2. 散開──収集
世界線と世界線を繋ぐ架け橋。
世界線の狭間内部を進むそれの歩みは鈍重で、けれども物理時間に当てはめれば亜音速に迫る速度で目的地へと迷うことなく案内している。
序列第二位〈アザークラウン世界線〉人類の護り手『帝王』へライド=ギールの空中庭園。
約九層にも及ぶ縦尺、堅牢な城壁を誇る移動型魔導式空中要塞。
月並みの世界線においては空中庭園を生み出し、まるで己の手足が如く操るギール一人で立派な王として祭り上げるであろう。
だが、現在、かの箱庭には如何なる生命とも比べ物にならない程の怪物が揃っていた。
「ねえぇ、ギールさん。まだぁ?」
「まだ……とはいえ十数分圏内だろうね。そろそろ準備でもしてきてくれ」
「ん、準備かあ……いっつも着の身着のままだからこのままでいいや」
「あ、うん。そうかい。なに、苦労しているんだね、君も」
軽い同情と呆れの綯い交ぜになった感情をもってあしらう。
あまりにも退屈が過ぎたのか、所謂ダルがらみをされるギールの心中は面倒の一言で片づけられる。
なにせ、ただでさえ集中力を要する庭園の操作に加え、世界線間を流れる魔力の流れに沿って逸脱しないように細心の注意を払っているのだ。
普段ならば“魔皇軍”の面々が抑えてくれる『魔皇』様なのだが、間の悪いことに全員が出払っていた。
かの会議で時雨の打ち出した方針。
早速、即日より動き出した皆であったが、彼女の指定した役割に一度は動きを止めてしまった。
曰く、総員を適材適所にて効率的に配置する。
千花率いる“魔皇軍”実行部隊。
千百合、ソフィア、アンフェアの四名は『影の存在』が暗躍しているとされる序列第一位〈クリアファウンテン世界線〉へと。
時雨を頂点とする“魔皇軍”待機部隊。
ミリソラシア、ナーラ、イルア、ギール、アストライオス、那由多、凶、炎、虚盧、アダムの十一名は空中庭園にて緊急事態においての対処や、【刻印】についての情報収集等の諸作業を。
剣聖を中心にした【刻印】捜索組。
キャンベラ、ネメシア、白英の四人は【刻印】についての有力な情報がある、とかなんとか今になって言い出した剣聖と共に彼の実家へと。
元主とシャーシスの外部調査組。
二人はかつて【刻印魔法】以外の魔術を習得するために赴いたイギリス、ロンディニウムへと。
随分と大胆に各々を切り分け、多方面から陰謀に挑む。
淡々と部隊を分け実行へと移す時雨の手腕には、ギールを筆頭に脱帽するばかりだ。
なにせ、人類の護り手のメンバーは千花たちの未熟期よりその力の上昇値を見せつけられてきたのだ。
もはや、足元にも及ばない程の力量差をむざむざと前にして、如何に口を挟めようか。
「……! 時雨っ! おかえり。調整は終わったの?」
「ええ、最後の確認も済ませたわ。それで? まさか、ギールさんの邪魔なんてしてないでしょうね?」
「あったりまえじゃんっ! 私は品行方正が売りなんだよ?」
「大噓じゃないかッ! きみ、散々ワタシをいびってきたじゃないかッ!」
何をぬけぬけと。
本人は抑えきれているつもりであろうが、眼をそむけたくなる瘴気が如き魔力に長時間充てられてきたのだ。
せめて、口ごもって欲しかった…………。
「はぁ……ごめんなさい、ギールさん。けれど、こればかりは耐えてもらうしかないわ。もう私では手の施しようがないの」
「なんだってっ!? 困るよ、それじゃ……きみしか手綱を引けないのだから」
「ねえ、二人揃って誰の話をしてるの? 邪魔したのは謝るから乙女をケダモノみたいに言うのは止めてほしいかなぁって」
二人の半眼をもって彼女の口は自然と閉ざされた。
今になって事の重大さ気付いたようだ。
まあ、手遅れだとは思うが……これより千花には時雨による折檻が待っているのだから。
「さて、息抜きはここまでだ。見えてきたよ、〈クリアファウンテン世界線〉が」
ぴしゃりと、ギールの言葉が終わると同時、二人の傑物は瞬時に思考を切り替える。
怨敵である『影の存在』の残した唯一の手がかり、第一位の世界線。
一息つける、気の休まる安息の日々は終焉を迎えた。
始まるのだ、まだ何人すら見たことのない決戦が。
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照りつける太陽が忌々しく感じる。
