第二話『王宮の闇と、姫の初めて』
永夜の王国ノクティア。
常に月が浮かび、太陽の光が一切届かない、夜だけの国。
日和が“第3王女”として目覚めてから、数日が経った。
病弱だった頃には想像もつかなかった日常。
ドレスを身に纏い、温かい食事をとり、自由に歩き回る身体。
けれど──
「……皆、私を見てる」
石造りの王宮の廊下。
通るたび、使用人たちがひざまずき、下を向く。
けれどその視線の端に、不安と恐怖が見えた。
(違う。崇めてるんじゃない、怖がってる……)
扉の向こう、壁の陰。
ひそやかな囁き声が耳に残る。
「第3王女様は、“血を飲まない”らしい」
「しかも太陽の下を歩けたとか……?」
「……異質だ。まるで、神の呪いだ」
日和は、ただ静かに歩き続けた。
ドレスの裾が床を擦る音だけが響く。
けれどその胸には、小さな棘のような痛みが、刺さったままだ。
*
「ようこそ、妹よ」
玉座の間。
最奥に、二人の姉王女が立っていた。
一人は凛とした雰囲気の長女・エリュシア。
もう一人は妖艶で冷たい微笑を浮かべる次女・セレナ。
日和が一礼すると、エリュシアは穏やかに頷いた。
「急な目覚めだったそうだな。体調はどうだ?」
「……はい。元気、です」
言葉を交わすその横で、セレナが小さく肩をすくめた。
「血を飲まず、太陽のもとを歩く王族? まるで人間ね。
“異端の姫”として、記録に残るのかしら」
「……!」
静かに口を閉ざす日和。
その瞬間、足元の影が歪んだ。
──ぞわり。
日和の中で何かが、目覚めかけた。
けれどそれは、怒りでも恐怖でもない。
むしろ胸の奥の“悲しみ”が、共鳴したようだった。
「私は……この国で、生きていけるんでしょうか?」
つぶやくような声に、エリュシアが小さく目を見開いた。
セレナは一瞬たじろぎ、次いでその口元が歪んだ。
「生きる……? ふふ、貴女はもう、“生きていない”のよ、妹姫。
──私たちは皆、“永遠に死ねない”存在なのだから」
その言葉は、呪いのようだった。
*
部屋に戻った夜。
鏡台の前に座る日和は、自分の顔を見つめていた。
左目の藍色。右目の紅。
どちらも、もう“人間”のものではない。
(でも……私は、まだ人間の心を持ってる)
ぽつり、ぽつりと涙が頬を伝う。
そのとき。
鏡の奥。
誰もいないはずの空間から、声がした。
──「泣かないで、姫」
日和は凍りつくように鏡を見つめた。
──「私は、あなたの“影”」
──「あなたの中の“バンパイア”」
鏡の中に、もうひとりの“自分”が、微笑んでいた。