17. 撒かれる火種
〈アザークラウン世界線〉と〈NEVERヴァード世界線〉両方の所属であるとても稀有な存在、千時剣聖。
剣聖に相対するのは、〈聖ドラグシャフ世界線〉王代理、ミレート=ランテルである。
剣聖は右手に【剣の刻印魔法】によって生み出した名妖刀、鬼哭啾啾を握り全てを壊滅に導く鬼の殺気を放っていた。
ミレートは懐から分厚い聖書のような物を取り出し、一つのページを開く。
その聖書は禍々しい雰囲気を醸し出しており、神父の格好をしたミレートが持っていると、不気味な感覚に襲われる。
「私は『知識』を司る神父なのです。この意味が分かりますか? 私は全てを知っている。全てを識ることができる。私は全てを知識る術を持っているのです」
「知識というのは使えなければ宝の持ち腐れ。貴様が知識を使いこなせるとは到底思えんがな」
煽る剣聖と対象的にミレートが選んだのは沈黙。
「“天竜”ジグレイドの御心のままに、私は外敵を排除しよう。ヴァルディード善龍信仰全集第七十五章より」
そう言うと、剣聖は為す術もなく吹き飛ばされた。
ミレートがしたことといえば、聖書らしきものをただ読んだだけだ。
「“天竜”ジグレイドの御心のままに、私は外敵を完膚なきまでに駆逐しよう。ヴァルディード善龍信仰全集第八十九章より」
さらに、ミレートが手に持つ聖書を読むだけで剣聖に何度も何度も衝撃が襲う。
「“天竜”ジグレイドの御心のままに、私は外敵を赦し鎖より解放しよう。ヴァルディード善龍信仰全集第二十七章より」
そして、壁に埋もれている剣聖がいるだろう周囲を神々しい光が溢れる。
パタンッと分厚い聖書を閉じたミレートは見守ることしか出来なかった千花たちに言い放つ。
「見ましたでしょう。私の力を。私の前に立ちはだかった彼はヴァルディード様により天に、“龍園”に送られたのです」
──圧倒的
あの剣聖が為す術もなくミレートのいいように吹き飛ばされた。
千花たちにできたことといえば、軽く絶望するだけであった。
「貴女方は私の申し出を断りました。私の意思はヴァルディード様の配下であらせられる四聖神竜の天竜ジグレイド様の意思であるのです。“天竜”ジグレイド様の意志をないがしろにした貴女方には教育が必要なのです。〈聖ドラグシャフ世界線〉に来なさい。たっぷり勉強させてあげましょう」
ミレートの目は勉強するだけには留まらないような危険な光があった。
そして、剣聖ですら勝てなかったミレートに前衛のキャンベラがいない千花たちに勝ち目などない。
しかし、現実はミレートの思い通りにはいかなかった。
一人の鬼人が立ち上がっただけで、空気は凍る。
「いきがるなよ、人間」
息ができないような濃密な殺気、剣圧が溢れ出る。
「貴様の相手はオレだぞ? それとだが、剣士から目を離すなよ。いつ斬られるかわかったものではない。【生成・双】」
足元に鬼哭啾啾を突き刺し、自由になった右手を指揮棒のように軽やかに振るう。
「……!? グガッ………………!?」
それだけでミレートの両足、両肩に刀が突き刺さっていた。
ミレートが痛みで動きが止まった時、剣聖は一瞬で間合いを詰めた。
「真禍極限流【無刀】!」
剣聖が極めし、真禍極限流の【無刀術】。
意識が逸れていたミレートでは躱すに躱せない、一撃と化した。
「……!? “天竜”ジグレイドの御心のままに、私は空間を跳躍しよう。ヴァルディード善龍信仰全集第四十七章より!」
実際、ミレートの判断が少しでも遅れていたら鬼哭啾啾によって、深く袈裟斬りにされていた。
勝負は一瞬で着く、それが剣聖と死合うということだ。
「(ぬぅ…………! 私よりも強いだと……? 認めざるを得ないですね…………目の前の小僧、いや鬼人は私の遥か上にいる。腕で勝てないならば、権力を使えばいい!)」
そう判断したミレートの動きは早かった。
「貴方の強さは分かりました。ですが、これ以上私と争うのはお止めなさい。ですので、貴方を私直々に雇って差し上げましょう。つまらぬ正義感に酔いしれるより、私の元で欲望の限りを尽くしましょう」
ミレートは剣聖を倒すのではない、剣聖を懐柔することに決めた。
元よりミレートは剣聖とは成り行きで争っていただけに過ぎない。
