17.白い結婚の、その先に【side アレクシス】
初めて彼女に会ったのは、去年の園遊会だった。
普段はシアフィールドで領地の管理運営をしているため、人の多い王都の、しかも王宮で開催される華やかな園遊会へ出席するのは気が滅入った。
しかも、そのような催しへ参加すれば、必ずと言っていいほど四方八方から女性が寄ってくるのだ。
自分の身分や外見が、不動産物件のように勝手に品定めされ、見も知らぬ女性たちから先を争うように言い寄られるのは我慢がならなかった。
ミドルトン家が魔女に呪われた一族だと知れば、彼女たちの誰一人、私に近付こうともしないだろうに。
不機嫌な態度で女性を突っぱねていたら、いつの間にか「氷の伯爵」などという呼び名を与えられていたようだが、どうでもいい。
私は貴族の義務を果たすため心を無にして園遊会をやり過ごし、「淑女修行としてどうしても王宮の園遊会に行きたいですわ!」とごねてついてきた妹のロージーを連れ、一刻も早くシアフィールドへ戻ることだけを考えていた。
ところが、ふと目を離した隙に、ロージーを見失ってしまった。
私は着飾った人々のあいだを縫って、必死に妹を探した。
両親を失い、他に血縁と言えば気難しい大伯母しかいない私にとって、妹のロージーは何より大切な家族だった。
王宮という場所は一見華やかだが、一皮めくれば貴族という魑魅魍魎の巣窟だ。
そんな場所で大事な妹を一人にしてしまった自分を責めながら、私は園遊会の会場である王宮の広大な庭を駆けずり回った。
「あっ、お兄さま!」
妹を見つけたのは、会場の一番端の、ここから先は王宮の森という寂しい場所だった。
「ロージー! なぜこんなところにいるんだ!」
安心したせいか、つい咎めるような声を出してしまう。
一緒にいた若い女性が、ロージーをかばうように前に出た。
「あの、すみません。このお嬢様が迷子のようだったので、一緒にお連れの方を探していたのです。そしたら……」
「お兄さま、このお姉さまは悪くないのです。ただ、わたくしと一緒にお兄さまを探してくださっただけですわ。けれど、この森の近くまで来たらリスを見かけたので、かわいくてついこんなところまで追いかけてしまったのです。悪いのはわたくしですわ!」
「いえ、私が悪いのです。初めて本物のリスを見たので、つい刺繍の図案にしたいと一緒に追いかけて……あ、な、なんでもありません。とにかく、大事なお嬢様を探させてしまい、申し訳ありませんでした」
「違うんですのよ、お兄さま。わたくしの方が……」
「……わかった。もういい」
交互に謝られてすっかり毒気が抜けてしまった。
私は軽く息を吐き、栗色の髪に薄緑色の目をした女性に向き直った。
こんな場所までロージーに付き添ってくれただけあって、優しそうな令嬢だ。
「妹を保護してくださったことを感謝します。私は……」
名乗ろうとしたときに、一人の男が駆け寄ってきた。
栗色の髪の令嬢が、パッと頬を染める。
「おーい、セラフィナ! こんなところにいたのか。やっと見つけたよ」
「コンラッド様!」
途端に、彼女の薄緑色の瞳に宿った輝きを見ると。
私はなぜか、面白くないと感じた。
馴れ馴れしく彼女に近づき腰に手を回した男が、ついさきほど、会場で別の女性を親しげに口説いていたデクスター子爵令息だと気づいたので、よけいに苛立つ。「奇跡の騎士」などと呼ばれているが、彼は女たらしということでも有名だった。
彼はこちらへ会釈だけして、さっさと園遊会へ戻ろうとした。
栗色の髪の令嬢が、私たちの方へくるりと振り向く。
その一瞬、彼女は私を振り返ったのだと自惚れた。
けれど違った。
彼女は私の隣のロージーを振り返り、温かなほほえみを浮かべて、手を振ったのだ。
そのあとで、私にも小さく会釈をした。
いつまでも手を振るロージーの横で、自分でも形容のできない感情を抱きながら、私は彼女の後ろ姿を見送った。
✧✧✧
大伯母から、王都で花嫁を見つけて連れ帰ってこい、との厳命を受けたのは、ロージーが病を発症して数ヵ月後のことだった。
妹が不治の病にかかったというのに何の冗談だ、と最初は反発した。
だが、落ち着いて考えれば、それはロージーに「姉」という新しい家族を作ってやれる、最後のチャンスでもあった。
母親を早くに失ったせいか、ロージーは幼い頃から、淑女というものに強い憧れを抱いていた。
優しく気品のある芯の強い女性。
そんな淑女を新しい家族として連れてきたら、弱ったロージーの心にも光を灯せるかもしれない。
もしもその淑女が、「白い結婚」を承諾してくれればの話だが。
そのとき私の脳裏に浮かんだ女性は、園遊会で一度会っただけのセラフィナ・アーチボルド子爵令嬢、ただ一人だった。
あのときの出会いはなぜか鮮烈に私の記憶に残っていた。
王都へ行けば、彼女にも会えるだろうか。
デクスター子爵令息と婚約しているようだが、貴族の約束などあてにならないし、あの男の軽薄そうな様子ならなおさらだ。
けれどまさかセラフィナ嬢もロージーも、園遊会での出来事をすっかり忘れているとは、そのときは思いもしなかったが。
✧✧✧
契約を承諾し、私の妻となったセラフィナ―――サラは、春風のように優しく可憐な女性だった。
王都育ちの彼女だが、片田舎であるシアフィールドへの道中も文句ひとつ言わず、逆に「次々に違う景色が見られて、とても楽しいですわ」と喜んでくれた。
慣れない馬車旅で疲れているだろうに、健気にも早起きをして、鍛錬を終えた私にレモン水の差し入れまでしてくれた。
