10 元聖女と製薬釜
本日2回目の投稿です。
一度、安宿に戻り、薬作りに必要な物を書き出していた時、何かが引っかかった。
重要なことを忘れているような気がするのだが、何だっただろうか。
最近、使った記憶がある。
イレーネに断罪されてからの日々のことを振り返ってみる。
「あ……私のスコップ」
教会の官舎を出る時に、あのハンドスコップを荷物に入れなかったような……
慌てて、私物をすべてベッドの上に並べてみたけれど、どう見ても相棒が見当たらない。
私としたことがなんたる不覚。
というわけで、戻らないと決めた教会に、たった数日で戻ることになった。
重たい足取りで向かった教会で、顔馴染みの神官や修道女に挨拶をしてから、私が使っていた部屋に向かう。
既に私は部外者なのだけれど、こんなザルな警備でいいのだろうか。
私が信用されているということでもあるのだろうけれど。
とはいえ、不審者扱いされるのも嫌なので、一応この教会の最高責任者である枢機卿のリーフェルに話を通しておくことにした。
「あら、フィアナちゃん。もう戻ってくる気になったの?」
彼女の執務室を訪れて、一言目にそれである。
相変わらずロッキングチェアに揺られていた。
「そんなわけありませんわ。忘れ物を取りに来たのです。ついでにご挨拶にと」
「そうなの? まだあなたの部屋はそのままにしてあるから、勝手に入っていいわよ~」
ゆるゆるのセキュリティである。
別に悪さをするつもりはないけれど。
リーフェルの許可を得たので、私が使っていた部屋を隅々まで調べさせてもらったけれど、相棒のスコップは見つからなかった。
どこに忘れてきたのだろうか。
あるとすれば、最後に使った薬草園だ。
薬草園に向かう途中、聖女用の執務室の扉が開いているのが見えた。
なんとなく気になって覗いてみると、イレーネが頑張っている。
書類が山になっているけれど、大丈夫だろうか。
目の下に隈ができているので、心配だ。連日忙しいのだろう。
この二日間ですっかり健康体になった私とは真逆だ。
うわぁ、と思いながら見ていると、彼女も私に気づいた。
「フィアナ様? 教会を去ったのでは? まさか……わたくしの無様な姿を見に来たのですか?」
わざわざそんなことをするほど、私も暇ではない。
「忘れ物を取りに来たのです。ここを通ったのはたまたまですわ」
「……そう、ですか」
イレーネにしてはピリピリしている気がする。
……いや、私を断罪したくらいだし、元々ピリピリしていたかもしれない。
「ね? 仕事量が多いでしょう?」
「え、ええ。思った以上です」
「他の人に仕事を振るのがいいと思いますわ。聖女でなければ駄目なものもありますけれど、そうでないものも多いですから。書類仕事をリーフェル様に戻すのも手ですわ」
部外者の私には手伝うことなどできないし、部外者でなくても手伝いたくはないけれど。
しかし、イレーネはフルフルと首を横に振った。
「そのようなことできるはずがありません。新しい聖女としての誇りにかけて、一人でやり遂げてみせます」
どう見ても睡眠時間を削って、仕事をしているようにしか見えない。
「どうかご自愛くださいね」
「よ、余計なお世話です。これは女神様がお与えになった試練なのです!」
そういう解釈をしているのか。
女神様とやらも過酷な試練をお与えになることで。
口には出さず、心の内にしまっておく。真面目なイレーネなので、私が何を言っても聞き入れてもらえないだろう。
彼女には彼女の仕事があるように、私には私のすべきことがある。
その場を後にして、さっさと薬草園に向かった。
おそらくここのどこかにあるはずだ。
薬草園を回って、ハンドスコップを探す。
ふと私が手入れしていた一角を見てみたが、イレーネはちゃんと薬草栽培も頑張っているようだ。
努力家なのはいいことなのだけれど、ちょっと頑張り過ぎな気がする。
ちなみにハンドスコップは見つからなかった。
決して安いものではなかったし、愛着もあったので、意気消沈である。
