第六話「契約の棺(ひつぎ)」
夜の帳が落ちたバンパイア王国の深部。
王宮の地下には、かつて“契約の棺”と呼ばれた聖域が封じられている。
日和は導かれるように、無人の回廊を一人歩いていた。
足音も、風の音もない。
ただ、自分の心臓の鼓動だけが――不気味なほど静かな空間に鳴り響いていた。
「……なぜ、ここに来たのか分からない……のに……怖くない」
それは夢か現か、あるいはその狭間の世界。
無意識のうちに、彼女は“呼ばれていた”。
扉の先に広がっていたのは、黒い棺が並ぶ、古の祭壇。
ただひとつ、中央に据えられた棺だけが、血のような赤に輝いていた。
──ギ……ィ……
誰かが、棺を開いた。
「来たのね」
聞こえたのは、自分とまったく同じ声。
だが、そこに立っていた少女は――日和ではなかった。
瞳は紅と藍ではなく、完全なる深紅。
微笑は日和と同じ形だが、どこか人を見下すような冷たさを帯びていた。
「あなたは……誰?」
問いかけた日和に、少女は口元を歪ませ、優雅に頭を下げた。
「名乗るほどの者ではないけれど……そうね、昔は“ミラ”と呼ばれていたわ」
「……ミラ?」
「あなたが死にたくないって泣いた夜。私は生まれたの。あなたの影から」
──影。
それは、心の闇。
強く願った「生きたい」という想い。
裏返せば、代償を払ってでも生き延びたいという執念。
「私は、あなたの“裏側”。あなたが優しくなければならなかったぶん、私は冷たくなった。
あなたが望まなかった血を、私は欲したの。
……あなたと、わたしは一つにならなければならない。契約の続きを交わすために」
日和の胸が、冷たく締め付けられる。
「……あなたは……私が“消した”感情なの……?」
「違う。私はあなたの一部。どちらかが消えれば、もう一方も不完全になる」
ミラの影がゆらりと動き、日和の足元に迫る。
「さあ、棺に入りましょう。そこが、“真の始まり”なのよ」
日和は棺を見下ろし、そして自分の胸に手を当てた。
心臓の鼓動――それは確かに、今も生きている証。
「……でも、私は……まだ……私自身でありたいの。
誰かの“影”じゃなくて。誰かを傷つける力じゃなくて。
……生きるって、そういうことじゃないでしょ?」
その瞬間、日和の瞳が光を放った。
藍と紅が交錯し、瞳に浮かぶのは、ひとすじの涙。
「私を見てよ、ミラ。あなたは私。だけど私は、あなたじゃない」
その言葉に――ミラは、はじめて、目を見開いた。
静寂が、棺の間を裂いた。
そして──次の瞬間、祭壇に光が差し込む。
太陽の光すら届かない地下に、ありえないはずの光。
「まさか……!?」
ミラが崩れ落ちるように膝をついた。
「……あなた……本当に……太陽すら拒まない、異質の“夜明けの姫”なのね……!」
──その日、契約の棺は開かれたまま閉じられることはなかった。
そして日和の中に眠っていた“本当の力”が、目覚めようとしていた。
(続く)