07
伯爵家の敷地には小さな池がある。
夏の日差しを受けて水面がきらめき、風がさざ波を作っていた。
ケイは、池のほとりで釣り糸を垂らしながら、隣に座る兄テオドールをちらりと見た。
自分と同じ黒髪と黒い目の、知的で端正な顔立ちの少年だ。
兄は、性格や顔つきは父伯爵によく似ている。
回帰してからというもの、兄は何かにつけてケイを遊びに誘ってくる。
今日もまたザリガニ釣りだ。
今日はこっそり、ピアディも連れて一緒に池までやって来た。上着のポケットにインしてケイと兄の様子を窺っている。
(回帰前の兄と、こうして二人で並んで釣りをしたことなんて、なかったぞ。いや多分)
記憶を辿ろうとするが、あまり思い出せない。
なぜなら、ケイの記憶にある幼少期は、兄や正妻セオドラに虐げられた辛いものばかりだったからだ。
(回帰前と回帰後の今と。どちらが本当の兄なんだろう。今の兄が本当の兄の可能性も……)
そんな疑念が胸をよぎる。
しかし、ケイはすぐに頭を振った。
(違う。兄は俺を虐げたんだ。前世で俺があんな風になったのは、兄のせいじゃないか)
身体が冷たくなる。まだ回帰前のケイは死にかけで、海の底に沈んでいるのだ。
ケイがそんな目に遭ったのだって、間違いなくこの兄のせい……
「ケイ、見ろ! ザリガニがかかったぞ!」
兄の楽しげな声に、ハッとして顔を上げた。
そうだった。今日もまた兄に誘われて池に遊びに来ていた。
ケイの釣り糸の先には、大きなザリガニがぶら下がっていた。
ピアディがケイの上着のポケットの中から飛び降り、興味津々に近づいてそれを覗き込む。
「あっ、ピアディ!」
(姿を見せては駄目ではないか!)
「おお、ザリガニたんではないか。われはサラマンダーのピアディぞ、どうか仲良く……」
小さな手でザリガニを突っつくピアディ。
だが、次の瞬間――
バシンッ!
「きゃーーーー!!?」
「ピアディ!?」
ピアディの柔らかな半透明ボディが、ザリガニのハサミにがっちり挟まれた。
もがくピアディ。
だがケイが驚くより早く、兄の手が素早く動いた。
「動くな、危ない!」
兄は迷うことなく、しっかりとザリガニの胴をつかみ、ゆっくりとハサミを開かせた。
ピアディはぷるぷると震えながら、ケイの元へ飛び込む。
「……こ、怖かったのだ……うええええん……!」
ケイはピアディの身体をじっと確認し、怪我がないことを確認して優しく撫でた。
「大丈夫だ、ピアディ。ちょっと挟まれたところが赤くなってるが傷はない」
兄もピアディを見て声をかけてくる。
「大丈夫か? 痛くない?」
「……う、うむ……少し驚いただけなのだ」
兄はほっとしたように微笑む。
それを見たピアディが、小さな声でケイに呟いた。
「……あやつ、悪いやつではないのかも?」
「そんな簡単に籠絡されるんじゃない!」
ケイは思わずピアディをぷにっとつまみ上げる。
だが、胸の奥が妙な感覚に包まれていたのも事実だ。
(兄が……こんなに優しいなんて)
過去の記憶と、目の前の兄の姿がどうしても食い違う。
どちらが「本当の兄」なのか、ケイにはわからなくなってきていた。
(駄目だ。兄を信じてはいけない。俺を騙しているだけかもしれないのに……)
こんな穏やかな時間を過ごす自分は、似合わないと思った。
釣りを終えて別邸の自室に戻ってきてから、ケイはピアディに語りかけた。
「とりあえず、ザリガニ釣りは楽しい」
「こらー! なのだ。目的を忘れるんじゃありませんなのだ!」
「……わかってるさ」
不思議なサラマンダー、ウーパールーパーのピアディの力によって、ケイはこうして子供時代に回帰している。
ピアディが出した条件は、ケイが勇者に覚醒してその力でピアディや、次元の狭間にあるという海底神殿を浄化すること。
そこにケイは自分の目的を上乗せしている。
回帰前は正妻や兄に、自分が持つべき伯爵家次男としての権利や力を奪われ、母ポーラともども貶められていた。
回帰したやり直しの人生では、――彼らに復讐し、奪われた自分の力を取り戻す。
ケイは自分の手のひらをじっと見つめた。
「……でなきゃ、死んだお母様が報われない。いくら回帰したからって、お母様が死んで海に捨てられたのは間違いないんだ……」
(ああ……寒い……)
また身体が冷たくなる。深い深い海の底の感覚だ。
ピアディからの試練を果たして回帰を確定してもらうまでは、この冷たさとも付き合わなければならないのだろう。




