13.理不尽な要求
アレクシス様への挨拶もそこそこに、妹は私と二人きりでの対面を希望した。
だから今、私はミリアムと向かい合い、応接間の椅子に腰を下ろしている。
せっかくのお茶会を途中で切り上げることになってしまい、アレクシス様とロージーには申し訳なかった。
ロージーは「気にしないでくださいまし、サラお姉さま。今度はわたくしがお茶会にお呼びしますわね!」と笑顔で言ってくれて、侍女と共に馬車で帰宅した。
アレクシス様も気遣わしげに「隣の部屋にいるから、何かあったら呼んでくれ」と言ってくださった。
その気持ちが嬉しくて、ミリアムが突然来訪したことに対する不安も、いくぶんやわらいだ。
けれど、ここはアレクシス様の居城だ。
それなのにミリアムは突然約束もなく現れて、彼抜きで話をしたいという失礼な要求をした。
よほど差し迫った用件なのかもしれないという心配と、今は子爵令息夫人となった彼女が、この先これでやっていけるのかという不安を抱えながら、私はミリアムと相対した。
「ミリアム……久しぶりね。コンラッド様のお怪我の具合は……?」
返ってきたのは、実家でよく聞いていたあの怒鳴り声だった。
「お怪我の具合は、ですって? よくそんなセリフが言えたものね! 『奇跡の騎士』と呼ばれていたコンラッドが初めて怪我をしたのよ? それも、右ひじを骨折するなんていう大怪我を!」
「骨折……」
胸がズキンと痛む。
コンラッド様の利き腕は右手だ。
右ひじを骨折してしまったのなら、戦線離脱も当然だろう。
それどころか、治り具合によっては、今後の騎士生命にかかわるかもしれない……。
ミリアムは立ち上がり、腕組みをして私を見下ろした。
「……何よ、そのわざとらしい憐みの表情は。どうせお姉様がやったことなのでしょう? ねえ、お姉様はあのスカーフに何をしたの? 捨てたら病気になる呪いでもかけたの!?」
「そ、そんなことしてないわ!」
「嘘よ! だって今、王都ではお姉様の刺繍があんなにちやほやされて! 家に置いたり身に着けていると魔除けになるって、王都の人はこぞってお姉様の作品を買い求めようとしてるのよ! どうしてそんな能力を今まで隠してたの? どうせ一人でいい思いをしようとしてるんでしょう!?」
「な……何を言ってるの? 本当に知らないわ……」
私は呆然と妹の言葉を聞いていた。
王都で、私の刺繍作品が人気?
そんな話、王都に住んでいた頃はまったく聞かなかったのに。
けれど、シアフィールドの領民が私の小物を欲しがってくれているという話は、最近よく聞く。
……もしかして、本当に私が刺繍した作品には、何か特別な力が宿ったりするのかしら……?
…………いいえ、まさか。
私には魔力がない。そんなこと、あるはずがないわ。
黙りこんだ私を、ミリアムは憎々しげににらみつけた。
「あくまでしらばっくれる気ね? それならせめて、コンラッドのスカーフを返してよ。お姉様のことだから、まだ大事に持っているんでしょう?」
その言葉を聞くと、私は信じられない思いで妹を見つめた。
コンラッド様に婚約を解消され、刺繍入りのスカーフを投げ返された日のことは、忘れもしない。
ミリアムもそれを目の前で見ていたはずだ。
そのスカーフを、アレクシス様と結婚した私が、どうして大事に持っていると思うのだろう。
「……あのスカーフなら、ここへ来る前に、実家の暖炉で燃やしてしまったわ」
「な……ひどいわっ! 勝手に呪いをかけておいて、どういうつもりよ!?」
「だから、私は呪いなんてかけていないと……」
ミリアムは、ドン! と足を踏み鳴らした。
私はビクッと肩を震わせる。
実家でも、ミリアムはかんしゃくを起こすと、すぐに私に手を出していた。
だけど、最終的に謝ることになるのは、いつも私の方だった。
あの頃と同じように、恐怖と諦めが、同時に体の底から湧き上がってくる。
「うるさい! お姉様のくせに、なぜ私に口答えするのよ!? 燃やしてしまったのなら、責任を取って早く新しいものを作って!」
「……ねえ、ミリアム。大切な方のために刺繍をするのは、コンラッド様の妻であるあなたの役目よ? 一針一針、想いを込めて縫えば……」
「やめてよ! どうしてこの私がそんなことをしなきゃいけないの? そんなの、『お針子令嬢』のお姉様の仕事じゃない! 私にやらせようとするなんて、おかしいわよ!!」
どうしても話がかみ合わない。
思考が停止して「ごめんなさい」という言葉が口から出そうになり、寸前で思いとどまる。
今の私はアレクシス様の妻だ。
軽はずみな謝罪は口にできない。
私は立ち上がり、怯えていることを精一杯隠して、ミリアムに告げた。
「ミリアム……残念だけれど、私にはこれ以上何もできないわ。もう……帰ってもらえるかしら?」
「……『氷の伯爵』に嫁いだから、お姉様まで氷のように冷たくなったってわけ? あははっ、お姉様のくせに笑わせないでよ。伯爵だって、あんたの刺繍の力が欲しかっただけに決まってるじゃない!」
想像もしていなかったことを言われて、私は凍りついた。
アレクシス様は、私の刺繍の力が欲しかった?
