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3話:覚めない悪夢

 夢であってほしい。

 そう願い続けながらも、荷造りをする自分が憎かった。



 「おーい、まだかー」



 階下から父の声が聞こえた。

 私は半ば投げやりに返事をして、バッグを持った。

 最終チェックを済ませ、下へ降りる。

 


 「おい、杏奈。神崎さんが迎えにきてくださったぞ」



 そこには呑気に笑う父と、爽やかな作り笑いを浮かべた悪魔。

 顔の血の気がさっと引いた気がした。そして少しチッと舌打ちをする。



 「ありがとうございます。神崎せ……さん」



 「先生」と言いかけたところを訂正して「さん」に直す。

 すると、神崎は作り笑いを浮かべながら歩み寄ってきた。



 「持ちますよ。それじゃ、行きましょうか」

 「杏奈をよろしくお願いします」



 神崎は父に礼をすると、私のバッグを持った。

 私もその後をついて行く。



 「がんばるんだぞ」

 「う、うん」



 後ろから聞こえる父の声にとまどいがちに返事をした。

 そして、ドアが完全に閉まり、父の視界に私たちが見えなくなった頃。



 「おい、自分で持て」



 神崎はさっきとは別人のような態度で私のバッグを放り投げた。

 私は渋々そのバッグに付いた泥を払う。



 「あなたは助手席です」



 敬語になったり、命令口調になったり……忙しい人。

 私はふんと鼻で笑うと、彼の愛車をちらりと見る。

 ぴかぴかに磨き上げられた黒のポルシェは傷一つない。



 「早くしてください。俺にも時間がない」



 神崎は苛立ちを含んだ声で私を呼んだ。

 私は少し早足で駆けつけ、助手席のドアを開ける。 

 車とは思えない広い車内。周りには塵一つ見当たらない。

 ……ここにたくさんの女を連れ込んだのね。

 


 考えなくとも予想はできる。私は少し彼を軽蔑した。

 私は後部座席にバッグを置くと、シートに腰を下ろした。シートは驚くほどふかふかだ。



 「いつもこれで出勤してるんですか?」

 


 ふと頭に浮かんだ疑問を口に出してしまった。

 すると、神崎はハンドルを握りながら、素っ気なく答える。



 「いつもは電車ですよ。怪しまれますからね」

 「神崎グループの事は秘密なんですか?」

 「えぇ。問題になりますからね。神崎グループの御曹司が教師だなんて」



 淡々とした熱のこもらない会話。

 それにはやがて長い沈黙が続く。まあ、予想はしてたことだけど。



 「あぁ、それと。お前が俺の妻なんて事は言うなよ?」

 「それは分かっています」



 当然のことのように返した。

 言ってはいけない。いや、絶対言いたくないことだ。



 「……あの、私を欲求不満の解消にしないでくださいね」



 一番言いたかった事。でも、言いにくかった事だ。

 すると、神崎は片手でハンドルを回しながら、私の方に向く。



 「保証はできない」



 面白がるようににやりと唇を歪ませている。

 私はぞくりと寒気が走った。



 「あ、ある程度の努力はしてください」

 「まあ、努力はするがな……努力は」



 努力は……ね。

 私は万が一の為にも、防犯スプレーを買っておこうと思った。

 それから1時間ほどして、車が止まった。この重い沈黙から逃れられると思うと、身が軽くなる。 

 自分のバッグを持つと、助手席から降りた。



 私の家もなかなか大きい方だ。まあ、一応社長令嬢なのだから。

 しかし、彼の家には目を疑った。私の家の約2倍はあると思う。



 「神崎先生は一人暮らしですよね」

 「はい」



 こんな大きい家に一人きり……少し無駄じゃない?

 そんな事を言うと、また何を言われるか分かったものじゃない。私は口をつむぐことにした。

 すると、神崎はそんな私に不機嫌そうな声で言った。



 「その神崎先生って言うのやめてください」

 「じゃあ、なんて呼べばいいんですか?」

 「……伯でいいです」



 と言っても、年上の人を呼び捨てにする訳にはいかない。

 私は少し迷うのち、伯さんと呼ぶことにした。



 「じゃあ、伯さん……でいいですか?」 

 「まあ、ギリギリ許容範囲ってとこですかね」



 神崎の曖昧な答えに少しとまどったが、気にしない事にした。

 私は神崎の後について、門をくぐった。神崎はオートロックでドアを開ける。



 「おじゃましまーす……」

 「どうぞ」



 恐る恐る足を踏み入れると、足に柔らかな絨毯の感触。

 少し甘い香りが鼻腔をくすぐった。大理石の床がきらきらとひかっている。



 「すごい……」



 思わず呟いてしまう。まだ玄関だと言うのに、とてつもなく広い。

 すると、神崎が無愛想な口調で言った。



 「あなたの部屋は……2階を上がって右へ行った所の突き当りです。……迷うなよ?」



 意地悪に口角を上げる姿に少しムッとした。

 迷うわけないじゃない。子供じゃないんだし。



 「一応言っておきますが、トイレは部屋にあります。風呂は1階の玄関を左に行った所です。リビングはそこ。俺の部屋はあなたの部屋の2個隣りです」



 おそらくこの家は、予想以上に広いのだろう。

 すると、神崎は少し考えこんだ顔をしてそれから、ニヤッと笑った。



 「……夜這いなら大歓迎ですよ?」

 「そんなことしません!」



 神崎が余計な事を言ったため、私は思わず声を荒げた。

 そんな私を見て、神崎は面白がっているようだ。くすくすと笑っている。

 


 「えっと、私の部屋には入らないで。……夜這いもしません」

 「あぁ、言い忘れてたが、寝室は一緒だからな」



 わざと思い出したように、神崎はさらりと言った。

 


 「えっ?」 

 「……夜這いの必要もなくなったな」



 ぽかんとしている私に神崎は甘く囁いた。

 手に持っていたバッグがどさりと落ちる。私はこいつとの同居生活に早くもギブしてしまいそうだ。


 

 

 



 



 

 

 



  



  


 


 



 



 


  

 



  



 

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