故に、いつ戦闘を切りやめても良かったのだ。
「…………欲望に流されるのも、良いかもしれんな」
「……! 千時先輩…………!」
「ふふ……そうでしょう」
剣聖の言葉はミレートの誘いを肯定するものであった。
「だが、オレは千時剣聖だ。その程度の誘惑には負けん」
完全にミレートの誘いを断る。
剣聖の返答に、ミレートは怒りに震えることとなる。
「……そうですか。貴方に質問した私がバカでした。最後に教えて下さい。何故、貴方はそこの小娘に構うのです? 貴方程の強者であれば、このような小娘を庇う理由にはならないと思いますが」
「確かにな。路傍で見かける者が幾ら侮辱されようが、オレには関係のない事だ。その全てを救おうなど、英雄思考が過ぎる。だがな、目の前で貶されているのはオレの後輩だ……! 理由など存外その程度で充分だ」
剣聖は一寸の迷いもなく、言い切った。
後輩が貶められている。それだけで剣聖が動くには充分であった。
一方、その返答を聞いたミレートは息を吐き、何かに戦慄していた。
「貴方のその思考が既に英雄なのですよ」
そう吐き捨てて、ミレートはしっかりと剣聖と目を合わせる。
下手な号令など必要なかった。
二人は同時に動いていた。
ミレートはヴァルディード善龍信仰全集とやらを構え次の行動に、剣聖は鬼哭啾啾を袈裟斬りの構えでミレートへと突撃して行く。
「“天竜”ジグレイドの御心のままに、私は天からの懲罰を施行する。ヴァルディード善龍信仰全集第四十九章より!」
「【生成・双・基盤・盾】!」
天竜ジグレイドの力を使用するミレートは天罰を利用することが出来る。
だから、天からの罰の雷を落とすことも可能なのだ。
しかし、剣聖は戦闘時には【鬼神眼】を常時発動しているので、どこに天の雷が落とされるかを予測することが出来る。
天の雷が落ちる場所に【生成・双】を使用し、【生成・双】を基盤として【生成・盾】を発動する。
【生成・盾】は六本のロングソードを切っ先を中心に隙間なく円形に並べることで、完成する。
「貴様の敗因はオレをただの剣士だと侮ったことだ」
天の雷を完全に【生成・盾】で防ぎきった剣聖は間合いという概念を捨て、確実にミレートの懐へと潜り込んだ。
「“天竜”ジグレイドの御心のままに、私は私として最大の恩恵を受ける。ヴァルディード善龍信仰全集第一章より!」
剣聖は間合いを詰めた。
だが違う、剣聖に間合いを詰めさせたのだ。
効果的な一撃を与えるのに、最適解は何か。
それはたった一度の至近距離からの一撃。
その一撃を放つために、ミレートが近づく必要性など欠片もない。
剣聖は剣士、向こうから間合いを詰めるために近づいてくるのだから。
「貴方の敗因は私をただの聖職者だと侮ったことです」
ミレートは自分を中心に天の雷の嵐を吹き荒らす。
天の雷の隙間はないに等しく、剣聖が避ければその隙にミレートは新たな御心を発動する。
剣聖が天の雷を避けなかったとしても、そのまま焼かれるだけなのだから。
「ここまでとはな…………まぁいい。相手がオレの予想を超える行動をすることは既に予測済みだ。【生成・改】」
左手に鬼哭啾啾の兄弟刀である鬼哭千秋を【生成】し、二刀流の構えを取る。
「貴様ではオレを超えることは出来ない。オレを超えられるのは天上天下、千時剣聖だけだ!」
【鬼神眼】を完全解放し、雷撃の威力が薄いところを見極める。
「真禍極限流【限・無刀】!」
【無刀術】の極意である身体の回転、手首のスナップ、腕のしなりによる威力の増加、【鬼神眼】による最適確な斬撃、この四つを際限なく使い、永遠と斬撃を繰り出す【限・無刀】。
天の雷は剣聖の進むところだけ、斬り払われた。
雷撃を斬り捨てる、この行為を可能にするのは覇王と化すことの出来る第十四代目豪魔流当主の灰峰凶か、獄氷剣士の絶戒王グラリュード・アテムぐらいだろう。
「天の試練すら、貴方は越えるのですか…………」
それが、ミレート=ランテルの最期の言葉となった。
【限・無刀】の形のまま剣聖はミレートを八つ裂きにした。
「元来より、試練は越えるためにあるものだ。オレの前では尚更な」
剣聖は血に濡れた日本の刀を消す。
元より【剣の刻印魔法】により生み出されたものなので、任意で消すことは可能だ。
