6 元聖女とバー
本日2回目の投稿です。
最後の引き継ぎを終えた私は、すぐに教会の自室に戻った。
残っている仕事などない。そんなものはここ数日、残業をして終わらせた。
教会には私物を取りに戻っただけだ。
衣食住は教会から提供されていたので、それほど多くはない。
せいぜい簡素な服が数着と身だしなみセットくらいだ。私だって化粧くらいはする。
重苦しい聖衣を脱いで、ベッドの上に畳んで置いておく。教会の官舎において洗濯をしていたのは修道女だ。
この聖衣もここに置いておけば、彼女たちが勝手に持っていくだろう。
クローゼットの中から質素なチュニックとパンツを選び、着替える。
気楽な格好だ。聖衣でないだけで、解放感がある。
それにしても本当に物が少ない。
聖女としての仕事が忙しかったので、買い物に行く暇がなかったというのもある。
一応、教会からそれなりの給与はもらっていたので、お金は結構溜まっている。
教会発行の身分証カード――通称、天煌カードに給与は振り込まれているので、じゃらじゃらと重たい硬貨を持ち歩く必要はない。
魔導具の一種で、持ち主本人にしか使えないよう血や魔力が登録してあるので、盗難されても勝手に使われることはない。
便利なものだ。
さて、最後なので、一応挨拶くらいはしておいた方が良いかもしれない。
なんだかんだで、お世話になってもいたのだ。
そう、枢機卿リーフェルへの挨拶である。
私物を詰めた鞄を持って、リーフェルの執務室に向かう。
いなければこのまま出ていこうと思いつつ、扉をノックする。
残念なことに、内側から「どうぞ~」と声が聞こえてきた。
「失礼します、リーフェル様」
「あら、フィアナちゃん。どうしたの?」
リーフェルはロッキングチェアに揺られていた。
仕事をしろよ。
机の上に束になっている書類はどうするつもりなのだろうか。
いや、分かっている。
私が辞める以上、イレーネに回されるのだろう。
内心で溜め息をつく。
「先ほどイレーネ様に全ての引き継ぎを終えましたので、その報告と引退の挨拶に伺いました。それでは今までお世話になりました」
そう言って、さっさと立ち去ろうとしたけれど、待ったがかかった。
「ちょっとお話ししましょう、フィアナちゃん」
「え、嫌ですわ」
「ふふふ、つれないわね」
端から私の意見を聞く気はないようだ。
仕方ない。
私はリーフェルの執務室に入った。ソファを勧められたので、腰掛けて横に荷物を置いた。
「……それで、話って何でしょうか?」
「イレーネちゃんはちゃんと聖女やれそう?」
リーフェルも一応、彼女のことを心配しているようだ。
「魔力量は十分ありそうですし、最初は大変かもしれませんけれど、慣れれば大丈夫だと思いますわ」
女神信仰が厚すぎるきらいはあるけれど、あの祈りの言葉さえなくなれば、うまくやれるだろう。
「あとはそうですね……むやみやたらとイレーネ様に仕事を振らなければよいのでは?」
「うーん、それはどうかしら」
「仮にも枢機卿なら、ちゃんと働いてください」
日頃からゴロゴロしたり、居眠りしたり、仕事をさぼったりしているリーフェルだ。
まぁ、本当に必要な時は動くのだから、普段からそうすればいいのに。
そうしたら、私ももっと楽ができたのに。
「話はそれだけですか?」
「いいえ。フィアナちゃん、教会に残ってもいいのよ? ここならご飯もお風呂もただよ?」
正直、そこだけは魅力的だ。
けれど、それ以外がダメダメなので、検討の余地はない。
私が無言の笑顔を向けていると、リーフェルが折れた。
「意思は固いようね……残念だわ。戻って来たくなったら、いつでも戻って来てね」
「ふふ、丁重にお断りさせていただきますわ」
ブラックな職場はもうこりごりだ。
「失礼しても?」
「いいわよ~。またお話ししましょうね」
