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穏やかな不穏

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 お、こーちゃん、起きたか。

 いつもは早起きな君が、今日はだいぶゆっくりだったな。ぐっすり眠れたかい?

 睡眠中は、いびきや寝返りの心配が少ないメンツにとって、とっても穏やかな時間だと思う。一方でかなり無防備な状態であるし、自分の身体にかかわることでなければ、ろくに感知はできない。いちおう、地震の揺れとかは気づけるから自分の身体に影響があれば、さほどではないかもだけどね。

 スサノオがヤマタノオロチを倒したときも、ただ寝入ったところに闇討ちするプランだったら、首ひとつふたつを落としたところで他の首が目を覚ますだろう。

 あそこは酔いが回っていたのこそがでかいと、個人的に思っている。単なる眠気のみならず、アルコールで頭がまともに働かなくなる。神経も鈍りに鈍ってまともな抵抗もできないまま、スサノオにいいようにやられてしまったのだろうな。

 果たして、動けないのは穏やかなことか? あるいは穏やかならざることか?

 最近、僕も少し不思議な昔話を聞いてね。耳に入れてみないかい?


 むかしむかし。

 とある旅人が、やや大きめの茶店に立ち寄ったときのことだ。

 大きめの家ほどもある店は、一段高いお座敷の上に食事用の長机を並べている。それぞれの席は屏風で区切られており、席に着くと不完全ながら隣と仕切られて、様子を見ることができなくなってしまう。

 店内は向かって左手の隅の机に男が一人いるだけ。自分に似た旅装を解かないまま、畳の上へあぐらをかきつつ、とっくりと猪口ちょこだけを机に乗せてちびちびやっているらしかった。

 疲れか。あるいは飲みすぎなのか。旅人が見ていたわずかな間でも、うつらうつらしている。

 ぎっこん、ばったんと音が聞こえてきそうな上半身の揺れっぷりは、まさに舟を漕いでいるとたとえられそうだった。


 上から見ると「コ」の字になっている畳。

 土間を挟んで対岸……というのは、どうも品がない気がする。土間側に屏風がない以上、お互いの所作が筒抜けだ。知らない輩にのぞき見されるかもと考えたら、おちおち腹ごしらえもできそうにない。

 ここは「コ」の字の縦棒部分、先客に対して背を向けられる位置こそが安心を得やすいところとみた。旅人がくだんの席へ腰かけると、すぐに店のものがお品書きを持ってくる。

 腹はというと、まだ中途半端な減り。がっつりと食いでのあるものをいただく気には、ちょっとなれない。団子と茶を頼んだ。

 旅人が待つ席は、左右を屏風にはさまれている位置。なにげなく眺めてみると、屏風はどちらも青々とした海面が描かれていたそうな。


 海を描いた屏風絵というと、いまにもしぶきがこちらまで届いてきそうな、荒々しい波の姿をあらわした筆致がしばしば見受けられる。

 しかしこちらは、いずれも穏やかだ。波も船も島もなく、かすかな曲線を持った水平線と青色の塗装。ところどころ塗られておらずに地肌をさらしているところは、離れて見ると水面のきらめきを映しているのだと分かる絶妙な配置だった。

 山の上から見下ろしているかのような俯瞰の視点。じっと眺めていると、どこか心が安らいで、まぶたが重くなってきそうな気さえしてくる。


 ほどなく、注文の団子たちが運ばれてきた。

 典型的な三色団子。それが五本分並んでいて、よそに比べると太っ腹だなと感心する旅人。さっそく一本目を口へ入れてみる。

 甘い、というのが第一印象だった。

 よその団子も、甘めな味付けをしているものはいくらかあったが、その中でも一番だ。

 以前に一度だけなめた、砂糖の味に酷似している。このあたりでは特に高級な品で、旅人のようにひとなめしただけでも、たいていの人に珍しがられる代物だったとか。


 歯ごたえはよく知る団子の通り、もちもちとしている。しかし、舌へ乗せていくとたちまちとろけて、ざらつくような甘味が頬の裏からのど奥にかけてを、駆けるようにして包み込んでいく。

 自分の唾さえ甘く感じられるほど、舌がバカになってしまうのに時間はかからなかった。

 しかし、こうなると次なる大敵が湧いてくる。


「飽き」だ。

 この甘い団子たち、勢いに任せて二本を平らげたのはいいのだが、三本目になってくるともはや新鮮さを覚えなくなってきていたんだ。

 舌が微細な変化を感じるという仕事を放棄してしまった以上、上を転がっていくのはただの丸い塊。

 それが団子であれ土玉であれ、よく分からなくなってきていた。いや、もはやどうでもいいのかもしれない。

 くわえて、腹の皮がつっぱってきて眠気を覚えてきた。穏やかな海の屏風を眺めていただけでも誘われた眠りの世界が、満腹感とともにぐんぐんと近づいてきている。


 これが我が家や宿であったならば、このままごろりと横になってしまうところだが、まだ自分は行かねばならない目的地さきがある。

 強まる眠気をこらえて立ち上がりかけた。皿の上に残る三本の食べかけの団子。お残しを許されぬ家に育った旅人としては心苦しく、多少迷った末にそれらを懐へ突っ込んで立ち上がったとか。

 歩いて眠気を覚まそうと、土間を歩き出してふと気が付いた。


 先ほど、舟を漕いでいた男がいなくなっている。

 店を出ていったにしては、脱いだ草履が残っているのが妙だ。とっくりと猪口はそのままになっている。

 なんだ? とちらりと席を見て、旅人は目を見張った。

 例の屏風。片側が壁なので、一方しか仕切っていないが、自分の席を区切っていたのと同じ、穏やかな海面。

 その絵のただ中に、先ほどの格好そっくりの男が入り込んでいるではないか。

 元から描いてあったものとは思えなかった。というのも、男は先ほどと同じように上半身を大きく揺らしながら、まどろんでいる動きを見せているからだ。

 ほんの、しゃくとりむし程度の大きさとなって、屏風の海の中で。


 それ以上、ろくに見やることもせず、旅人はかの店から逃げ出した。

 いくらか走っていると、先ほどまでの眠気はぐんぐん吹き飛んでいき、舌もまた垂れ落ちて、口に入ってくる汗のしょっぱさを覚えるようになってくる。

 すっかり目が冴えてから見た懐の中は、どこかで落としてしまったのか。あの三本の団子たちは影も形もなかったのだとか。

 旅人は以降、その茶店を見つけることができず、あの男もまた見かけることはなかったらしいんだ。


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