21話:ほんとに好きなの?
ふわふわと、まるで地面がスポンジのようだ。
そう。これは夢だ。きっと。そうだと信じたい。
しかし、残酷にもそれは夢ではなかった。
「……杏奈さん」
ぐったりと机にもたれかかる私を、麗子は不安げに長い睫毛を揺らした。
私は麗子の方を見なかった。見たら泣いてしまう。
昨夜話したことも、なんだか馬鹿みたいに思えてきた。ただの現実逃避だと思えた。
「ほら、大丈夫ですよ。もしかしたら……」
「もしかしたら、何? どこからどうみてもあれは……恋人だったじゃない」
妻が夫を送り出すようだった。
あれこそまさにふさわしい夫婦の風景。二人ともお似合いで、華があった。
胸に何かがこみ上げてくるような……涙を流すとき特有の感覚に陥る。
「泣かないでください。きっと、上手くいきますよ。誤解なんですよ。きっと、」
ぽんぽんと麗子が背中を優しく叩く。
しかし、気持ちは落ち着かなかった。逆に、何かが溢れそうになる。
思えば、私は利用されていた。愛してほしいと思うだけ無駄だ。
時々くれたキスも、私を黙らせるためだけ。もともと、婚約は強引だった。
考えはだんだんと悪い方に向かっていく。
それに伴って、私の心もずんと重くなっていった。
「あ、チャイムが鳴りました。……もうすぐ先生が来ますね」
麗子が気まずそうに告げる。
正直、怖かった。神崎の顔を見たら、泣いてしまう気がした。
そんな私の考えを裏切るように、教室に入ってきたのは教頭だった。
「おはようございます。
突然ですが、神崎先生は今日を持ちまして、この学校を去ることになりました。
事情があり、皆さんには挨拶できないとのことです」
……は?
あまりの事態に、まず言葉の意味が分からなかった。
ごくりと生唾をのみこむ。なぜだか、少し酸っぱかった。
麗子が不安そうにこちらを見ている。私は少し考えてみたが、すぐに頭が痛くなった。
伯さんが辞める? どうして? 何を?
代理として、教頭先生が担任を務めるらしい。しかし、私にはそんな事はどうでもよい。
それよりも、神崎に会えると思っていた、唯一の場所でも会う事ができないという事だ。
驚きが少しずつ、深い悲しみ、恐怖へと変わっていく。
そして、それらが全て、ぐちゃぐちゃと混ざり合うような感覚に陥った。
「どうしよ……」
ははっと笑うと、頬が緩んで涙が一筋、零れ落ちた。
涙はそれで枯れてしまったかのように、もう出なかった。
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夕日が落ちかけようとしている。
海の傍にあるこの町は夕焼けが綺麗だ。海面にきらきらと太陽が反射していた。
そんな景色とは裏腹に、私の声は重く、暗かった。
「私に、会いたくなかったのかな……、面倒だしね」
自虐的に笑うと、麗子はより一層、眉間の皺を深くした。
否定してよ……。
まるで、麗子に慰めてほしいように、ずきりと胸が痛む。
「直接、聞けば……」
「もう、そんな問題じゃないじゃない! 会う事すらできないんだよ?」
「……っ」
麗子がくしゃっと顔を歪ませる。少し泣きそうに見えた。
だめ。これじゃ、八つ当たりじゃない……。
「ごめん……」
「違う。杏奈さんは何も悪くなんかない……」
そう言った途端、麗子は大粒の涙をぽろぽろと流し始めた。
可愛いふわふわの手袋で、麗子は目をごしごしとこする。少し手袋が濡れていた。
「私が泣いてもしょうがない事ですよね。すみません、こんな……」
「麗子、ごめん。私のせいだ……」
「杏奈さんのせいじゃない! これは……神崎兄貴のせいです!」
「……へっ?」
先ほどまで弱弱しかった麗子の表情が、険しい顔になっていく。
……ヤクザの顔だ。こうなったら、止められない。
今日の麗子は……私もそうだけど……感情の起伏がかなり激しい。
「そうや……これはあいつのせいや……。勝手に杏奈さんを追い出しといて、わがは学校辞めるやと? 冗談じゃあらへんで!? こんな風に杏奈さんを泣かせといて、しかもや。他の女とイチャついてる? ありえへん。殺してやる……、あんな男、殺してやる!」
どうして、麗子はヤクザモードのときに関西弁になるのだろう?
いや、それにしても、今の麗子はかなり物騒だ。これだと、神崎を本気で殺しかねない。
「麗子! ちょ……待って!」
「杏奈さんも、杏奈さんや! そうやって、気持ち曖昧にして……ほんまにあの男の事好きなんかい!」
……え?
麗子の問いかけに思わず詰まってしまった。
「それは……」
伯さんはいつも意地悪で、私を利用してて、それでちょっとエロい。
だけどたまに可愛くて、ちょっと優しくてって……ん?
たまに? ちょっと? どうしよ、伯さんのいいところ、ちょっとしかないかも。
でも……そんなとこもなんか好き。可笑しいかな? 全部、好きなんだ。
「全部、好き」
「……あ、杏奈さん?」
「そう、意地悪なとこも、たまにだけど優しいとこも、笑った顔とかかっこよくて、照れたとことか可愛いし……全部、好きっていうか」
「ちょ……杏奈さん、ストップ。神崎兄貴の事が好きなのは、よくわかりました」
麗子がいつもの口調に戻って、ほっとしたのもつかの間。
先ほどまで口にしていた言葉に、かあっと頬が熱くなった。
どうしよ……私、こんなにも神崎の事、好きだったんだ。
なんて思ったら、今度は顔全体が湯気が出そうなくらいに熱くなっていた。
杏奈ちゃん、神崎にベタ惚れですね//////
作者は、あんな男、どうかと思いますが……(笑
嘘です。すみません^^;