アスファルトに蓄積された熱気が物理的な重しとなって歩みを阻害する。
〈アザークラウン世界線〉地球、日本。
閑静な住宅街には風物詩のセレナーデが響き渡り、四方八方から全身を打つ音の壁は耳朶を震わせるだけで辟易してしまう。
世間では真夏とされる八月の真昼に、その男はまったくちぐはぐな成りをしていた。
漆黒のスキニーパンツに、紅色のシャツ、深紅のトレンチコート、射殺すような眼光に定規でも入っているのかと疑いたくなる筋の通った背筋。
千時剣聖はとある物を求めて千時家の旧邸を訪れるために片田舎へと帰還していた。
「…………、な、なあ鬼人。少し休まないか……?」
「ふわぁぁぇ……キャンベラさんの気持ちも分かりますうぅぅ…………じわじわ炙られてるみたいです」
フラフラと幽鬼が如き者が二人。
純白のワイドパンツに、白のブラウス、ベージュのカーディガンを肩に羽織り、麦わら帽子を被るキャンベラ。
混雑する人混みにあっても一際目を引く、大人の頼れる印象を相手に抱かせるスタイルだ。
デニムのショートパンツに、裾が微かに透けている純白のペプラム、白髪をツーサイドアップにした白英。
未だ幼さやあどけなさの抜けない白英だからこそ、魅力を引き立てられるコーデ。
両者は容赦なく差す陽射しと蜃気楼すら生み出す熱気にやられてしまったようだ。
とはいえ、ただでさえ遮蔽物のない田舎の一本道に、太陽の最も活発な真昼に強行軍なのだ。
慣れていなければ足元の覚束ないのにも頷けよう。
「二人とも情けない。ネメシアを見習って」
対照的に地獄の暑さを意に介さないネメシア。
純白のロングスカートに、白のカットソー、同じく白の日傘。
まるで貴族の令嬢か、はたまた上品なお人形な雰囲気の彼女はさも不思議そうにこてんっと首を小さくかしげる。
「そ、そういってもな…………私は冷却機能なんて搭載していないんだぞ……!」
「ネメシアにだってない」
「ふわぁえっ!? ないんですか……!?」
「ない。強いて挙げるなら…………そもそもネメシアは環境要因に左右なんてされない。高性能だから。ぶい」
「…………今すぐその忌々しいブイサインを退けろ。悪いが軽口を叩ける程の余裕はないぞ」
傍からみても相当にグロッキー状態のキャンベラと白英であるが、ネメシアの得意げな表情と共におどけることで暑さを紛らわせているようだ。
三人の美女が戯れている様子は絵になり、見るものが見れば一生忘れることのない桃源郷となるだろう。
だが、そんな三人の会話も、一人の冷徹漢によって途切れることとなる。
「フンッ、変わらんな」
「ご主人様、着いたの?」
「ああ。ここが目的地だ」
「……? なんだ、今にも崩れそうだな…………」
「それもそうだろう。オレが当主となってからは一度たりとも踏み入れていないのだからな」
「ふわぁえっ!? も、もしかして……師匠のご実家ですかっ!?」
驚愕のあまり顔を見合わせるキャンベラたち。
だが、彼女たちに気持ちは痛いほど分かる。
平屋建ての一軒家。
周囲の家々と比べても二倍はあるであろう豪邸、地主の本邸と言われても信じられる。
しかし、三人が目を見開く原因はその広さではない。
立派な門構えであっただろう石造りも、訪問者を威圧する巨大さも、そのどれもが緑に覆い隠されている。
蔦によって隠された表札には――千時、とまるで道場名のように堂々と書かれている。
「な、なあ鬼人。ここが貴様の本家なのは理解できた。しかし、しかしだな……何故、この家に【刻印魔法】の手がかりがあるのだ?」
「今より数百年前の当主の手記がある」
「……? それと【刻印魔法】に関係があるのか?」
「ああ。どうやら、開祖は【剣の刻印魔法】を宿していたようだ」
「「「……ッ!?」」」
さらっと。
まるで当然のように言い放って煩わしそうに自然の門扉を潜っていく剣聖。
だが、とんでもない爆弾を残された身としてはたまったものではない。
公共路のど真ん中であろうと関係ない。
放心した三人が正気を取り戻すにはまだ時間がかかるようだ。
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蒸気の街。
かつてイギリス、ロンドンはそう呼ばれていたらしい。
世界初の蒸気機関産業の本格導入、及び革新的な技術の開発、促進。
