22. 生命の蔓延る最前線
全身に浴びせられる死の微風に身がすくむ。
物心ついた時から戦争の道具として、唯一の解決法として運用を検討されていた彼女であっても、その戦場だけは生理的に受け付けなかった。
まるで微生物同士が縄張り争いをしているような細々とした戦局を睥睨して、誰にもバレないように小さくため息を吐く。
青龍刀に近しい造形の槍を器用に手繰って、集落一つならば容易に握り潰せそうな拳を受け流し、そのまま体勢を崩した巨人へとカウンターとして数撃見舞う。
けれど、当の巨人はけろりとしており氷河を思い出させる冷たい瞳をギョロリと向けて、何事もなかったかのように拳を振い始める。
「ふわぁえ…………わたし、何やってるんだろ」
っていうかなんだよ、コイツ。
デカすぎだし、そもそも何でこんなに堅いの? 五歳の時に猛獣ひしめく森に放り出された時みたいな無力感というか、寂寥感がとどめなく溢れ出るのだが。
問題は鎧みたいな魔力障壁で、外部から与えられた衝撃を魔力に変換してダメージを限りなく激減させている。
三時間程度の悪戦苦闘の末にカラクリを見破れたはいい。
そこまでは完璧であった。
ついでに障壁を消し去るだけの作戦も思い浮かんだ。
ああ、あの時は輝いていたなぁ……ムスペルにも自信満々に自分に任せてくださいっ! なんて啖呵を切って。
「障壁は無敵のバリアじゃない。だって衝撃を消してるだけだから」
だから、だから。
衝撃を魔力へと変換して外部へと放出する過程の中に、“龍神力”を内部へと向かうように弄れば一時的にではあるが矛盾によって障壁そのものを消し去ることが可能だ。
あとは【太陽の刻印魔法】とやらで陽光を収束させた擬似的な大剣で両断すればおしまいだ。
その結果、見事に予想は的中して巨人を一体屠ることに成功した。
うん、それは良かったよ。
ムスペルも拍手喝采で、エレセントを相手にしてた戦士の皆さんも歓喜に震えて士気は鰻登り。
「でもさ……だからって、三体になるなんて聞いてないですよぉ……っ!」
まるでワンコそばの要領で、霜の巨人が追加されたのだ。
一体どこから出てきたのかは不明だが、増えたのだ。
いいや、出所もわかっている。
どうやら“前線攻略必要地点”の一つ前の世界線たる“攻城踏破前線”に巨人が六体も現れたらしい。
ソフィアは相当焦っているらしいが…………“攻城踏破前線”を護る者は誰であろう『鬼神』に仕える剣にして盾たるネメシアだ。
共に剣聖の元で剣を振るい、鎬を削った仲であるからこそわかる。
きっと戦線は崩壊間近であろうとも、それでもネメシアは耐え忍ぶ。
今まで幾度となく優勢の中でたった小さな綻びから逆転された白英であるからこそ断言できるのだ。
「もし、追加分が“攻城踏破前線”からの流入なら……助けられたのかな」
二倍に増えた山ほど巨大さを誇る拳を、身体を陽光と半体のみ同化させることで亜音速に迫る速度で受け流しカウンターを決める。
無論、魔力障壁のタネは割れているのでそっと人撫でするだけで自壊させることも可能だ。
僅かにたじろぐ巨人たちを前にして、ようやく奴らも己を強者として認めたのだなと小さな自尊心が火を吹く。
開戦当初なんて、そりゃあもう酷かったよ。
確かに戦争を前にしてオドオド、キョドキョドしている白英の姿は頼りなかったかもしれない。
緊張していのだ…………目前に迫る類を見ない大戦争に加えて、己に課せられた役目は“穿孔者”なんていう戦局を左右する大層な役回りで。
ムスペルが自信過剰な人間であることも悪かった。
何なんだよ、何でうじゃうじゃ湧き上がるエレセントの大群を見て、第一声が「いいねえ、こりゃあ燃え上がるじゃねえか」なんだ? だっておかしいだろう? 強敵を前にして、超えられるかわからない猛者を相手にして滾るのなら、百歩譲って理解できる。
白英とて、剣聖と真剣勝負ができるのなら喜び勇んで槍を構えただろう。
だけれど、状況が違うだろう。
たった一手過つだけで戦線崩壊までありうる役目を背負って、何が燃え上がるぜぇだ。
「ふわぁぁぁ……でも、やらなきゃですよね」
視界の隅で金色に煌めく火焔と纏って斬撃を放つムスペルは、それは見事な軌道を描き一直線に巨人へと向かっていく。