しかし、血に埋もれたミレートだけはどうすることも出来ない。
そして、天は新たな試練を剣聖に課した。
「……!? ミレート殿!? 鬼人、一体何をした?」
意識不明の重体を負っていたキャンベラが治療を終え、集中治療室から帰ってきたのだ。
キャンベラの背後には千百合たちの着替えを手伝った、アンフェア直属の秘書であるソフィアもいた。
「………………お忙しいでしょうが、これは王に報告しなければなりませんね」
ソフィアは本当に疲れたような顔をしている。
それもそうだろう。なぜなら、〈NEVERヴァード世界線〉との戦争は不可避だったとしても、今回の剣聖のしたことについては幾ばくか止める余裕もあったのだ。
「この惨状、貴様か? 鬼人?」
「見てわからんか? 騎士というのはどこまでも鈍い。だから何度も守るべき王を討たれているのだ」
「何度もだと?」
「〈アザークラウン世界線〉の、オレの世界での歴史の話だ」
「…………つまり何が言いたい」
「騎士風情では人斬りたるこのオレには敵わないということだ」
「……! 貴様! どこまでも私を侮辱して!」
剣聖とキャンベラは何故か、出会った当初から反りが合わない。
前世で何かあったとしか考えられないほどに。
さらに事態は急変する。
「全く、次から次へと問題を引き起こすな……貴様らは」
ソフィアの報告(遠隔の特殊装置を用いて)を受けた、アンフェアとギール、虚盧、アテムが急行してきたのだ。
「さてこの始末、どう落とし込むか…………」
アンフェアはそろそろ頭にきている。
〈NEVERヴァード世界線〉との戦争が終わり、今度は『影の存在』とエレセント・エーデルとの直接戦闘が目前に控えてるこの時に、〈聖ドラグシャフ世界線〉の王代理を斬殺するこの事実。
「鬼の男、というよりどのような場面においても常にうるさい小娘ら貴様らがいる。実は貴様らが全ての元凶なのではないかと、余は思い出してきている」
アンフェアがずっと蚊帳の外であった千花たちに話を向ける。
「…………少し自覚はあります」
申し訳なさそうに千花はアンフェアの愚痴へと答える。
「でも、今回の問題に関しては…………いや、何時もキミたちに責はないよ」
「何故、そう言いきれるのですか……『帝王』」
キャンベラの内心は穏やかではないだろう。
ミレートがどんな人物であっても、同じ世界線所属なのだから。
「ここはね、ワタシの楽園。ここで起きたことは全てワタシは覗くことができるのさ。そこのオッサンだけど、随分舐めた態度をとってくれたようだ。キミなら理解できるんじゃないかな?」
「………………だとしても、斬り殺すのは言語道断だと私は思います」
「そうせざるを得なかったのさ。コイツは充分と侮辱してくれたしね」
「だとしても、一度話し合いの席を用意しても良かったはずだ。あの鬼人の強さなら、ミレート殿を気絶することなど容易だ」
キャンベラとギールの討論は平行線。
それに気づいたアンフェアと虚盧が止めに入ろうとした瞬間、一人の鬼人が声を上げた。
「そこの阿呆、一つ聞くぞ」
「……! 阿呆だと…………! …………なんだ?」
剣聖の呼び方にキャンベラは怒りを覚えたが、すんでのところで抑える。
「〈聖ドラグシャフ世界線〉では奴隷制度はあるのか?」
「奴隷制度? あるわけないだろう。そんな人道に背いた行為事態、ヴァルディード様がお許しになるわけがない」
「そこらの娘を拉致し、己が奴隷にすることに対する罪はあるのか?」
「万一、発見された場合は問答無用で死罪だ」
「それならば、オレがミレートの執行者となっただけだ」
「……!? まさか、ミレート殿は!?」
「オレの可愛い後輩を奴隷などという立ち位置に収めようとしていたのでな、斬った。これでも文句があるか? あるなら、その時は死合だ」
この問答だけで、キャンベラはミレートの千花たちに対する態度を理解したようだ。
「だが、しかし、王代理を殺したことに変わりはない…………」
キャンベラの言葉尻が弱くなっていく。
それもそのはず、明らかにミレートに非がある。
剣聖が言うことだが、それでも普段のミレートの行動を見ていれば誰でも理解できる。
