しかし、言葉遣いはお世辞にも上品と言えるものではなくて、混乱してしまう。
そんな神崎母の足を父がぴしゃりと叩きながら、注意した。さっきまでの緊張は嘘のようで、ますます息が詰まってしまう。神崎も少し困惑した顔をしていた。
すると、神崎父がゆったりとした低い声で諭すように口を開いた。
「杏奈さん。実は、わしも妻もまったく違う環境で育ったんだ。親にも反対された。だけどそれでも諦めきれなかったから、駆け落ちしたんだ。そして、神崎グループという会社を作った。もし、彼女がいなかったら、それすらも無理でわしは天涯孤独だったじゃろう」
「もう、庄平さんったら」
神崎母は照れたようにばしばしと神崎父の背中を叩いていた。彼はそれを無視して話を続けた。
「伯には、いろいろと我慢をさせてきてな。だから、幸せになって欲しいんだよ。出来れば、人生のパートナーくらいは決めさせてやりたいと思っている。今日は君がそのパートナーに相応しいか決めさせてもらう場だったんだ」
机の下でぎゅっと手を握られた。神崎の大きな手が混乱していた私の心を鎮めてくれる。
神崎を見ると、驚いたような顔で、目にはたくさんの涙をためていた。泣いていたのだ。私は握られた手に更に力を込めた。彼の泣き顔を見て、せつなさで胸がきゅっと締め付けられた。
「だって……父さんは俺と杏奈の仲に反対して、野田会社を買収して……」
「あれは、崇行の仕業だよ」
崇行さんの……。
意外だとは思ったけど、胸にストンと落ちてくるような納得があった。
どうして、崇行さんはあんなに私と神崎の婚約を反対するのだろう。
ぽっかりと空いた崇行さんの席を見つめた。あの晩の、恐ろしく傷付いた顔が頭をよぎる。
あれは、半分、恋愛のものとよく似ていて、私が神崎と離ればなれになったときも、鏡の中の私はそんな顔をしていた。
まさか……。私の頭の中に一つの考えが浮かんだ。
神崎の両親は実はいい人達でした(笑)
次回は、何かが起こる予感……。
ラストまであと3話くらいでしょうかね……。最後までお付き合い願えたらと思います!




