2話:婚約成立
キスの描写があります。
苦手な人はご注意ください。
学校一冴えない教師と言ったら?
―――それは神崎 伯先生です。
と生徒は口を揃えて言う。
そんな神崎先生に今、襲われそうになっていますと言うと、生徒は耳を疑うだろう。
キスはより激しいものへと変わっていく。
口腔を激しくかき回され、舌を絡め取られる。
彼は私の歯列を舌でゆっくりとなぞりながら、私の後頭部へ手を回した。
「ふっ……ぁ」
甘い痺れで頭の思考も途切れてくる。何も考えられなくなる、未知の快感。
理性を取り戻そうとしても、その唇が奪おうとする。
はっ。だめだ! このままじゃ……。
我に返り、膝のあたりで彼のみぞおちに蹴りを入れた。途端に彼の唇が離れる。
「……うっ」
「はぁ……はぁ……」
彼はみぞおちを抑えながら、乱れた呼吸のままの私を睨みつけた。
驚くほど冷たい目。
「これが君のやりかたか?」
「こ、こうでもしなきゃ、私を襲っていたでしょ!」
自分でも驚くほどの弱弱しい声だった。
そんな私を見て、彼は口角を意地悪く上げた。
「それでもこれは傷害罪ですよ? 俺が訴えれば慰謝料を請求するぐらいはできる」
ぐっと唇の端を噛んだ。
何もいう事が出来ない自分の無力さが嫌になる。
「俺の妻になるか、それとも……傷害罪で訴えられるか、どちらがマシだと思う?」
彼は更に追い打ちをかけた。
もし、今ここで断れば? 彼は莫大な慰謝料を請求してくるだろう。
今の時期にそんな事があれば……父の会社の経営にも大きな支障が出てくる。
「……分かったわ。あなたの、神崎 伯の妻になるわ。だから! 大きな問題にはしないで」
その答えを待っていたかのように、彼の形の良い唇がにやりと歪んだ。
そんなとき、タイミングを計ったようにどんどんと部屋をノックする音が聞こえた。
私はすぐに乱れた髪を整える。
「すみません。すぐ出ますよ」
そう言って、再度、私を一瞥した。
そして、耳元で低く囁く。
「さっき言ったこと、忘れないでくださいね。愛してる、俺の愛しい妻」
甘い低音ボイスに背筋がぞくりとする。
そして、彼はまたあの爽やかな笑みを作って、父を出迎えた。
何も知らない父は呑気な声で尋ねた。
「それで? どうなったのかな?」
「お父さん。私、この人と結婚するわ」
少し声が震えた。それでも冷静を装ってそう答える。
すると、父は驚いたように目を見張った。
「いきなりどうしたんだね?」
「もうお父さんを困らせたくないの。親孝行、するわ」
溢れそうになる涙をぐっと堪え、敢えて強い口調で言った。
すると、父は満面の笑みを浮かべた。
「そうか、そうか。それは良かった。それならそちらの親御さんにも相談しないと」
「父と母には僕から伝えておきますよ」
にっこりと微笑みながらそう告げる。
甘いマスクを被った悪魔……。私は心の中でそう呟いた。
「まぁ、そう焦ることはないだろう。なんせ、あの神崎グループの御曹司と婚約だからな」
上機嫌に声を上げて笑う父に、私は耳を疑った。
「か、神崎グループ?」
「なんだ、知らなかったのか?」
そう尋ねる父を無視して、再度彼を見た。
彼は意味ありげな笑みを浮かべながら、私に視線を向ける。
世界的大企業。例を挙げるとまず出るのが神崎グループだ。
衣類、食料、文化。そのほぼ半分を経営してるほどの大企業。
まさか神崎先生が……。
「まあ、それはそうとして。明日から杏奈たちは一緒に住むんだよな?」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
この野獣と一緒に住むなんて、想像もできない。
「だって、結婚するんだろう?」
「はい。勿論、一緒に住みますよ」
当然のことのようにさらりと言う。
そして、私の方に視線を向けた。
「そうですよね? 杏奈さん」
半ば脅しのような口調だ。
私は渋々頷いた。
「は、はい」
「そうか、そうか。じゃあ、早速荷造りしないとな」
そう言って、豪快に笑いながら部屋を出ていく父に少し呆れてしまう。
すると、神崎はにやりと口角を上げた。
「よくできましたね。上出来でしたよ」
「……」
そして、私の耳元に唇を近づけた。
「なにかご褒美でもしてやるよ」
無駄に色っぽい響きが、私の耳朶をくすぐる。
その時、私は予感した。これから始まる危険な同居生活を。