〈書籍3巻発売記念SS〉思い出の場所
私の夫のアレクシス・ミドルトンは、ここシアフィールドの地を治める伯爵として、きわめて多忙な生活を送っている。
そんなアレクシス様がある日、夕食の席で私に言った。
「サラ、私は明日、休みを取っているんだが……」
私は驚いて食事の手を止め、彼を見た。
毎日、早朝は剣の鍛錬、そのあとは夜まで領主運営の諸々の仕事で忙しいアレクシス様が丸一日休みを取るなんて、とても珍しいことだった。
いつも涼しい顔で仕事をこなしているけれど、やはり疲れが溜まっているのかしら?
だったら、思う存分リフレッシュしていただきたい。
それに、遅ればせながら結婚式を挙げることが決まり、この頃の私は伯爵夫人としての仕事をするとき以外は一日中ウェディングドレスへの刺繍に明け暮れていたので、同じ城にいるのにアレクシス様と顔を合わせることも少なかった。
せっかくの休日を、彼と一緒に過ごせたらうれしい。
私は笑顔で言った。
「では、ロージーと三人で山登りにでも行きませんか? フレデリック様のお城へ遊びに行くのもいいですね」
「……それも悪くないが……」
アレクシス様は微妙な表情を浮かべた。
あまり乗り気ではなさそうだ。
もしかして、一人でゆっくり過ごしたいのかしら?
ちょっと寂しいけれど、それならば一人でそっとしておいて差しあげよう、と思い口を開きかけると。
彼は手を伸ばし、私の髪を一房つまんだ。
そして甘えるように囁いた。
「明日は、君をひとりじめしたいな」
美しい伯爵様からの突然の誘い文句に、私は真っ赤になって固まった。
✧✧✧
翌日、アレクシス様と私は歩きやすい格好をして、城の正面玄関を出た。
彼は「君に付き合ってほしい場所がある」と言っていた。
行き先は、敷地内の森の中。
見送りをする執事のジョンソンは、アレクシス様から「森へ行く」と告げられると、一瞬目を見開き、それから「さようでございますか」と温かなほほえみを浮かべた。
私たちは森の小径を歩いた。
薄暗い木立の中の道を、アレクシス様のあとに続いて進む。
彼は口数が少なかった。
一体どこへ向かっているのだろうと不思議に思いながら歩いていると、急に視界が開けた。
木々の中にぽっかりと小さな平地が広がり、そこに、木漏れ日を浴びて古いガゼボが建っていた。
つるバラが柱に絡みつき、白い花を咲かせている。
その周りを、小さな蝶たちがひらひらと舞っている。
階段や床には落ち葉がいくらか積もっていたけれど、たまに庭師が手入れをしているのか荒れた感じはせず、むしろ時の流れが止まっているかのようなひそやかな美しさがあった。
「素敵な場所ですね」
「……ああ」
硬い声だった。
アレクシス様を見上げると、どこか沈んだ面持ちをしている。
彼はこちらを見ると、安心させるようにかすかにほほえみ、私の手を取ってガゼボの中のベンチに並んで座った。
膝のあいだで両手を組んだアレクシス様は、少しうつむき加減で呟いた。
「ここは、私の両親が好きだった場所なんだ」
私はハッとした。
今まで彼が両親について私に話したことは、ほとんどない。
先代の伯爵夫妻、フィル様とアイリス様。
愛する両親を失った心の傷は、きっとまだ癒えていないのだろう。
今も横顔が苦しそうだ。
私はそっと、彼の背中に手を当てた。
しばらくすると、アレクシス様は静かな声で話しだした。
「私の父と母は従姉弟同士だった。母の方が一つ年上で、悪戯好きの明るい人だった。穏やかな性分の父は、いつも母に振り回されていた」
「まあ。私もお二人にお会いしたかったです」
想像すると、自然に笑みがこぼれた。
北の塔で見た肖像画の二人を思い出す。
たぶん、目に入るたびに、失ったことをまざまざと突きつけられてしまうから。
その肖像画は、北の塔にひっそりと飾られている。
それだけアレクシス様は両親を愛していたということだ。
本当にお会いできたらどんなによかっただろう。
けれど、亡くなった人たちには、二度と会うことはできない。
アレクシス様は、誰よりもそのことをよく知っている。
「両親も、きっと君を気に入っただろうな。楽しいことが好きな人たちだった。ここへは、両親がよくピクニックに連れてきてくれたんだ。母がロージーの手を引いて、父と私が昼食の入ったバスケットを持って」
「はい」
その情景がありありと目に浮かんだ。
よく晴れた休日、森の小径を通って、仲のいい家族四人でピクニックへ。
つるバラが咲くこの柱にも、色褪せたベンチにも、周囲の木々にも、どこかにまだフィル様とアイリス様の気配が残っているような気さえする。
アレクシス様がこちらを向いた。
腕を伸ばし、私を強く抱きしめる。
彼は私の肩に顔を埋めたまま言った。
「……ありがとう。君がいるから、またここへ来ることができた」
その言葉に胸を突かれた。
私は彼の背中に腕を回して、ぎゅっと抱き返した。
そして、心から言った。
「どこへでもご一緒いたします、アレクシス様」
いつか、あの塔にあるフィル様とアイリス様の肖像画を、城へ戻せる日が来るといい。
そのときにはアレクシス様が心穏やかにその肖像画と向き合えるように、いつも私がそばで支えたいと願った。
優しい彼が、もうこれ以上悲しむことのないように。
お読みいただきありがとうございました!
最終巻となる書籍3巻は本日発売です。