「まったく、はらわた煮えくり返る。何が法だ? 何が人道だ? 建前がそこまで重要か? 建前に埋もれ、物事の本質を見極めなければ本末転倒甚だしい。悪は斬る。悪行を課したものが目の前にいるならば斬る。それが“人斬り”千時剣聖の生き方だ。オレの信念にはどこの王だろうが介入することは許さん」
静かだが確かなる殺意。
剣聖も自分のことではここまでの怒りはない。
悪意が向いていたのが、自分の後輩という事実があった。
それだけが、剣聖の怒りの根源だ。
その眼光は鋭く、眼は赤く染まっている、放つ剣圧はあらゆる生物が畏怖する。
しかし、根本の想いはとても優しい。
それが、千時剣聖なのだ。
「王にどう説明すれば良いのだ………………」
キャンベラは剣聖に責任を問うことを辞めた。
状況証拠から、ミレートに全ての原因があることを納得したのだ。
「騎士の小娘。貴様行く宛てがなくなったか?」
「…………一応、〈聖ドラグシャフ世界線〉の所属ではあるが、肩身は狭くなるだろうな。しかし、私が帰る場所はあそこしかない」
「帰る場所? そんなもの〈聖ドラグシャフ世界線〉以外にもあるだろう」
「……? 何を言って………………?」
「……! アンフェアさんもしかして!」
アンフェアとキャンベラの問答の真意を、千花がアンフェアの言いたいことを理解した。
「うるさい小娘は察しがついたようだが、騎士の小娘、貴様〈アザークラウン世界線〉に来い」
「はぁ!? それは、一体、どういう理由で!? いやそもそも、私はただの騎士であって!」
「答えを出すのは何時でもよい」
「……! アンフェア殿!」
キャンベラがしどろもどろしているのを、横目で見ながらアンフェアは病室を出ていく。
「そこの死体は、ワタシが片付けておくよ。【巨人生成第七十八節「使い手の意識」】」
ギールがミレートの後始末をつけて、虚盧とアテムの二人を連れて病室を出ていく。
「帰る」
剣聖も端的に告げて、早々に帰って行った。
この場に残された五人は嵐が過ぎるのを、見ているだけしか出来なかった。
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「お礼……言い忘れちゃったね」
寂しそうに呟くのは、ミレートの暴走から守られた千花だ。
「空中庭園にいる限りは何時でも会えるし〜〜、無理に言う必要なんて〜〜ないと思うな〜〜」
「そうね。とても不本意だけれど、今は千百合に仕方なく、渋々同意してあげるわ」
「え〜〜……なんでそんなに上から〜〜…………?」
時雨と千百合が二人で話している間にも、永遠と思考の波に呑まれている者がいる。
「キャンベラ? 大丈夫?」
「………………あ、ああ。大丈夫だとも」
「全然大丈夫そうしゃないけど…………」
「少し驚いているだけだ。私にはなんの取り柄もないからな。アンフェア殿のような英雄に誘われたのが意外で…………」
キャンベラの言葉に千花は一度キョトンとする。
「う〜〜ん、キャンベラは自意識が低すぎるのが問題だよね…………千百合! キャンベラを褒めちぎって!」
「……! まっかせて〜〜! キャンベラちゃんはね〜〜、強くて〜〜、可愛くて〜〜、かっこよくて〜〜、実はぬいぐるみみたいな可愛いものが大好きで〜〜、とってもえっちぃ下着をつけてて〜〜」
「……!? ふぁ!? えっちょ! 何故それを知って!?」
「考えることが乙女チックで〜〜、実は自分を守ってくれる正義の味方をずっと待ってて〜〜、曲がったことが嫌いで〜〜、そろそろ短髪から長髪に変えよっかな〜〜って考えてて〜〜」
「頼む! もう…………やめてくれ…………!」
千百合の言葉が恥ずかしかったのか、その場で蹲ってイヤイヤしながら耳を塞いでいる。
まるで小動物のようで、その様相が千百合の自虐心をくすぐっている。
「今みたいに〜〜褒められたらちっちゃくなるとこ〜〜」
「ちっちゃくなんかない!」
「え〜〜…………鏡見る〜〜?」
「見ない! イヤだ!」
文字通りの褒め殺しに、キャンベラは幼児退行してしまったようだ。
「実は千百合様、主様と同じでSっ気ありますね……」
口元から涎を垂らしながら、ミリソラシア(変態)が呟く。
「わあ……どんどん収拾つかなくなっていく……」
「誰が千百合をけしかけたのよ」
五人はつかの間の休息に身を委ねていた。




