09.想いを込めて
ロージーは私の作った部屋着をとても気に入ってくれた。
「見てくださいまし、お兄さま! 肩にこんなにフリルがついていますわっ!」
さっそく水色の部屋着に着替えたロージーが、ベッドから降りて、くるりとターンをする。
だけど、バランスを崩してよろめいてしまった。
すかさずアレクシス様が抱き止める。
「ロージー、無茶をするな」
「ごめんなさい……でも、とっても嬉しいんですもの……」
しゅんとしてベッドに戻りながらも、すぐに裾のローズマリーの刺繍を撫でてにこにこするロージーを見ると、私まで嬉しくなる。この間あげた小鳥のピロケースも、気に入って使ってくれているようでよかった。
「よく似合っているわ、ロージー」
「ありがとうございます、サラお姉さま!」
そう言って顔をほころばせるロージーは、気のせいか、先日よりも体調が良くなっているように見えた。
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お見舞いから帰ると、アレクシス様は「話がある」と言い、私を彼の部屋に連れていった。
アレクシス様の部屋に入るのは初めてで、なんだか少し緊張する。広くて、落ち着いた色の調度品が居心地よく配置されている、彼らしい部屋だった。
向かい合った椅子に座ると、彼が切り出した。
「シアフィールドと王都の境の森林地帯に魔物が出没し、付近の住民を襲っているらしく、騎士団への出撃命令が出た。私は討伐隊を編成して、すぐに向かわなければならない。この城に来たばかりの君を一人にさせてしまい、申し訳ないが……」
「いいえ、アレクシス様。私なら大丈夫です。ジョンソンに色々と教えてもらいましたし……それよりも、どうか気をつけて行ってきてください」
本当は心細かったけれど、危険な戦場に向かうアレクシス様の方がずっと大変だし心配だから、わたしは笑って言った。
アレクシス様がじっと私を見つめる。
うっ……最近慣れてきたとはいえ、氷像のように麗しいその顔をまっすぐに向けられると、やっぱり落ち着かない。頬に血が昇り、心臓が高鳴ってしまう。
それにここは彼の私室で、今は二人きりだ。
変に意識しはじめてしまうと、もう耐えられなかった。
私は思い切り目をそらしてしまった。
「ロ、ロージーのお見舞いにも、毎日行きますね! 最近は体調が良さそうなので、今度は少しだけ別荘の中を一緒に歩いてみようかと……」
「……そうか。ありがとう、サラ」
「は、はい、いえ、そんな……」
「サラ」
アレクシス様が身を乗り出して、私の顔をのぞき込んだ。
あまりに距離が近くて、心臓が口から飛び出しそうになる。
「今回は大規模な戦いになりそうなんだ。シルバーウルフの群れに交じって、オーガの姿も数体確認されているため、王都からも討伐隊が派遣される。……その中に、デクスター子爵令息の名前もあった」
「え……?」
「君の元婚約者だ。今は……義理の弟だったか」
「……はい」
「彼の部隊は後方に配置されるようだから、危険は少ないと思う。それに、確か彼は戦場でもかすり傷一つ負わないために『奇跡の騎士』と呼ばれているのだったな? ……だから……あまり心配しなくていい」
……心配?
アレクシス様は、私がコンラッド様の心配をしていると思っているのだろうか。
そう言われるまでちっともコンラッド様の心配をしていなかった自分の薄情さに、自分で驚いた。
少し前までは、コンラッド様が戦場へ向かうときは、心配でご飯もろくに喉を通らないほどだったのに……。
今は、他にもっと心配している相手がいる。
その相手―――アレクシス様は、普段はあまり感情を見せない人なのに、今日は一目でわかるほど物憂げな顔をしている。
私は慌てて言った。
「コンラッド様なら、きっと大丈夫です。ミリアムからたっぷりと《魔力譲渡》してもらえますから。……ですが、私が魔力がないばかりに、アレクシス様に魔力をお渡しすることができなくて……本当に、申し訳ありません……」
こんな大事なときに、彼の役に立つことができないことが、何よりつらかった。
シルバーウルフは手練れの騎士なら一対一で倒せる魔物だけれど、群れとなると、途端に手強い相手となると聞く。さらに、オーガは人よりも頭一つ大きく力も強い魔物で、知能も高く、残忍だ。
そのオーガが複数いて、シルバーウルフと行動を共にしているというのだ。必然的にこちらも大人数の騎士団で立ち向かわねばならず、厳しい戦闘になるのは間違いなかった。
アレクシス様に何かあったらと思うだけで、胸が潰れそうだった。
けれど彼の顔からは憂鬱そうな色が消え、代わりに、ふわりと頬を緩めた。
「そんなことを気にする必要はないよ。……だが、しばらく君と離れることになるから、戦場でも君を思い出せる物が欲しいな」
「え?」
アレクシス様が、どこか甘えるように言った。
たちまち私の全身が、ぼっと熱くなる。
まるで、恋人か夫婦のようなリクエストをされたからだ。
実際に夫婦ではあるのだけれど……それはあくまで契約上のことであり、精神的な繋がりは不必要であるはずだった。
だけど―――。
「…………あの……実は、アレクシス様のためにと、サッシュを作ったのですが……」
「私に?」
「は、はい……もしも、ご迷惑でなければ……」
恥ずかしさに頬がほてる。
ああ、やっぱり言わなければよかったかしら。
コンラッド様に突き返された青のスカーフの記憶が、フラッシュバックする。
スカーフすら着けてもらえなかったのに、サッシュなんて、あまりにも差し出がましかったかもしれない。
「白い結婚」なのに、こんなの、重すぎると思われるかも……。
けれど。
「当然、毎日身につけるよ。ありがとう、サラ」
アレクシス様は、満面の笑みを浮かべてそう言った。
サッシュはこの国の騎士が腰に巻く、装飾的な帯だ。
色や形態は自由。戦いの無事を祈って、恋人や婚約者が相手の家紋を入れて騎士に贈る場合が多い。
ミドルトン家の紋章は、銀地に四つの百合だ。
アレクシス様の美しい黒髪に合わせた黒い布に、銀と金の糸で一針一針に想いを込めて刺繍したサッシュは、我ながら見事な出来栄えだった。
自室から取ってきたそれを、おずおずと渡す。
アレクシス様は感嘆の声をあげて、すぐに腰に巻いてくれた。
今は鎧は身につけておらず、普段着姿だけれど、鍛えた体の線はその上からでもわかる。
紋章入りの黒いサッシュを形のいい腰に締めたアレクシス様は、思わず目が吸い寄せられるような色気を放っていた。
「似合うかな?」
「ものすごくお似合いです……!」
力強く言う私に、アレクシス様は満足そうに頷いた。
「ありがとう。魔物などすぐに倒して帰ってくるよ」
「はい。ご武運をお祈りしています」
アレクシス様は、どこか物思わしげに私を見つめた。
そして、膝をつき、私の手を取り。
その手に口づけを落とした。
顔を上げたアレクシス様の目元が、ほんのりと赤い。
「行ってくる」
「…………はい……行ってらっしゃいませ……」
どうにかそれだけ口にすると、彼は頷き、部屋を出て行った。
(……どうしよう……二度と恋などしないと決めたのに……)
心臓が激しく高鳴り、痛い位だった。
さっき口づけをされた手に、まだ、感触が残っている。
(…………私、アレクシス様に恋をしてしまったわ………………)
早く私も一階に下りて、城の使用人たちと共に、アレクシス様の出立の準備のお手伝いと、お見送りをしないといけない。
けれど、私はしばらくピクリとも動くことができず、彼が出て行った部屋の扉を見つめていた。