……だから私と結婚したの?
そのとき、強めのノックの音がして、返事を待たずに扉が開いた。
大股で中に入ってきたのは、当のアレクシス様だった。
思わず、全身がすくみ上がる。
アレクシス様は、まさに「氷の伯爵」そのものといった、恐ろしいほど冷ややかな表情を浮かべていたからだ。
あの頃のように、怒られるのは私の方だと、反射的に思って体が強張る。
―――けれど、彼はかばうように私の前に立つと、凍てつくような声音でミリアムに告げた。
「失礼。妻が疲れているようですので、そろそろお引き取り願います。馬車は既に外で待っていますので、お急ぎを」
ミリアムの派手なコートを半ば強引に手渡し、玄関の方向を手で示す。
そんな扱いに慣れていないミリアムは、アレクシス様の迫力に押されながらも、赤面して叫んだ。
「……は? 本当に失礼ね! 田舎の城はお客のもてなし方も知らないのかしら!?」
「おや、私が冷酷な『氷の伯爵』と呼ばれているのをご存知なかったとでも? それに事前の約束もなく押しかけ、私の妻に理不尽な要求をつきつける人間など、客でもなんでもない。迷惑なので金輪際この城には立ち入らないでいただきたい」
ミリアムは顔をさらに赤くし、「言われなくてもこんな最低な場所、もう来ないわ!」と言い捨てて、足音も荒く応接間を出て行った。
しん、と静まった部屋で、アレクシス様が私に近づき、声をかけた。
「サラ、大丈夫?」
「…………はい……ありがとうございます、アレクシス様……ご迷惑をおかけして、申し訳ありません……」
「妻を助けることは迷惑ではないよ」
さっきとは打って変わり、優しい声でそう言ってくれる。
だけど、私はその顔を見ることができなかった。
察したように、アレクシス様が私の頭をなでる。
「彼女は私のことなど何も知らない。そんな人の言う言葉を、信じないでほしい」
心臓が、ドクンと弾んだ。
『彼だって、あんたの刺繍の力が欲しかっただけに決まってるじゃない!』
そう言ったミリアムの言葉を、彼は否定しているのだ。
一瞬でも、そうかもしれないと思ってしまった自分が恥ずかしかった。
彼を見上げ、力なく呟く。
「……アレクシス様は『氷の伯爵』ではないですね。こんなにお優しいもの」
アレクシス様が悪戯っぽく笑う。
「さあ、それは相手によるかな。ところで君は『氷の伯爵夫人』と呼ばれることについてどう思う? 戦場で何度か、君がそう呼ばれているのを耳にしたんだが」
「……まあ……! とても光栄ですわ!」
驚きの後に、思わず笑顔がこぼれる。
自分がそんな名前で呼ばれているなんて初めて知ったけれど、私にはもったいないくらいの素敵な呼び名だ。
何より嬉しいのは、アレクシス様とおそろいな所だ。
アレクシス様は、笑顔になった私を見ると、どこか躊躇いがちに腕を伸ばして。
私を抱きしめた。
たちまち全身が熱くほてり、心臓がばくばくと動き出す。
彼の大きな手が、いたわるように私の頭を撫でてくれて。
ミリアムと会って感じた動揺も、悲しみも、恐怖も、少しずつ消えて、安心と心地良さに変わっていって。
ずっとこのまま、この腕の中にいたいと願った。