イギリスの産業革命を契機に、当時の先進国は波に乗り世界全体にて農業主体産業から化学産業中心へと鞍替えしていった。
由緒正しきイギリス王室のお膝元、かつてのロンディニウムに降り立ったのはかつてないほどの異物。
「んん、目ぼしい成果はないようですねえ」
静かに嘆息する瘦せぎすの男。
往来のカフェでティータイム、と本人は優雅に気取ってはいるが、どうにも彼の雰囲気ではおどろおどろしい感覚が先行してしまう。
加えて、普段の自己主張の激しい……悪く言うなら派手な服装も相まってお近づきにはなりたくない。
「そりゃそうでしょ。【刻印魔法】なんてマイナー……というか魔術大国じゃ、そもそも魔法なんて滅多にお目にかかれない代物らしいし」
対角線上に座って呆れる美女は、すらりとした美脚を組み替える程度の仕草であっても色気が香る。
アズールブルーのドレスにアクア色の薄手のカーディガンを方に羽織るシャーシスはぐったりとする元主へ、同情の念を込めた視線を向ける。
「まさか徒労に終わるとは思ってもみませんでしたねえ。手がかり程度はあるかと」
「珍しいわね。あんたが読み違えるなんて」
「読みなんて大した代物ではないですねえ。あらゆる思考をもって、ただ残った可能性が真実である…………そんな感じの言説に従っただけですねえ」
「因みに語源は? 自分なんて言ったらかっ飛ばすわよ」
「んふふふ……それはそれは惜しいことをしましたねえ。かの言はシャーロック・ホームズその人ですねえ」
どうやら雑談する気力も尽きたらしい。
だが、類稀れなる確率にてシャーシスも頷ける。
半日駆けずり回った成果はゼロに等しい……だけならばあの元主がへこたれる訳がない。
原因としては、そも魔法と口にした瞬間にみせる魔術師たちの眉唾を嘲るような態度だ。
どうやら魔術師にとって魔法とは夢のまた夢の世界における幻想上の存在であり、まさか現代にて息づいているなど到底受け入れがたいらしい。
「これでは千花さんにも剣聖さんにも顔向けできませんねえ」
「…………へえ」
「……? いかがしましたかねえ、シャーシスさん」
「や、意外に思っただけ。あの鬼はともかく、あんたが栖本千花を認めてるなんて」
「おやぁ? 些末なことですよ、シャーシスさん。〈聖ドラグシャフ世界線〉での彼女の活躍は獅子奮迅、面目躍如ではないですか」
「だって、あの娘とあんたって相性最悪でしょ」
さも当然、と口にしたシャーシスであったが元主の反応は芳しくない。
なにせ、いつもの薄気味悪い笑みが引っ込んでいるのだから。
代わりに能面のような冷たい表情が覗いている。
周囲の喧騒、往来の盛況からはあまりに浮いた異質な空気。
まるで異世界へと誘われた感覚を纏う雰囲気だけで味わわせるなど、元主をおいて他にはいまい。
「………………理由を伺っても?」
「簡単じゃない。あんたさ、全部上っ面で凌いでるでしょ。わざと相手に不快感を与えるあの仮面被ってさ」
「…………因果関係がありませんね」
「あるでしょ。栖本千花は良くも悪くも真意しか口にしない。そして、仲間を欠片も疑ってない…………少なくとも、ミアを裏切った私も今は信頼されてる。それは、ネメシアにだって当てはまる。あんたはさ、それが嫌なんでしょ。どうしようもなく…………気持ち悪いんでしょ」
「おやおやぁ……流石はシャーシスさんですねえ。お見通しですかあ」
癪に障る微笑みが戻ってきた。
けれども、シャーシスには十分であった。
多王元主は確かに動揺したのだから。
「昔は経験値のなさからくる甘さだ、と割り切ってましたあ。ですがぁ、『魔皇』となった今では敗北が考えられない強さの上に成り立つ慢心ではないですかねえ」
「あんたがどう言い繕うたっていいわ。人間、一人や二人反りの合わない相手はいるわよ」
「……救われますねえ」
そっぽを向いた元主が如何なる表情をしていたかなど、シャーシスには分からない。
だが、きっと気持ちの良いものではないのだろう。
軋轢すら生みかねない造反感情であるが、彼は大人だ。
絶対的な君主あっての組織、何より“魔皇軍”は『魔皇』千花を中心に集った結束の固い戦闘集団だ。
それも、想像し得ない修羅場を潜り抜けた精鋭。
だからこそ、元主には諦めるしか道がないのだ。
生理的に受け付けない者が上に立とうとも、“魔皇軍”に所属し続ける限り彼女からは離れられないのだから。




