11話:鼓動‐後半‐
沈黙が重々しい。
どうして、崇行さんは何も言わないのだろう。
「ねぇ、一緒に寝るって意味わかってるよね」
そう思った時、後ろにいた彼は口を開いた。
その声色は妙に神崎に似ていて、心臓がどきりと嫌な音を立てる。
「あ、あの、意味って……」
「分かってるよね?」
口調は優しいはずなのに、何故か嫌なものを感じた。
底の見えない瞳が怖くてたまらない。ドアの方へ身を寄せようとした。
すると強く腕を引っ張られて、崇行さんの方へ寄せられる。前にもこんな事があったような……。
「や、やめてください!」
当然、大きい声が出るわけでもなかった。
崇行さんが、本気なのか冗談なのかも分からず、恐怖が湧き上がってくる。
「た、助けて……!」
「その口塞ごうか? そうすれば、もう何も言えなくなるから」
そのまま唇を近づけられた。離れようとしても逃れられない。
怖い。怖いよ。
目端に涙が滲む。その時、ふいに後ろから腕を掴まれ、私の身体はぐるりと後ろを向いた。
ぼやけた視界の中で見えるのは誰かの胸板。
「なに、他人の嫁さんに手出してるんですか?」
頭上から聞こえるのはあいつの声。
そのまま細い指先で髪をするりと撫でてくる。その手の動きが優しくて、なぜだか安心してしまった。
「伯、本気で言ってるの? この子が君の嫁さんだなんて」
「あぁ。こいつは俺の妻だ」
「だめだ。だって、伯には……君には他に婚約者がいるだろ!?」
婚約者……?
そんな話、聞いてない。
お腹の底がすーっと落ちていく感覚がした。
「その話は断った」
「伯。もう勝手は許さないよ。教師になったのも、このお見合いだって……。この子を犯せば、君があきらめてくれると思ったんだけど」
びくっと身体が震える。やっぱりそのつもりで……。
そんな私をなだめるように、抱きしめている腕の力が強くなる。
「……こいつに手を出すな」
「くす。そういう取り乱した伯、面白いね。いやだね。僕は家のことなら何でもする」
冷やかで感情のこもらない声で崇行さんは放つ。
家の事ならきっと命でも投げ出すんじゃないかと思ってしまうほどだ。
「これ以上僕が居ると……修羅場になっちゃいそう。後は二人でゆっくりしていったらいいよ。嵐も……止んだみたいだし」
崇行さんはそのままの口調で言うと、すっと部屋を出て行った。
その時、神崎の腕の隙間から崇行さんの表情がちらりと見えた。
凄く、寂しそう。悲しくて、たまらないって感じ。私は別の意味で泣きそうになった。
神崎は崇行さんが部屋を出て行ったのを確認すると、私から身を離した。
「弟に……崇行に何をされたのですか?」
神崎は淡々とした口調で尋ねる。
まあ、心配しているようには見えない。
「別になにも……抱き寄せられただけ」
「そうか。どこを触られた?」
「は? えっと……肩とかですけど」
神崎を訝しげに見つめる。何が聞きたいんだろう?
すると、彼は無表情のまま、一歩私に近づいた。いきなり近づかれたので、少し身構えてしまう。
そのまま肩に手を掛けた。
「えっと、何するんですか?」
「消毒」
神崎はぼそりと呟くと、私のゆったりとしたシャツの肩の方をずらした。
おかげで私は肩がはだけた状態になる。
そのまま肩に唇を近づけられ、優しく啄むようにキスをされた。
「……っ」
「他は?」
無愛想な口調。だけど声色は優しい。
そんな神崎にこいつなら触れられても嫌じゃない……なんて思ってしまう。
そのせいか、私は割と素直に答えてしまった。
「顎とか腕とか……いろいろです」
「それは、全身にキスしてほしいってことですか?」
「っっ! ち、違います!」
我に返り、はだけたTシャツを慌てて直した。
そんな様子を見て、神崎はくすりと微笑む。
やっぱり意地悪じゃない……。少し口を尖らせて思う。
「残念」
神崎がぽつりと呟きを漏らした。
それが本心じゃなくとも、私の鼓動がとくんと波打った。
神崎はそんな私を見て少し満足げに部屋を出て行こうとする。
そのとき、何故だか恐怖感に襲われた。さっきのあの恐怖がまた押し寄せてくる。
「ね、ねぇ……」
気づいたら、神崎の部屋着の裾をつまんでいた。
あれ、なんていえばいいの? っていうか、何で私は引き留めているの!?
私の脳内は混乱して、混乱して、自分でもよく分からない事を口走っていた。
「その、あの、えっと、なんていうか……」
「要件を言え」
「ひ、一人は、心細い? っていうか……寝れない、っていうか、えーっと、やっぱいいです!」
なぜか恥ずかしくなって、顔が真っ赤に蒸気していくのが分かった。
やっぱいいです! ってなんなのよ? 穴でもあったら入りたい……。
神崎は真っ赤な私を見て、また笑った。
「えーっと、お前の言いたいことは……一緒に寝てほしいってことですか?」
「……っ!」
図星を突かれて、動揺してしまう。
きっと今の私は茹でだこみたいなんだろうな……なんて思ったら、また赤くなってしまう。
だから、小さく頷いた。
「くそっ。……かわいいですね」
そんな神崎の呟きが聞こえたので、私はまた赤くなってしまう。
彼はひょいっと軽く私を抱き上げた。
「な、何するんですか!?」
「え? 俺と寝るんじゃないんですか?」
「だ、だから、そういう意味じゃないですから!」
なにか酷い勘違いをしている彼の背中をどんどんと叩いて、抵抗した。
だけど、彼はくすくすと笑うだけで全然通用しなかった。
とくんとくんという胸の鼓動。私がこの鼓動の意味を知るのは、もう少し先の事である。




