10.留守の間に1
アレクシス様が留守の間、私は毎日ロージーのお見舞いに行った。
あの病気は治ることはない、とアレクシス様は言っていたけれど、ロージーは、日に日に元気になっているように見えた。
「サラお姉さまのおかげです! サラお姉さまの刺繍が入った小物は魔除けになる、それを持っているとケガや病気をしないと、領民のあいだで今、大変な評判になってますのよ」
ベッドではなく椅子に座り、寝間着ではなく私の作ったゆったりとした綿のドレスを着たロージーが、興奮気味に言った。
ちなみにそのドレスの裾にも、ぐるりと四つ葉の刺繍が施してある。
アレクシス様が魔物討伐へ出発されてから、私は気がつくと彼のことを考えていた。
今頃はどのあたりにいるのかしら、「氷の伯爵」なんて呼ばれているけれど部隊の人たちとは仲良くできているのかしら、まだシルバーウルフやオーガには遭遇してないかしら、危険な目には遭っていないかしら……と。
あまりにもいつも上の空なので、ジョンソンに心配される始末だった。
これではいけないと、アレクシス様のいない寂しさを紛らすため、私は手の空いた時間はひたすら刺繍をすることにした。
気がついたら山のように積み上がっていたハンカチやクッションや巾着やタペストリーといったこまごました物の置き場に困り、マーガレット様に相談したら「慈善バザーに出せばいいじゃない」と、てきぱきと担当者に話をつけて売り場を確保してくださった。
そしたら、バザーで私の作品を買ってくれた領民たちのあいだに、いつの間にか「魔除けの効果がある」などという評判が広まってしまったらしい。魔力のない私に、魔除けの力なんてあるわけがないのだけれど。
なんだか昔の二の舞になりそうで不安だった。「お針子令嬢」なんて呼ばれはじめたのは、あのときも慈善バザーがきっかけだった。もしシアフィールドでも「お針子夫人」みたいに呼ばれてしまったら、まがりなりにも伯爵夫人なのに、恥ずかしくてアレクシス様に申し訳が立たない……。
そんなわけで、ロージーに尊敬の目で見つめられた私は、慌てて否定した。
「そ、そんな大層なものではないわ。私に魔力はないし……でも、ロージーが起きられるようになって、本当によかったわ」
「はい、なんだか最近とっても調子がいいんです。もしかしたらもう、病気が治ってしまったのかもしれませんわ」
確かに、初めて会ったときにはげっそりとこけていたロージーの頬には柔らかさが戻り、顔色も良くなっているように見えた。
だけどまだ手足は鳥のように細く、はしゃぎ過ぎると咳き込んでしまう。
私は眉を下げて笑った。
「まだ無理をしては駄目よ、ロージー。体が弱っているのだから、少しずつ回復していかないと。まずは、健康にいい食事をしっかりと取りましょうね」
「むー……わかりましたわ、サラお姉さま」
元々食が細く、病気になってからは余計にまともな食事をとれなくなっていたロージーだったけれど、ベッドから起き上がれるようになってからは、がんばって野菜や肉を食べるようになった。
近所で農家を営んでいるベンやバーナードたちが、よくロージーのためにと採れたての野菜を差し入れてくれることもあり、この別荘の料理はとてもおいしい。アレクシス様が魔物討伐のため留守中なので、私もたまにここで、ロージーと共に昼食や夕食をいただいているのだ。
「その調子よ、ロージー!」
食事をとる彼女の横で励ましながら、この調子なら本当に病気が治るかもしれないと、私は期待に胸をふくらませた。
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城に戻ると、ジョンソンがにこにこして出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、奥様」
「ただいま、ジョンソン。そんなに嬉しそうな顔をして、何かいいことでもあったの?」
つられて笑顔になってそう尋ねると、彼は私のコートを受け取りながら、自分の黒ネクタイを指さした。
先日、色々と親切にこの城のことを教えてもらったお礼にと、私が作ってプレゼントしたネクタイだ。執事のネクタイは華美でないものが好まれるけれど、仕事熱心なジョンソンには、主家であるミドルトン家の紋章の四つの百合を、黒い生地に暗めの銀糸で刺繍して贈ったのだ。彼はとても喜んでくれた。
「はい。先日、奥様からいただいたこのネクタイを身に着けるようになってからというもの、不思議と肩こりが軽くなりまして……やはり、あの噂通り、奥様の刺繍には魔除けの力があるのでしょうね」
「まあ、あなたまで……そんな力があるはずないのに。だって、私はちっとも魔力を持っていないんだもの」
「そうでしょうか? どうも私には、そのようには思えないのですが……」
「きっと気のせいよ」
私は笑って受け流した。
ジョンソンはアレクシス様の忠実な執事だ。だから、アレクシス様の妻である私にも、いつも敬愛の念を持って接してくれる。その贔屓目が高じて、そんな風に感じてくれるのだろう。
ジョンソンは恭しくお辞儀をした。
「さようでございますか。ですが、領民のあいだでかなりの人気であることは間違いありません。早くも、次の慈善バザーでの出品を狙っている者が数多くいるそうです。争奪戦になるのは間違いないでしょうね」
「まあ……本当に? それなら、もっともっとたくさん出品しないといけないわね」
「いえ、それは……奥様には、少しはお休みしていただかなければ。旦那様が出征されてから、ずっと働きづめではありませんか」
ジョンソンが慌てて釘を刺す。
「平気よ。刺繍をしていた方が気が紛れるし」
「ですが、もし奥様がお体を壊されたら、私が旦那様に叱られてしまいます」
「まあ、ジョンソンったら冗談ばっかり。あのお優しいアレクシス様が、私のことなんかであなたを叱るわけないじゃない。とにかく、私なら大丈夫よ」
ジョンソンにほほえみ、私は裁縫室へ向かった。
後ろから、「……叱られる程度で済めばいいけどな……」という嘆息が聞こえた気がしたけれど、気のせいだろう。