06.波乱のお茶会
「こんにちは、大伯母様。本日はお招きいただきありがとうございます」
城から歩いて数分のところにある、緑色の屋根の一軒の家。
その扉をノックして中に入り、アレクシス様は「お招きありがとう」などとはちっとも思っていなさそうな無表情で、そう挨拶をした。
私も彼の後ろについて家に入りながら、居間の奥のロッキングチェアに座る高齢の女性を見た。
あの方がアレクシス様の言う「厄介な親戚」、彼の大伯母様である、マーガレット・ステイプルトン様だ。
このシアフィールドのみならず近隣の地域にも商売を広げていた豪商の夫、ステイプルトン氏に先立たれ、現在はこの家で侍女とともにひっそりと暮らしている。
一見地味な暮らしのようだけれど、実は彼女こそがシアフィールドの影の重鎮らしく、領内のいざこざも彼女の鶴の一声で解決してしまう、ということもままあるらしい。
だからアレクシス様のご両親が病気で亡くなってしまい、若くして爵位を継いだときも色々と協力してもらい助かったけれど、反面、彼女の「結婚もしていない若造にこの地は任せられない」という言葉に従い、アレクシス様は急いで結婚せざるを得なかったのだ。
真っ白の波打つ髪を美しく結い上げ、ボウタイのついた華やかだけれどゆったりとした青いドレスを着て、ロッキングチェアで手紙を読んでいたマーガレット様は、いくつもの皺の刻まれた顔をこちらへ向けた。
ご高齢なのに、あるいは、だからこそ、一瞥しただけで心の内を見透かしてしまいそうな視線の持ち主だった。
皺は多いけれど肌には艶があり、お化粧は濃い目で、真っ赤な口紅を引いている。
「あらアレクシス、ようやく来てくれたのね。あなたのことだから、花嫁を後生大事に城の奥に閉じ込めて、わたくしには見せてくれないのだろうと思っていたわ」
「ご冗談を。大伯母様、こちらが私の妻のセラフィナです」
「はじめまして、ステイプルトン夫人。セラフィナと申します。どうぞ、サラとお呼びください」
彼女は目尻の吊り上がった緑色の目でじっくりと私を眺めてから、手紙を置いて、ソファを指した。
「ようこそ、サラ。そこに座って。わたくしのことはマーガレットと呼んでくれて結構よ」
「はい、マーガレット様」
「エルシー、お茶はまだなの?」
私たちがソファに座ると、マーガレット様は侍女を呼んだ。
「奥様、お待たせしました!」
すぐに別の部屋から、エルシーという侍女がお茶のワゴンを運んできた。
十六、七位の元気そうな赤毛の女の子で、てきぱきとお茶の支度をしてくれる。
でも、ちょっとそそっかしいのか、「きゃあ!」と叫んで私の手にお茶をこぼしてしまった。
「サラ!」
アレクシス様が血相を変えて私の手をひったくり、自分のハンカチでさっと拭いてくれる。
「大丈夫か? 火傷してない?」
「だ、大丈夫ですわ」
「ももも、申し訳ございませんっ!!」
「いいのよ。そんなに熱くなかったから」
アレクシス様とエルシーにそれぞれ答えながら、私の頬は段々熱くなってきた。アレクシス様はまだ私の手が火傷していないかしっかりと確認してくれていて、マーガレット様がじっとその様子を見ている。
エルシーが急いでこぼれたお茶を拭いてしまうと、マーガレット様が楽しそうに、赤い唇を弓なりにした。
「仲が良さそうで何よりだこと。アレクシスときたら『氷の伯爵』なんて呼ばれていて、あのままでは一生独身を貫くとでも言い出しかねなかったものね」
「……大伯母様」
アレクシス様が険しい表情を浮かべる。
ぴり、とどこか空気が緊張をはらんだけれど、それに気がつかないエルシーが無邪気に口を挟んだ。
「本当ですね! 伯爵はロージー様以外の女性は眼中になかったですもの」
その一言で、ぴり、どころか、ガッチガチに空気が強張った。
……ロージー様? 聞いたことがないけれど、どなたかしら……?