巨大な躯体の反撃は間に合わないと長年の経験から本能で予測できているのだろう。
臆することなく突き進む彼の姿は、一種のモデルとなって戦場で一層の輝きを秘めていた。
「霜の巨人族……ッ! わ、わたしは『鬼神』千時剣聖が一番弟子──秦白英ですっ! でっかいだけが取り柄の人に、負けてはいられませんっ!」
ならば、彼が戦場での姿を魅せるのならば。
白英は堂々と宣言してやろう。
『超陽王』として、『鬼神』の弟子として、秦白英として、槍を振るうのだと。
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戦線の六割は既に機能していない。
戦士たちの損耗は目を覆いたくなる程に大多数が継続不可能な致命傷を負って、戦線から離脱していった。
満足に動ける現存兵力なんて、今も前線で雌雄を削っている十四個師団のみ。
五時間程度前の開戦当初には三十個師団も散見した戦士たちは、際限なく湧き上がるエレセントの波に押し潰され、六体の霜の巨人族の追撃によって散り散りにすり潰された。
失態は本来、巨人を抑えるべきであった“穿孔者”にある。
予想しておくべきであったのだ。
対攻城戦において、是が非でも責めるべき場所はどこか? そんなもの兵站以外の何物でもない。
如何に最前線に最高戦力を配置しようが、後方より送られる支援物資無しには長期戦は不可能だ。
「……ッ、キュリア…………ッ!」
「あぁ゛? まだまだ……いけるッ!」
「もう、もう無理ッ! ネメシアが変わるから……!」
「いいや、お前はそこにいろッ! オレには防衛戦なんざ最初っから想定してねえんだからよ」
大地を抉りながら飛翔し橙色の長髪を振り乱しながら乱立する山々に挑むは、暗黒旅団八番師団団長のキュリア=モリアールだ。
威勢のいい咆哮とは異なり、彼女の肉体は限界に近しい。
なにせ、ネメシアが空中庭園との連絡口を守護するために動けないせいで、彼女一人に巨人の相手を背負わせているのだから。
ネメシアとて彼女と肩を並べて戦いたかった。
だが、巨人の堅牢さとエレセントの物量がそれを許さなかった。
もし連絡口を押さえられでもしたら、その時点で対刻連合の敗走が決定づけられる。
“攻城踏破前線”の背後には前線と後方の情報を管理するソフィアと、後は空中庭園及び暗黒旅団の“自由の象徴”号のみだ。
無論、それぞれに強者は待機している。
けれど、“穿孔者”には一歩及ばない、若しくは攻勢には不向きな力を持つ者しか待機していない。
突破されてしまえば、待っているのは巨人による蹂躙と支援の絶たれた前線の崩壊だ。
故に、ネメシアは動けない。
キュリアの撃ち漏らした巨人が接近してきた度に反撃をもって遠ざける程度の妨害しかできない。
戦乙女の結集体として造られたネメシアの権能たる“神聖兵器鋳造”を全て防衛に回して。
金色に光る二翼を背に、大楯を構えてグレートランスを使って一点にエネルギーを込めた刺突をもって反撃を。
それでも数歩後ずさる程度にしか及ばない。
「……大分、まずいかも」
耳をつんざく大音声は六体の巨人から。
キュリアも目を丸くして何事かと凝視していた。
ああ、そうだ。
そこまでは記憶がある。
気づけば、巨人が二体減っていた。
その代わりというべきか、なんと残存した四体の巨人が足元のエレセントを無造作に掴み喰らったのだ。
本当に意味もわからない行動で、けれどもそれは無意味なんぞではなかった。
エレセントはネメシアと同じく、魔力より造られた人形なのだから動力源として活力の代替にする発想が可能なのだ。
四体の神獣が如き咆哮を正面から抵抗すらままならない状態で受けて、全身の痙攣でまともに回避行動も取れないまま吹き飛ばされた。
ああ、なんでもっと早く思い浮かばなかったのだろう。
あの奇怪な行動は……巨人もまた切羽詰まっていたのだ。
おそらくは難攻不落だと嵩を括っていた霜の巨人が、一体だか二体だか知らないが撃破されたのだ。
だから、ブーストをかけてきた。
こちらに撃破し得る、警戒に足る存在がいるを知った時点で決着を早めたのだ。
邪魔なモノは二人だけ。