城に着くと早々に執事のジョンソンから城の切り盛りを教わり、その熱心さにはジョンソンも舌を巻いていた。
気難しい大伯母にまで、いつの間にか気に入られていた。サラがいびられるかもしれないという心配は、杞憂だったようだ。
そして、サラはロージーともすぐに仲良くなった。憧れの淑女が義姉になったなら喜ぶだろう、などという私の打算を超えて、ロージーがみるみる元気になっていった様子は、にわかには信じられない程だった。
臥せっているロージーのためにと、寝る間も惜しんで服を作り刺繍をする彼女の姿は、私にはまるで聖母のように見えた。
けれど、気高く優しい心を持つ彼女は、同時にたいへん愛らしくもあり。
サラが私の朝帰りを誤解して、夜も眠れなかったと知った日は、妻のあまりのかわいらしさに、私は即座に「白い結婚」の契約書を破り捨てたくなった。
彼女が真実、自分の妻であったなら、どんなにいいだろう。
だが、わが一族には消すことのできない呪いがかかっているのだ。
たとえ私が病を発症しなくても、子が、孫が、どこかで必ず発症する。
彼女にまでそんな運命を背負わせるわけにはいかない。
魔物出現の通知を受け、戦地へ赴くと告げたら。
サラは、昨年の園遊会で彼女の輝く瞳に映っていたあの元婚約者のことよりも、私のことを心配してくれて。
私のために作ったという、ミドルトン家の四つの百合の紋章が刺繍された美しいサッシュを差し出してくれた。
そのとき、心に決めた。
呪いのせいでサラと本当の夫婦になることはできなくとも、せめてこの命あるかぎり、彼女を守り抜こうと。
ところが、サラは《守護》の魔法によって、一族の呪いさえも解いてしまった。
守られているのは、もしかしたら私の方なのかもしれない。
✧✧✧
収穫祭の翌日。
初めて、サラと共に朝を迎えた。
……慣れない酒に酔ったサラを介抱したまま、私も眠ってしまっただけなのだが。
「大変、申し訳ありませんでした……!」
白い朝日の差す私のベッドの上で。
昨日のドレス姿のまま目覚めたサラは、開口一番、蒼白な顔をして謝った。
私は苦笑しながら、厨房からもらってきた冷たいレモン水を彼女に差し出した。
「謝る必要はないよ。収穫祭の疲れもあったのだろうし。ほら、これを飲んで」
「あ……ありがとう……ございます」
慚愧に堪えないといった顔をしながら、サラは素直にレモン水を飲んだ。
それで、少しは気分がましになったようだ。
「……おいしいです」
「よかった。体調は大丈夫?」
「はい…………あの、ごめんなさい。わ、私……アレクシス様のベッドで、図々しくも眠ってしまって…………」
「なぜ? 夫婦なのだから、同じベッドで眠ってもおかしくないだろう?」
「……っ!」
白かった顔が、途端に赤く染まる。
私の「氷の伯爵夫人」は、今日も感情豊かでかわいらしい。
もっと近くで眺めたくなり、私はサラのそばに座り、顔を寄せた。
「こんなに広いベッドなのだから、君の場所は十分にあるよ。今日からはここで一緒に眠る?」
「ア、アレクシス、様……」
燃えるように真っ赤な顔で戸惑う彼女に、少々やり過ぎたかと反省する。
彼女と気持ちが通じ合って以降も、相変わらず夫婦の寝室は別々だった。私としては当然同じ寝室が良いのだが、あまり強引に事を運び、恥ずかしがり屋のサラに嫌われたくはない。
「そろそろ朝食にしようか」と話を変え、立ち上がりかけたとき。
くいっ、と何かに引っ張られた。
見ると、サラが決死の表情で、私のシャツの袖をつまんでいる。
「……サラ?」
「…………ほ、本当に、…………いいのですか?」
「何が?」
「………………夜も、アレクシス様のおそばにいても…………」
気がついたら、私はサラを抱きしめていた。
嫌われたくないとか今はまだ朝だとか、そうした理屈はすべて吹き飛び、ただ、彼女が愛おしい。
栗色の髪からのぞく耳に、口づけするように答える。
「もちろんだ、サラ……愛している」
「アレクシス様……私も、愛しています……」
見つめ合い、唇が重なり合う、その直前に。
強めのノックが響き渡った。
扉の向こうから、ジョンソンの控えめだが切羽詰まった声が告げる。
「おはようございます、ご主人様、奥様。マーガレット様が急ぎの用件があるとのことでご来訪されておりますが、いかがいたしましょう」
私はサラと顔を見合わせ。
それからジョンソンに答えた。
「……わかった。着替えたらすぐに行く」
「かしこまりました」
サラがそそくさとベッドから降りた。
「急いで着替えて参りますね」
「待って、サラ」
続き部屋へ向かおうとしたところを呼び止め、振り向いた彼女に。
小鳥がついばむような軽い口づけをした。
ゆっくりと顔を離す。
サラは、頬を上気させ、目を見開いて。
それから、とても幸せそうにほほえんだ。
その表情を見ると、私の胸も幸せで満たされた。
愛する妻に、しばしの別れを告げる。
「では、後で」
「はい。また後で」
そして、今日も慌ただしい一日が始まる。
「白い結婚」の先に掴んだこの日々は、きっと、物語になるような特別なものではなく、ごくありふれた夫婦の日常なのだろう。
けれど、サラの何気ない笑顔こそ、私が心から守りたいと願うものだから。
だからどうか、いつまでも、私の隣で笑っていてほしい。
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