助けに来たよと白馬の車掌は言う
物語の始まりは大抵こうである.
悲惨な過去.よくある不幸,
そこからのドンデン返しやシンデレラストーリー.
現代社会がつらいからか
幸せが身近に感じられないからか
近頃の軽く読める小説は絶望やどん底の現状から,希望をつかんで幸せになる話がキャッチーだ.
ジャンルが違えばもちろん違う.ミステリーや推理小説は最近読んでいないが
そういったジャンルだとまた違った傾向が考察できるだろう.
どうだろうか.みんなは今幸せなのだろうか.
比べる対象は結局は身近なもので,かなり遠くの幸せは比較しようという気にならない.
エチオピアの住人の幸せと比べる人はいないし,イギリス人と幸せを比べることもしない.
小説はそのかなり遠くの世界だ.だから共感としてのめりこむこともできれば
仮想噺としてちゃんと思いを馳せることも難しくはない.嫉妬もしない.
だれもが夢想したいシンデレラストーリーは仮想の空想となっている.
白馬の王子様は現れないし,白い雪のような姫も青いサヴァンの幼き子も登場しない.
結局いつものように鉄の塊に運ばれる日々に帰っていく.
鉄の塊に入り,鉄に座り,鉄の塊に向かってカタカタ手を動かし続ける.
男性だろうが女性だろうが関係なく,楽して過ごしたいのだ.
でも,現実は甘えるなと刃をたてる.しょうがない僕たちは今日も鉄の塊に運ばれる.
その色がくすんでみえるのはなぜだろう.
世界が明るいとはいえないが,日の光を遮断した鉄の塊にいつも僕たちは囚われる.
偽物の光だと教え込まれ,それを浴びつつ生きている.
それが本当の白光だとは思えない.
僕には,今もくすんで見える.
今日もその鉄の塊に乗り込む.降りたらすぐに鉄の塊に入って,またカタカタ生きていく.
愚痴ぐらい言わせてくれ.本当の光を見せてほしい.真っ白い光を.仮想なんかではなく.
それを聞いていてた車掌さんは,僕が駅に降りる時微笑んでいた気がした.
そして,僕がいつも乗っているその鉄の塊は
翌日,真っ白い塗装を施されていた.しかも蛍光塗料だ.
そういうことじゃねぇええええ.