私はそれには答えず、荷物を持って立ち上がった。一礼してから退室した。
ルンルンである。
さて、晴れて自由の身となった今、まずは身を寄せるところの確保が重要だ。
◆
お金ならある。
とはいえ、無駄に贅沢をするわけにはいかない。
というか、贅沢ってどうやったらできるのだろう。
そんなわけで、私が選んだのは、大通りから一本入った路地裏にある安宿だった。
貧乏な探索者が使うような宿で、設備は最低限だ。備え付けのベッドに小さな机、これまた小さなクローゼット。
荷物の少ない私にはそれで十分だし、身を清めるのは銭湯に行けばいい。
時刻は夕方で、ついさっき夕方の鐘が鳴り響いたところだ。
ある意味、これから街が賑やかになる時間帯とも言える。
私は天煌カードだけ持って、オレンジに染まる街へと繰り出した。
目的地は決まっている。
《憩いの灯火》。
私の行きつけのバーである。
イレーネに断罪される切っ掛けとなったバーでもある。
扉を押し開けると、カウベルがカランカランと鳴った。魔導灯の明かりが暖かく照らす店内に入る。
まだ他の客は来ていない。
「いらっしゃい、フィアナさん」
マスターであるオルセンの物静かな、なんとも落ち着く声音だ。
彼はグラスを磨いていた手を止め、私に尋ねた。
「晴れやかなお顔をされていますね。何か良いことでもありましたか?」
「ええ、そうなのです。聞いてくださいますか?」
「もちろんです」
「その前に一杯ください。いつものエールをお願いしますわ」
オルセンは頷くと、木製のジョッキを取り出し、冷却保存用の魔導具からエールを注いだ。
ジョッキを受け取ると、麦の豊潤な香りが漂ってくる。
パチパチと炭酸の割れる音が気持ちいい。
まずはグイッと一口流し込む。口の周りに泡がつくことなど気にしない。この喉越しが堪らない。
「クー! やっぱり最初はこれがいいですわね」
適当につまみになるものを注文してから、オルセンにここ数日のことを話す。
イレーネに聖女に相応しくないと断罪されたことに始まり、数日かけて私の仕事を引き継いだこと。そして、今日晴れて自由の身となったこと。
「以前から『辞めたい』と仰っていましたが、本当に辞められたのですね」
オルセンが驚いたように言った。
聖女という役職を自分から辞めると言い出すのは難しい。
なので、今回イレーネが私を断罪したのは渡りに船だったのだ。
「はい。ですので、今日から私は『聖女フィアナ』ではなく、ただのフィアナですわ」
人と話す時の口調は、癖みたいなものなので、今さら変えられないけれど。
ただの街娘であることは確かだ。
ジョッキのエールを飲み干し、二杯目はウイスキーをロックで頼む。
つまみを食べながら、ちびちびとやるのが私の好みだ。
「これからお仕事をどうしようかと思っていまして」
しばらくは貯まったお金でやりくりできるとしても、その先のことを考えておかねばならない。
仕事は大事だ。
「フィアナさんほどの腕であれば、どこでも食べていけるでしょう。探索者や民間の治療院など引く手数多ではないですか?」
「どうですかね。治癒系の魔法しか取り柄のない女ですよ」
「そのようなことはないでしょう。好きなことを仕事にされる方もいますし……まずはいろいろ見学されてみてはいかがですか?」
見学か。
まぁ、焦る必要はない。
お金はあるのだし、じっくりと考えてもいいだろう。
ずっと教会で働いてきた私はあまり世間のことを知っているとは言えない。
探索者ギルドにしろ、民間の治療院にしろ、話を聞いてみないことには始まらない。
薬作りは面白いと思っているので、本気でそれを生業にしてみるのもいいかもしれない。
グラスに注がれた琥珀色の液体を見つめながら、そんなことを考えた。
難しいことは明日でいいか。
ひとまず、今日は解放感を味わうとしよう。
次回投稿は明日正午頃の予定です。




