01.プロローグ
「セラフィナ、君との婚約を解消したい」
王都にある王立公園の銀杏並木は、散歩を楽しむ人たちで賑わっていた。腕を組んで歩く幸せそうな恋人同士も多い。
婚約者のコンラッド様と私も、そんな風に並木道を腕を組んで歩いていた……彼が、突然足を止め、私の手を振り払い、そのセリフを告げるまでは。
私は一瞬、何を言われたかわからなかった。
だけど、じわじわと頭がそれを理解していくと共に、すうっと体が冷えていった。
「……ど、どういうことでしょうか? 何か、私に婚約者としての落ち度でも……」
「いや、そういう訳じゃないんだ」
「では、なぜ……」
「……それは……」
コンラッド様は言いにくそうに言葉を濁す。
子爵家の令嬢である私、セラフィナ・アーチボルドと、同じく子爵家の令息であるコンラッド・デクスター様とは、家同士の取り決めにより、二年前から婚約をしている。
コンラッド様は金髪碧眼の華やかな美男子で、貴族男性は全員加入が義務付けられている騎士団においても武勇の誉れが高い。
魔物の跋扈する戦場へ行っても、ほぼ毎回かすり傷一つ負わずに帰還してくるので「奇跡の騎士」と呼ばれている。
敏捷で気性の荒い魔物を相手に戦い無傷で済ませることは、本当に奇跡のようなことなのだ。
それほど優秀な騎士なのに、彼は男女問わず人当たりも良く、王都の貴族令嬢たちにも人気が高い。
一方私は、生まれたときは金髪だったけれど、十歳頃から段々とくすんだ栗色の髪になり、瞳はぼんやりとした薄緑色、性格も何事にも控えめで、令嬢達の中でもかなり目立たないタイプだ。
けれどもコンラッド様は最初の顔合わせのときから私に優しくしてくださって、たまに会うときにはいつも素敵な贈り物をくださり、楽しい会話で私を笑わせてくださった。
婚約期間中、学業や騎士団の任務で忙しいコンラッド様と会う機会は少なかったけれど、気がついたら、私は彼に恋をしていた。
今、彼は十九で、私は十八。
この冬には結婚式を挙げる。
そんな結婚直前での、まさに青天の霹靂だった。
貴族なので当然二人だけの問題などではなく、両家の関係や責任の所在も絡んでくる。
私は長女としての責務を思い出し、涙をこらえて質問を重ねた。
「コンラッド様……理由を、教えていただけませんか?」
「セラフィナ……」
「教えてあげればいいじゃない!」
聞き覚えのある声がして、私のよく知った顔が現れた。
その人は当然のようにコンラッド様の横に立ち、彼の腕に自分の腕を絡める。
私の全身から血の気が引いた。
「ごきげんよう、お姉様」
勝ち誇ったように笑いかけてきたのは、私の一つ下の妹、ミリアム・アーチボルド。
ミリアムは金髪に鮮やかな緑の瞳、舞台女優のような整った容姿をしていて、コンラッド様と並ぶと、誰もが振り向くような美男美女だ。
コンラッド様が甘い苦笑をミリアムに向ける。
「……ミリアム、向こうで大人しく待ってろって言っただろう?」
「だって、コンラッドが遅いんだもの。待ちくたびれちゃったわ」
「ごめん。やっぱり彼女がかわいそうでさ」
「コンラッドは優し過ぎるのよ。こういうことはビシッと言った方が、後腐れがないものよ?」
「そっか……」
ミリアムの言葉に納得したように、コンラッド様は私に向き直った。
そして、少しも悪びれずに言った。
「そういうことだからさ、わかってくれるだろう? セラフィナは優しいもんな?」
「そうよ、お姉様もきっと祝福してくれるわ。ねえ、お姉様、コンラッドと私は結婚するの。私の方が魔力もずっと上だし、彼ともお似合いだって、お父様とお母様も、彼のご両親も喜んでくださっているのよ」
「……え?」
その言葉は、私のわずかな自尊心を粉々に打ち砕いた。
両親は昔から私には長女として厳しく接し、ミリアムにはお姫様扱いをしてさんざん甘やかしていたから、私の婚約者を奪うなんていう非常識な行動すら許してしまうのも、まだ諦めがつく。
だけど、何度かお会いしたコンラッド様のご両親は、平凡な私にも優しくて、こんなにいいお嫁さんが来てくれて嬉しい、なんて褒めてくれていたのに……。
当たり前なんだろうけど、やっぱりあの方達も、魔力も容姿も上のミリアムの方がいいんだ。
何よりも、既に双方の両親に話がついているということが信じられなかった。
この二人はいつから私に隠れて会っていたんだろう?
でも、それを問い質すなんて考えられなかった。
魔力も持たず目を引く容姿でもない私が捨てられるのは、どのみち時間の問題だったのだ。
それが今だっただけで。
自分がみじめで、一刻も早くここから立ち去りたくて、声が震えそうになるのをこらえて言った。
「……コンラッド様、婚約の解消を承りました。それでは、私はこれで失礼いたします」
お辞儀をして背を向け、やっと涙をこぼせる……と思ったのも束の間。
「あ、待って!」
コンラッド様に呼ばれ、かすかな期待を込めて振り返ると、ぽいっと無造作に何かを投げられた。
慌ててそれを受け止める。
それは以前私がコンラッド様に差し上げた、刺繍入りのスカーフだった。
「二年前、戦場へ行く前に君にもらったスカーフだ。でも俺には地味過ぎて、コートのポケットに入れたまま忘れてたんだよね。もういらないし、それ、君に返すよ」
「うふふ。『お針子令嬢』のお姉様は背伸びをしてコンラッドと付き合うよりも、一人で刺繍している方がお好きよね? コンラッドに似合うスカーフなら、私が選んであげるわ」
「ああ、頼むよ。じゃあこの先の店で……」
しわくちゃになった青いスカーフに目を落とし、私は動けずにいた。
コンラッド様とミリアムの会話が遠ざかって、完全に聞こえなくなっても、その場に立ち尽くしていた。
どうやって屋敷に帰ったのかは、覚えていない。
その日から私は、屋敷の自室に閉じこもるようになった。
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