第五話『影の記憶』
風が止んだ。
バンパイアの王城を包む夜の帳が、ひときわ深く、重く落ちていた。
日和は目を閉じ、両手で胸を抱く。
ルクスから聞かされた「ミラ・ノクス」の名が、耳にこびりついて離れない。
「……第1王女? 私に似てるって……」
王家の記録には記されていない失われた王女。
その存在が、なぜ今になって現れたのか。
日和の部屋の鏡が、わずかに曇る。
その奥から、影がじっとこちらを見つめていた。
「ねぇ、ひより」
影の“日和”が囁く。
「あなたは、わたし。わたしは、あなた。
……あの時、蝙蝠に血を与えた瞬間。わたし達は分かれたのよ」
日和の手が震える。
「分かれた……?」
「うん。あなたは“優しい願い”を選んだ。
でもわたしは、“力が欲しい”って思った。
死にたくない、守りたい、抗いたいって――」
影は笑う。それは涙にも似た、どこか切ない微笑だった。
「だからね、あなたに託したの。王女の体、血の力。
でも、そろそろ返してもらうよ。――全部」
その瞬間、鏡が砕けた。
◆
「姫様!!」
駆けつけたルクスの目に飛び込んだのは、倒れ込む日和の姿。
その瞳は、かすかに紅く輝き、呼吸は浅い。
「ッ……これは、“憑依”か……!?」
彼はすぐに日和を抱き上げ、第3王女の寝室室へと向かった。
◆
深く、静かな意識の底。
日和は、見知らぬ廃都に立っていた。
月は赤く染まり、瓦礫の中に白い棺が佇んでいる。
その中から、ゆっくりと“もう一人の彼女”が起き上がった。
「おかえり、ひより。ここが、わたし達の“はじまり”」
――血と願いの、契約の場所だった。