第一話『永夜に目覚める姫』
『永夜に目覚める姫』
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──静かだった。
音もなく、風もなく、何もない。
けれど確かに“生きている”という実感だけがあった。
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ふわり、と。身体が宙に浮かぶような感覚と共に、まぶたがゆっくりと開いた。
見上げた天井は、見慣れた白く四角い病室ではなかった。
赤黒い天鵞絨の天蓋がゆらりと揺れ、金の刺繍が月光に照らされて煌めいている。
(……あれ?)
ゆっくりと身体を起こす。
思ったより、ずっと軽い。
この数年間、点滴と酸素マスクに頼って生きてきた身体とは、まるで違う。
自分の手を見た。白くて細いが、もう震えていない。
視線を落とせば、知らないレースのドレスが着せられている。
(夢……? じゃない。感覚が、リアル……)
そのとき。
扉が、音もなく開いた。
入ってきたのは、漆黒のマントに身を包んだ銀髪の青年だった。
血のように赤い瞳が、真っ直ぐこちらを見据えている。
「お目覚めですね、姫。……いえ、“日和さま”」
「……誰? ここはどこ……?」
日和の声は震えていた。でも、以前のような息切れはない。
男は、ゆっくりと胸に手を当て、恭しく頭を垂れる。
「私はルクス。あなた専属の従者です。
ここは《永夜の王国・ノクティア》。そしてあなたは、この国の──」
「……王女……?」
「第3王女、“日和・ノクティア・エクリア”様。
異なる世界から来られた、“異質なる夜姫”──」
彼の言葉が脳に届くより早く、日和の胸に何かが流れ込んだ。
血の記憶。
命の契約。
──あの蝙蝠。あの夜の約束。
「……生きてる、の?」
日和の瞳が潤む。その瞬間、部屋の空気が微かに震えた。
左目の澄んだ藍が、光を受けて輝く。
右目の深紅が、ゆらりと金色を帯びる。
ルクスの喉が小さく鳴った。魅了スキルが発動していることを、彼は理解していた。
「はい。あなたは──もう、“死なない”存在です」
──永遠の夜の国。
吸血鬼の姫として、少女・日和は目覚めた。
けれどその心には、今も確かに“人の優しさ”が息づいていた。