地に伏せたネメシアがかろうじて立ち上がった時には時すでに遅く。
二体の巨人が連絡口を跨いだ後であった。
「……、成程。残りの二体はネメシアたちを確実に殺すために残ったってことなの」
──上等だ
ああ、随分と舐められたものだ。
失態は大きな損失、損害となるだろう。
ネメシアの責に帰すべき現実であるが、それでも挽回の機会がないわけではない。
さあ、魔力を回せ──機体を限界まで稼働させろ──武器を形成しろ。
チラと垣間見るとキュリアは未だに意識を失っているようだ。
十四個師団も残っていた戦士たちは六個師団程度まで激減し、数百のエレセントが連絡口を突破していることだろう。
「ネメシアが、今から行けば……まだ、間に合うッ!」
再びイメージと魔力を混合させて戦乙女としての完全体へと変貌させる。
許されざる失態を、かろうじて巻き直しが可能な盤面へと戻すために。
「ネメシアはネメシア…………ご主人様の名に恥じない戦果を──ッ!」
翼をはためかせ、向かう先は変わらず無機質な瞳で睥睨する巨人。
先の一撃で身体はガタが来ている。
一時的な痙攣状態からは復帰したものの、それでも魔力の流れに滞りを感じる。
まるで泥が固まったように阻害される感覚に唇を噛むも、追撃の手はやめない。
一撃でも多く、一体でも多く、ここで削り切る。
ああ、急いてしまったかな? ランスが魔力不足で崩れる。
大楯が巨山の反撃を受けて砕け散ってしまう。
眼前に迫った拳のやけに遅く感じる中、明暗する視界を刺激する──あの神々しい光を、ネメシアは忘れることないだろう。
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空中庭園管制室。
突破された連絡口付近より警戒体制をひけ、と警告をする最終防衛隊の切迫した声。
ソフィアから覇気の感じられない色のない声色で報じられた現実は、大局を見極めていたギールとジョンに大きな衝撃を与えた。
“攻城踏破前線”の防衛には“穿孔者”唯一の防衛・中距離戦特化のネメシアと近接特化のキュリアを配置していた。
ああ、勿論、ギールを相手にするなら瞬殺できるであろう二人だ。
そんな英雄が塵芥のように屠られて、事実、庭園にまで敵の魔の手が迫っているだと? 到底信じられる事実であはあるまい。
「……最終防衛線には仁斎と、ナーラ女史がいる。少なくとも小一時間は持つだろう。どうする? ソフィアくんの切り札は阻害されて使えなかったらしいが」
指折り数えるのは短時間で起こった劣勢の数々。
ギール同様、管制室の椅子に腰掛けて状況を分析するジョンからは絶望的な現実が語られる。
「…………詰み、として断じられたらどれだけいいか」
「そうはいってられない。前線では皆が戦っている。それに、まだリーダーたちも争っている」
「そうだよね。ああ、苦渋ではあるが、ソフィアを“攻城踏破前線”に派遣しよう。帰還までは他の面々で肩代わりしよう……アンフェアは、対彼方戦に温存しておかなければならないから、暗黒旅団から侵入してきた巨人に手を打てないかい?」
「ロンヴァルを送ろう。マリーと耶律はエレセント相手に」
「…………これ以上の不測の事態には対応できなくなるが、仕方ないか」
全員が眉を顰めて、あまりにも冷酷に過ぎる現実を恨む。
なにせ、各前線は決壊寸前で。
それでも護らねばならない後方兵站には相応の戦力が必要と。
誰もが諦観と共に敗北の、ひたりひたりと忍び寄る気配を実感してしまう。
拳を強く握りしめて、己を鼓舞しておかないと発狂しかけてしまう現状に瞳を伏せる。
──凛と透き通る、優美な声を聞くまでは
「まだ、早いわよ。状況はとても酷いようだけれど、問題ないわ。ここからは私が指揮を取るのだから」
コツンコツンと大理石の床に響かせながら、悠々自適に歩むは『大空位王』。
蒼を基調としたドレスは、背中を大きく露出しているにも関わらず下劣さは皆無で、ただひたすらに美しさが先行する。
管制室に詰める面々が彼女を知覚したと同時、四つの最前線たる世界線に大結界が展開された。
運命が、因果が。
この刹那をもって大きく変えられた。
刻印源皇の勝利から、対刻連合の反撃の狼煙へと。