項垂れる私に、神官が声をかけてきた。調剤室でいつも製薬釜を貸してくれた高齢の神官だ。
「先代聖女様じゃないですか。ひょっとして忘れ物を取りに?」
私はパッと顔を上げた。
「そうなのです。愛用のスコップを忘れてしまいまして、どこにあるのか分からないのです……」
「それでしたら、きちんと保管しておりますよ。どうぞ、こちらに来てください」
連れていかれたのは、調剤室の横にある管理室だ。
「確かこの辺に保管していたはず……ありました。どうぞ」
神官は私にハンドスコップを渡してくれた。
ああ、この持ち手のフィット感……まさしく、私の愛用のスコップだ。
「先代聖女様が去ってから、薬草園の片隅で見つけましたが、どこにおられるか分かりませんでした。持っていくにもどこに行けばいいのか分からず、やむを得ずここで保管しておりました」
神官はにっこりと笑って、続けた。
「あれほど丁寧に、熱心に薬草の世話をしていましたので、お返しできて本当に良かったです」
彼の言葉を聞いて、心が少し温かくなった。
仕事に追われる毎日だったけれど、ちゃんと私のことを見てくれている人もいたということだ。
治癒魔法や騎士団の模擬戦への参加など、表向きの聖女の仕事が目立つけれど、こんな裏方の仕事を評価してくれる人がいたことは、素直に嬉しい。
その想いも込めて、神官に礼を言った。
「本当にありがとうございます」
ふと部屋の片隅に積まれていたものが目に入った。
あれは製薬釜だ。
「神官様、あの製薬釜はどうされるのですか?」
「ああ、あれは廃棄予定のものですよ。以前、買い替えた時に、不要になったものです。忙しくて後回しにしていましたが、そろそろ廃棄しないといけません」
あれを捨てるだなんてもったいない。
「でしたら、私にいただけませんか?」
「構いませんよ。旧式のものですが、まだまだ使えますからね。それもあってなかなか捨てられなかったのですが、先代聖女様が使ってくださるなら、あの製薬釜も本望でしょう」
よし!
ただで製薬釜をゲットできた。
見た目はただの片手鍋なのだけれど、その素材やら製法やらのせいで、買うとお高いのだ。
いくら私がお金を持っているからと言って、節約できるところは節約しないといけない。
いずれ私専用の特注品をオーダーすることはあるかもしれない。でも、それまでは大事に使おう。
加熱用魔導具も探してみたけれど、残念ながらなかった。
直火だと熱の通り方にムラがでるので、ちゃんと加熱用魔導具を買うことにしよう。
薬作りに必要なものを書き出したメモを取り出し、「製薬釜」に横線を引いた。
不意に、神官がポンと手を叩いた。
「そうだ、先代聖女様にもう一つお渡ししたいものがあります」
他に忘れたものはないはずだ。一体、何だろう。
神官はごそごそと棚を漁り、小さな袋を三つ取り出した。
「これらは薬草の種です。薬草園で使っているヒールハーブ、キュアグラス、マナスパイスの三種類になります」
ちょっと……いや、かなり嬉しい誤算だ。
「よろしいのですか?」
「もちろんです。先代聖女様にはたいそうお世話になったというのに、大したお返しもできず申し訳ないと思っているくらいです」
「そのようなことは……私は自分が落ち着くために、薬草園と調剤室に来ていたようなものですわ」
いわばストレス解消のためだ。それがいつの間にか趣味のようになっていた。
「それでもです。先代聖女様のおかげで、普通の治療薬にも改良の余地があることが分かりましたので」
薬草栽培の水やりや、薬効成分の抽出時に魔法を使うことを言っているのだろう。
そういうことなら、もっと私に訊いてくれても良かったのに。他の仕事があるから遠慮していたのかもしれない。
「ですので、どうぞこの種をお持ちください」
「ええ、ありがたく頂戴しますわ」
ちゃんと有効活用させてもらう。
こうして思いがけない収穫を得ることができた。
「先代聖女様に神のご加護を」
去り際に、神官はそう祈ってくれた。
今、この時だけは神を信じてもいいかもしれない、と思った。
次回より1日1回、18時頃の投稿になります。