「あっ、ロージー様といえば、また体調を崩して寝込んでいらっしゃるそうですよ。心配ですね」
エルシーのその一言を聞くと、アレクシス様は勢いよく立ち上がった。
「……申し訳ありませんが、私は今日はこれで失礼させていただきます。サラ、君はゆっくりしていってくれ」
「えっ? あ……はい」
アレクシス様は風のように去って行った。
しんと静まりかえった部屋に、どこかでカラスの「カァー」という鳴き声が響く。
マーガレット様がため息を吐いた。
「……やれやれ。結婚して少しは落ち着くかと思ったら……」
「相変わらずロージー様に夢中ですね」
マーガレット様がぎろりとエルシーをにらむ。
「エルシー、掃除は終わったのかしら?」
「すぐにやります!」
エルシーはぴゅうと出て行った。
マーガレット様と私だけになった部屋に、気まずい沈黙が訪れる。
礼儀正しく振る舞うのなら、軽い会話でも振って、空気をなごやかにしなければならない。
だけど、私はそれどころではなかった。
頭の中は、会ったことも聞いたこともないロージー様のことでいっぱいだった。
……大伯母さまの侍女ですら、アレクシス様がその方に夢中であることを知っているのだ。
きっと誰もが黙認している、身分の低い恋人なのだろう。
身分違いのために彼女と結婚することはできないから、アレクシス様は仕方なく、私と結婚した。
だから、私との結婚は「白い結婚」だったのだ。
最初からそれはわかっていたはずなのに、目の前が真っ暗に閉ざされたような気分になる。
「ねえサラ、さっきアレクシスが持っていたハンカチだけれど、あのイニシャルの刺繍はあなたがしたの?」
ふいにマーガレット様にそう尋ねられ、私は力なくほほえんだ。
「……はい。私が刺繍して、アレクシス様に差し上げたものです」
昨日の夜、私はさっそく裁縫室に籠って刺繍を始めた。
棚の中にあった男物のハンカチに、手始めに「A」のイニシャルを刺繍してみた。なかなか良い出来栄えだったから、それを今朝アレクシス様にお見せしたら、「私にくれるの?」と聞かれたので差し上げた。
もちろん「A」はアレクシス様のイニシャルのつもりだったけれど、押しつけがましいかと思って、自分からそうとは言えなかったのだ。
それをもらってくれて、しかもすぐに使ってくれて、嬉しかった。
……それも単に、彼の礼儀正しさだったのだろうけど……。
また塞ぎかけた私に、マーガレット様が言った。
「刺繍が好きなのね? 他にも、あなたが刺繍した物はあるかしら?」
「はい。このハンカチもそうです」
四隅にラベンダーを刺繍した私のハンカチを取り出すと、マーガレット様は手に取り、じっくりと真剣に眺めた。
その緑色の瞳が、きらりと光る。
「……まあまあ……あらあら。本当に上手なのねえ」
「ありがとうございます。マーガレット様も刺繍がお好きですか?」
「わたくし? わたくしは、刺繍よりも別の手作業が好きね。お鍋でコトコト煮たりだとか」
「お鍋……ジャムをお作りになるのですか?」
「おほほ。まあ、そんなところかしら。ねえサラ、今度、わたくしにも刺繍をしたハンカチをくださらない?」
「はい、もちろんです」
カラスが再び「カァー」と鳴いた。
屋根の上にでも止まっているのだろうか。
お茶を飲みながらマーガレット様とお喋りしていると、ささくれだった心は少しずつ落ち着いてきた。
だけど、お茶会が終わって城に戻っても、夕食の時間になっても、アレクシス様の姿は無く。
その日はとうとう、アレクシス様は城に帰ってこなかった。